偏愛的書斎論 偏愛的映画論  |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
至高体験の刻を大切に
絵のある生活 を 広めたいです !!!

 

書斎。

 私もたいしたことのない普通の書斎を持っていますが、作家の書斎はいつも気になります。
 渋沢竜彦氏の書斎は魅惑的でした。




奥様もきれいですね。

二人目の奥様が、「あなたが死んだら、私は年金もないし、どうすればいいの?」と聞いたときに、「俺の本は売れるから、印税で食えると、豪語したとか」

すごい話があります。

 

矢川 澄子

1959年 - 1968年

資料で調べてみると・・・・

矢川 澄子は日本の作家、詩人、翻訳家。早くから天才少女として注目され、没後は「不滅の少女」と呼ばれた。


三島由紀夫氏も、澁澤龍彦氏がいたからこそ、日本文学はおもしろくなったと言い切っています。→「珍書奇書に埋もれた書斎で、殺人を論じ、頽廃美術を論じ、その博識には手がつけられないが、友情に厚いことでも、愛妻家であることでも有名。この人がゐなかつたら、日本はどんなに淋しい国になるだらう」


たしかに、アカデミックな作家ばかりだと、貧相なる実しかなりませんし。・・・

それに。

彼は、変態ということを真面目に取り組んでいましたから。

何がやばいって、人が避けるものを好み、真面目に追求していく姿勢がやばい。ちゃんと変態。丁寧な変態。シュルレアリスムやらエログロやらSMやら少女偏愛やら……あらゆる秘宝に首を突っ込んでは徹底的に研究するフロンティアスピリッツが現代人にかけている。これらのバックボーンにあるのが「フランス文化」ってのも興味深いです。

 

ほんで若い時の写真がコレなんですが。

スーツにサングラスの澁澤。「逃走中」の空き時間ですごいですね。二人の会話も今の現代人なら、引くような会話。

 

これぞ、すでに過ぎ去りし、「彼らの時代」なんだと思う。

 

澁澤「この前、パリの金髪美女がさ〜」。三島「黙れ貴様、日本男児ならば大和撫子を抱け」

 

こんなことは、今のテレビでは絶対に誰も言わないでしょう。

誰も言わないことは勇気を持って平気でいうこと。

 

誰しもにできることではありません。

 

三島由紀夫氏が自決してから、澁澤龍彦は「もうこれで俺の作品を読んでくれないことを考えたら信じられない」というがっかりとしたニュアンスの言葉を書いています。彼がいない世界、信じられない。そういうことです。





澁澤龍彦氏の二人目の奥様は、龍子さん。

彼女は芸術新潮の編集長をやっとりましたが。

 

彼女の彼が亡くなった時の追悼文が、泣けます。

感情を押し殺しております。

 

 

澁澤龍彦の書斎で、彼の愛用した机に向かい、澁澤の最後のエッセー集『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』―あとがき―の原稿を書いています。

龍子は「さみしい」と書いていません。でも確かに文章に寂しさや愛しさが存在しています。文章はこう続きます。

机の上の筆立、地球儀、眼鏡、自作のための資料本(中略)机の後ろの本棚には、サド全集やエロティシズム関係の書物が並び、机の前方にはコクトーやジャリ等々の原書群、机の周りには夥しい数の辞典類。今すぐにも彼は仕事を始める事ができるでしょう。

なんとか10行にわたって澁澤が好んでいたもの、部屋の様子を淡々と紹介しているのですね。そしてその彼が愛したオブジェたちの紹介は部屋の外まで及んで行きます…。

樹々を通りぬけてくる風も、その匂いも以前のまま、彼が大好きだったほとどぎすや、とらぎすも変わらずよく鳴きます・・・・・・親しい方をお招きして眺めた牡丹桜も春に爛漫の花をつけます。何もかも二年余り前と変わりません。

最後に、龍子さんは。

しかし澁澤龍彦は、もうおりません。

末文はこう締めくくられます。

澁澤龍彦を愛して下さった皆様の心の中で、澁澤がいつまでも生き続けてほしいと願っています。




 あと。
北海道に本だけの斜塔をたてた草森伸一氏の書斎は、最初見たとき、あいた口がふさがらないほど、羨望を感じました。(松岡正剛氏の興味深い文章あり)

 




彼は、あまり知られていませんが、漫画にも造詣が深いです。

私は高校生の時に、彼の「漫画学」を買って今でも大切に持っとります。

もうどこでも手に入りません。



道産子という接点で彼の著作を若い頃に集めました。

三万冊コレクションしたというところまでは、同じですが。

彼の書庫書斎を見ると、憧れを禁じえません。^^

 

 

私はいつも思うのですが、本は、やはりすぐに手を取って取れ、また戻すことができることが理想ですね。

私はまだこんな立派な書庫がありません。

ですので、ただ、地下から3階まで積んで分類しているわけですが、やはり、本を見つけるのにすごい時間がかかります。

 







 三島由紀夫氏の書斎。坂口安吾氏の反古だらけの、書斎というか、部屋。
 オーディオ評論家の池田圭氏の書斎というか、オーディオルーム。







 漫画家竹宮恵子のそれはそれは可愛い部屋。






 
 



 (やはり、女性の部屋に対するこだわりと、男性のこだわりは、全然違うように感じます。渋沢竜彦氏は、部屋のホコリはまったく気にならないとどこかで書いていました。女性ならば、それは許せないでしょうから。)


 
 男の書斎はいいものです。
 自分だけの宇宙。

 とある落語家。地下に、jazz専門の部屋を贅沢につくって、家族の誰も近づけないとか。
 これまた、うらやましい限り。




 松岡正剛氏のプランで、つくられた、松丸書店。
 今から何年前になるでしょうか。
 出来た時に、わざわざ、飛行機で、行ってきました。









 残念ながら三年ほどで、閉店になりましたが、ちょっと、こんな書店はなかなかありません。
 今、彼の偏愛する書物でぎっしりの書店。

松岡正剛氏は、よく工作舎にいたころ、資料館の本をきちんとかえさない人がいると、文句を言ったそうだ。これは、マナー的なことからではなく、本と本との間には「糸」があり、この本はこの本の隣に並べるという哲学を松岡氏は持っているかです。



 本と本との間の、隠れた糸が四方八方にはりめぐらされていました。
 アンチーク・ドールが、さりげなく置かれており、松岡正剛氏の哲学を応援しているようにも思えました。


 
 五万冊の本をよく一冊一冊の糸を考えて、本人自身が並べたというが、驚愕するような
 本屋。


 ただ、本を売れれば良いということで、漫然と並べている本屋ではなく、もしも地球が滅んでも残されたわずかな人々に図書館が残されていれば人類の復活は著しく速くなるというそんな人類の英知の書物が、ここかしこに、糸と糸でつながれたように、ある思想はこの思想の影響、この詩人はこの詩人の影響とばかり、縦横に書物がクモの巣のようにはりめぐされていた、そんな不思議で、わくわくするような本屋でした。

 


ところで。


紀田順一郎氏の書斎。
 彼は、そこに、大量の映画のフィルムをコレクションしては、ひとり、見ていたという。
 (資料1です。小さな右の画像でみずらいかもしれません。)
資料1






 当時は、昭和56年。私が、会社勤めを始めた頃ですので、ビデオレンタル屋もまだありません。
 一度映画館で、見た映画は、もう手軽に、自分の部屋ではまったく見る事ができなかった時代。

 ですので、紀田順一郎氏は、これだけのコレクションをしていたというのは、私から見て、羨望あるのみ。

 八ミリで、暗い部屋で、カシャカシャリールをひとりまわしながら、映画の名作を見ながら、贅沢な時間をすごしたのでしょう。



 それから、40年!!!!



いまや、ゲオやTSUTAYAに行けば、(マイナーな作品と、ずいぶん昔の作品をのぞけば)、ほぼ、
どんな映画でも、100円ほどで、借りる事ができる素晴しき時代になりました。


 いいかげんなことを喋っては、テレビにでていた自称映画評論家たちは、消滅し、小難しい理屈で映画を語るインチキ評論家達の本も、今や売れることはありません。


 自分の美意識のコンパスさえ、持つことを努力さへすれば、自分の好きな映画は何回でも、安価に見る事ができる時代。
 素晴しいと思います。


 ただ、淀川長治さんが書いていますように、映画ばっかり見ていては駄目、文学・音楽・絵画・歌舞伎など日本の芸能などなど、いろいろ勉強するようにすすめています。


 


 というわけで。
 今回は、ルコント監督。(淀川さんが絶賛していた監督です)

 彼は、けっこう映画を撮っていますが、初期の作品が私は好きです。
 その中でも、まずは、「暮れ逢い」ですが。
ツヴァイクの小説を映画化したもの。

テーマは忍ぶ恋。

 現代のように簡単にメイクラブしてしまう時代だからこそ、忍ぶ恋のテーマが生きてきます。






「髪結いの亭主」「イヴォンヌの香り」など、恋愛映画を得意とするフランスのパトリス・ルコント監督が、自身初の英語劇として、第1次世界大戦前夜のドイツを舞台に、孤独を抱える若妻と、美しい青年の8年間にわたる純愛を描いた。1912年、初老の実業家カール・ホフマイスタ―の屋敷に、個人秘書として若く美しく、才気にあふれた青年フレドリックがやってくる。カールの若き妻ロットは、裕福で優しい夫や可愛い息子にも恵まれていたが、孤独を抱えており、フレドリックにひかれていく。ひとつ屋根の下で暮らすうち、フレドリックもまたロットにひかれるが、許されない恋であることから、2人はその思いを口にすることはなかった。しかし、フレドリックが南米に転勤することになり、それをきっかけに2人は胸にしまっていた互いの気持ちを告白。2年後にフレドリックが戻るまで、変わらぬ愛を誓うが……。




 ルコント監督は、尊敬する映画監督として、なんといっても、ジュリアン・デュヴィヴィエとゴダールをあげています。

 ですので、昨年封切りになった、この最新作の、「暮れ遭い 」が、デュヴイヴィエの「望郷」と、ゴダールの「勝手にしやがれ」みたいな感じになれば・・・と、語っています。



デュヴイヴィエの「望郷」
 ルコントの愛するギャバンがペペルモコ役で、出ています。




ゴダールの「勝手にしやがれ」 ジャン・ポール・ベルモンドいいですね。フランスでは、アラン・ドロンよりも、当時、彼の方が、人気があったとか。・・・


この「勝手にしやがれ」は、あとの記事でも書いていますが、トリフォーが、原案を書いているんですね。

「白い恋人たち」
  

シネマ。トリフォーの、「白い恋人たち」

(私は、この映画を見る時には、いつも自分が子供の頃に、山のてっぺんからすべりおりた北海道の山山を連想できます。
もちろん、ころんでばかりですが・・・・
そして、そこで、ビニールシートをひいて友達と食べた、おにぎりやら、卵焼きやら、魚ソーセージの美味さったら・・・)





「勝手にしやがれ」







 ジャン・ギャパンといえば、ルコント監督が愛しているのはよくわかりますが、
 私も高校生時代でしたか、「シシリアン」や、「地下室のメロディ」見ました。


「シシリアン」 音楽が素晴しい。


これもクリップがなくなってしまいましたので、このクリップです。




「地下室のメロデイ」



 なつかしいです。

 この「地下室のメロデイ」は、見るたびに、マイルスのトランペットはなんと素晴しいと、感じます。



立川で働いていた頃、よる九時ぎりぎりに社員用のエレベーターに乗ったら、突然、ドアがしまった瞬間に、電気が消えてしまいました。これは怖かったです。慌てて、携帯をボケットから出すと、携帯が圏外。・・・・・・・・・・心臓ばくばく。これは心臓に悪いです。
  結局、この恐怖の10分間、今でも強烈に脳裏にやきついています。
  大声で、恥もなく、助けを呼んでいたら、警備員が気がついてくれて、合鍵にて、脱出成功。


 汗だくでした。このシネマもまた、その思い出につらなります。
  昔から私は閉所恐怖ですから、なるべくそれからは、エレベーターはさけて、階段を利用するようにしています。

 あの恐怖は、今でも、覚えています。幸いに、警備員に見つけてもらって、翌日まで、そこで、寝てすごさなくてもよくなりましたが、この「死刑台のエレベーター」を見るたびに、その
エレベーターに閉じ込められる時の閉塞感を、思い出してしまいます。

 「死刑台のエレベケーター」傑作です。マイルスデイヴィスがフランスで、jazzを映画音楽に使ったのは初めてのことではないでしょうか。




  ルコント監督が、尊敬する監督、俳優達。

 ・・・・・・・・


  
  ルコントが、ペペルモコ役のギャバンに見ていたもの。
  「勝手にしやがれ」のゴダールの映画手法(たしか、淀川さんは、美しい映画を壊したのはゴダールと、どこかで書いていたような気がしますが、彼の尊敬するルコント監督が、そのゴダールを敬愛していたとは、・・・・・・・・興味ぶかいです。)


  そのあたりは、気になります。記憶力があまりないので、こんどじっくり調べることにしましょう。




「髪結いの亭主」。
ルコントの代表作。誰しもが見たとは思いますが。


 ルコントは、実は自分でカメラをまわしています。
 このようなことは、アメリカハリウッドでは、まず、ないでしょう。
 ゴダールも四人ほどで、映画を撮っていたと書いていますから。


 やはり、少人数でこつこつ、つくりあげていくプロジェクトでなければ、できないことですね。
 ルコントが一度は、アメリカハリウッドに渡って、また、フランスにもどったのもわかるような気がします。







■パトリス・ルコント監督プロフィール Patrice Leconte, 1947年11月12日 パリ生まれ。IDHEC(L’Institut des hautes études cinématographiques)卒業後漫画雑誌『Pilote』のアシスタント、バンド・デシネの漫画家またイラストレーターとしてで働く。『仕立て屋の恋』(’89)、『リディキュール』(’96)でカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に、『フェリックスとローラ』(’00)、『親密すぎるうちあけ話』(’04)がベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品。『列車に乗った男』(’02)はヴェネツィア国際映画祭のコンペで観客賞受賞。『リディキュール』で第22回(1996年度)セザール賞作品賞と監督賞を受賞している。コメディ、ドラマ、ラブストーリー、アクションまで幅広いジャンルの映画を製作している。© 2014 by Peter Brune


  



シネマ。「髪結いの亭主」



   敬愛する淀川さんの尊敬するルコント監督の作品。
   不思議で、謎のシネマ。 

 
   女性はいつも笑声の絶えないアリスなのですが、このシネマでは、もうひとつの、
   魔女的な魅惑の理想の女性がでてきます。きっと、ルコント監督の理想のイメージが かさなっているのかもしれません。





   この映画。淀川さんの顔がいつもいつも、連想されます。
   彼にとって、生きるということは、シネマとともに、シネマを見ることだったのですから。




 ところで、このルコント監督の映画。

個人的には、「タンゴ」「仕立て屋の恋」「髪結いの亭主」が好きです。「イヴォンヌの香り」もまた、素晴しいです。




彼の作品をよくよく見れば、わかるのですが、彼の理想の女性観・・・

それが、自分の気質と合うと思っています。



今はやりの、主義主張をアッピールする女性、頭の良さをガンガン見せるようなタイプの女性ではありません。

なんというか。


女そのもの。女の原型というか、善くも悪くも「男性が女性として、尊敬し、憧れ、また、くりかえし愛することのできる女性」、・・・


「永遠の女性」・・・そんな感じがあって、好きです。


ジョルジュ・バタイユが、エロティシズムは、モノに近づけば近づくほど高まる、と書いていますが、お喋りな、男性でも女性でも、色気がなくなっていくということですね。


 たとえば、



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ジョージ・ハリソンの「something」がこのパティ・ボイドに捧げられていた・・・


 

 

 

 




ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの前妻として著名である。ハリスンの「サムシング」および「フォー・ユー・ブルー」、クラプトンの「いとしのレイラ」、「ワンダフル・トゥナイト」 や「ベル・ボトム・ブルース」といったラブソングにインスピレーションを与えたとされる。



いとしのレイラ



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 確か、ダリもそうでしたね。ガラという他人の奥様を自分のものにしてしまい、自分の芸術に昇華してしまって、もう誰にも真似できない愛し方をする。・・・・

 岡本かの子も、ふたりの若い男達と、旦那と一緒にくらしていた。
 谷崎潤一郎氏が、妻の妹に、惚れて、その刺激からインスピレーションをもらって、
「ナオミ」つまり、「痴人の愛」を完成させたとか。・・・・



「痴人の愛」は、世界の若者にも、インスピレーションをひろげています。
たとえば、このクリップ。






 自分の好きになった相手の女性がどんなに悪魔的な女であろうと、自分ののめり込む気持ちを押さえることはできない、そんな男性の心理を徹底して掘り下げていますが、
 谷崎潤一郎の妻の妹に対する実際の気持ちが投影されているからこそ、
 深くて、感動する作品にしあがっています。

 晩年の谷崎潤一郎の作品にも、それらのエッセンスが、強く感じられますね。



儒教的な視点から見ると、とても、まともな人間とは思えない行為。


しかしながら。


 芸術家は、そこを超えて、美=自分なりの宇宙を、つくりあげようとしますから。

 それだからこそ、見ている人、読んだ人に、とてつもない感銘を与えるのだと、私は信じます。



 『卍』もそうですね。
 
 『卍』(まんじ)は、1928年に雑誌『改造』に発表された谷崎潤一郎の長編小説が原作ですが、

 三島由紀夫のたしか「春子」同様に、女性と女性の関係を、微妙な観点から書いています。
 どうやって、谷崎がこの小説のモチーフを拾って来たのかは、わかりませんが、
 あれだけ、人間洞察力のある作家ですから、普段から、身の回りの人間を深く観察することによって、ヒントをもらって、書いたのだと思います。


『卍』

今、クリップはこのようにもうなくなっています。



それで、新作の卍もまずまずですが。   古い方が断然に良いですが。

 

 

 

 

 




 この、『卍』。

 よくできた映画です。

 くりかえし見ても飽きません。


 監督の増村保造。

 卍や、上記の「痴人の愛」の他に、三島由紀夫氏の「音楽」や、川端康成氏の「千羽鶴」もつくっているはずです。



 

 異性への強い憧れ。・・・・・・特に男性がひとりの女性に対する強烈な憧れ。
 





  
 artistの世界では、他人の妻に対しての憧れそして、あるいは、ひとりの女性の強い魅力、それをインスピレーションとして
作品をつくりあげていくというのは限りなく事例がおおいですね。









女性というのは、良く言われますが、マリア型とヴィーナス型がいると。

 マリア型は、子供の愛し方、聖母マリアのイメージで母親像の清らかなイメージがあります。
 
 ヴィーナスつまり、アフロディッテ型は、子供を生む事を拒否し、男から男へと自由奔放に蝶飛する女達。




 ある作家が、家庭というものは女性を美しくはしないと書いていましたが、それはそれである意味あたっているでしょうね。


 

 世俗の現実にどっぷりつかっていたら、美意識がなくなっていくのは、男も女も同じです。
 (数十年も自分の伴侶を見つめ続ける人が家庭の天才です。
 人は見つめられてこそ磨かれて行く訳ですから。)





  ピカソの奥様、何人目だったか、artはエニグマなのよ、と言ったとか。
エニグマ・・・謎。 謎があるから、この世は楽しい。そこに宇宙がひらける。想像力の跋扈する世界です。







  道徳はこの世の乱れを整え人々が暮らしやすくするためのもので必須なものですが、芸術もまた小林秀雄氏が、書いているように「歴史に埋もれたる人々の魂を救う網をつくりだすもの」。
  そして、オーラを発する女性の存在はかずかずの、名作の触媒として、芸術家たちの心を虜にしてきたことも事実です。


  

 たとえば、ルドン。


 ルドンの絵にはあまり、女性は登場しないように思われていますが、
「ベアトリーチェ」とはダンテの「神曲」に出てくる女性で、愛を象徴する存在として神聖化された「永遠の淑女」がでてきます。


 若い頃の黒色だらけの「黒の時代」をへて、晩年、長男の死を乗り越えて、次男が誕生し、また、個展開催や、作品が、国に買い上げされたりして、しだいに、色相が豊かになっていきます。

 色というのは、心の部屋を暗示させる、不思議なひとつのキーワードです。


ルドンの理想の女性像のイメージから描いたのでしょうか。「ベアトリーチェ」
 






音楽は夜の芸術であり、夢の芸術だ。
絵画は太陽の芸術であり、光の芸術だ。  ルドン





「黒の時代」・・・  心のサプリ    



ココ・シャネルとストラヴィンスキーの恋ではありませんが、愛や、恋は、作品に艶を与えますね。
  心のサプリ    





画家とモデルというのは実に不思議な関係です。
あるいは、作家と強烈なるオーラを放つ女性。・・・・・



モデルで絵の価値がぐっとあがった作家もいます。
というよりも、モデルが良いと、パッションが増大するんでしょうね。


その意味でも特に、女性という生き物はたいしたものです。

男を振り回し、男に情熱を沸き起こし、(子どもを産めない)男に作品を産ませる。
その分、飽きられて忘れられてしまうのも女性ですが。・・・・・人生は残酷な面もまたありますね。




ルコントから、谷崎、そして、ルドンときてしまいましたが。・・・





  心のサプリ    

彼の馬。
じつにいいです。
さまざまな影響受けました。
このオレンジ。
光の捉え方が印象派とはまったく違う。
モローとそのあたりが似ているのです。
そのまま目に見えたように描くことからの、
一歩前にコマの進め方がそこにはあります。
  心のサプリ    

























   人間は、脳でつくりだしたこの世に生きている以上、とにかく、好きなことを好きなだけしている時こそが、一番の幸福ということですし、それが出来ない人は、一生、脳で発生する、愚痴不満の時間と空間のなかに、ひとり、おいてきぼりされるというわけです。
    これは苦しみ以外のなにものでもないですね。



 最初の写真ですが、紀田順一郎氏の、部屋のなかで、本を探したり、映画のフィルムをまわしたり、・・・・・・彼の「幸福」を写真から感じます。
 







 これまで、書いてきましたように、ルコント監督が、ゴダールに出会い、ギャバンに出会って来たように、あるいは、谷崎潤一郎が、千代夫人や、その妹に出会ったように、・・・・・・・・・・・・・人生は不思議な出会いに、満ち満ちています。


 作家と、モデルの関係は、「名作」の誕生という観点からも、パッションの放出という観点から見ても、ある意味、運命的な、関係です。



 そこに、普通の因果を超えた、運命的なシンクロ二シティを私は、感じます。つまり、偶然ではない必然の複数の糸!!!!



 最初の「死刑台のエレベーター」。
 マイルス・ディヴィスが、ミュートで、映画音楽をつくっているのですが、
 彼のシンクロニシティについて、考えてみました。




ユングは、ノーベル物理学賞受賞理論物理学者ヴォルフガング・パウリと後に1932年から1958年までパウリ=ユング書簡と呼ばれるパウリの夢とそれに対するユングの解釈におけるシンクロニシティの議論をし、それをまとめて共著とした"Atom and Archetype:The Pauli/jung Letters, 1932 - 1958"(『原子と元型』)を出版している。[1]
同書のユングの説明によると、人々の心(複数の人々の心)にあるファンタズム(夢・ヴィジョン)と主観は同時的に起きているのであって、ファンタズムが起きている時には互いの心に(ファンタズムが)同時的に起きていることに気づいていないが、後になって客観的な出来事が、多かれ少なかれ同時的に、離れた場所ですら起きたと判明することになり、それについて(客観的な出来事が)シンクロ的に起きたのだと確信的に考えることになるという[2]。
なお、ユングは様々な著書で、人間の意識同士は実は、集合的無意識(collective unconscious)によって、そもそも交流しているということは述べている。集合的無意識が、人々の心、人々の主観的な意識に入ってゆく過程を、ユングは「個性化」と名付けた。またユングは個々の人の意識が集合的無意識へと反映されるプロセスもあるとしている。人の心は表面的には個別的であるかのように見えてはいても、実は根本的には交流しているのだとしているのである。
ユングは、coincidences コインシデンスについても、(その全てではないにせよ、少なくとも一部は)単なる「偶然」によって起きているのではなく、co-inciding(共に、出来事を起こすこと)、と見なしたのである。



 

 

 



このマイルスと、コルトレーンの二人の競演している貴重なるクリップを見ていて、いろいろ考えていた。
 ふたりとも、同じ年に生まれている。1926年。
 この二人がいなければ、現代のjazzもないくらいな存在であることは私のようなjazzにさほど詳しくない者でも知っている。


 このような偶然。意味ある偶然(ユング)、複数の必然の運命の糸、は、私たちの、身近な生活のなかにも、にもたくさんあるのではないだろうか。



・・・・・むかしむかし。

  
  高校生の頃、仲良しとともに、札幌に行く時に、朝みんなでカレーの立ち食いをして出かけた。札幌で、昼ご飯が面倒ということで、またまた、カレー。そのときに、ひょっとして、家でカレーじゃぁないかという、ふと、そんなことを強く思ったのだった。
  案の定、家にもどって、母親が今日はカレーだよ、と言った時に、ひどく、興奮したことを思い出す。
  つまらない偶然なんだろうけれど、いつまでも、覚えている、一日に三回のカレーライスだった。





・・・・・・むかしむかし。





  埼玉の川越に出張した時。

  電車の中で、昔大学生の頃の、友達Tのことをたまたま、考えていた。
  「あいつとは、もう15年も会っていないなあ、何やってんだろうか」と。

  静岡に実家がある男で、昔、そこへ泊まりにいったこともある。
  シェークスピアの研究をしていた他の友達と仲が良かったのだけれど、三人で、よく茶を飲んだことも、多く、一度は、私が映画研究会にいたので、その二人の男性と、友人の女性に頼んで、30分ほどの、私が監督をして、八ミリ映画を作った事があったのだった。
 「夏」という題名にした。

 ふたりの仲の良い男性と、そこに現われた、ひとりの女性に対する複雑な気持ちを
 自分なりにつくったのです。




  その映画のBGMは、もちろん、マイルスの「サマータイム」。 

  
  そんなことを考えながら、本川越の駅に降り立った。


初めての場所だったので、駅の近くの本屋、こじんまりとした小さな本屋にまず入った。
(私は出張の時には、かならず、そのおりたった地の本屋や古本屋をまず見てみるという、癖があります。駅前にそれらがない場合は、しょうがありませんが。)

 
  あまり時間がなかったので、10分ほど、文庫を見て一冊選んで、カウンターに行った。


  男性が下を向きながら、ありがとうございますと言いながら、本にブックカバーをつけてくれた。
  私は、彼のうつむいた顔をぼんやりと見ていて、何も考えていなかった。


  釣り銭をもらい、ふと、彼の顔を見た。

  Tだった。

  この時の驚愕の瞬間だけは今でもはっきり覚えている!!!


  神奈川の大学で一緒に学び、遊び、お互いに、15年前に卒業後、別々の道を歩いていた。
 

  私は横浜から、北海道、そして、北海道から、池袋に転勤。

  彼は、大学卒業後、まったくの音信不通。

  それが、いくら日本は狭いとは言え、たまたま、本川越の小さな本屋のカウンターでばったり出会う・・・・そんなことがあるのだろうか・・・




   彼もまた、目を丸くさせて、口をあんぐりあけて、「おまえか・・」と呟くのが 精一杯。



 その後、喫茶店で、おちあう約束をして、懐かしき話をした。





・・・・・・・・・



 このようなことは、思い出せば他にも数えきれないくらいある。この記事を読んでいただいてる方にも、きっとたくさんあると思います。




  偶然。いや、複数の必然の糸によって、そこに導きだされるように操られる運命の糸。





 昔の偉い哲学者も、この宇宙の混沌カオスというのは、たんなるランダムなのだけれども、その中に、不思議と、サクランボの数珠つながりみたいに、同じようなことが連鎖して起きるそんな力があると予言している。


 めったにおこらないことは、二回三回続けて起こるというではありませんか。


・・・・・・・・



 昔、とある本で読んだこと。
 ネプラスカ州内のビアトリスという町だったか、そこで週1、合唱団として練習をしていた10人の男女。
 その日だけ、たまたま、全員が遅刻している。




 午後、7時半に集合ということになっていて、普段の日は、ほとんど遅刻も少なく練習がおこなわれるのだけれど、その日だけ、全員が遅刻したという。

 確率的に、このような全員の遅刻というのは、数億分の1の可能性しかないという。

 そして、さらに、意味ある偶然(ユング)、だったのが、
 その日の、7時25分に、その練習の行なわれる筈の教会で爆発事故があり、教会が全壊していることだ。

 
  これは事実であり、記録も残されている。


  しかしながら。


  確かに、なにやら不快な感覚。気持ちの悪い感じ。行きたくないという無意識の感情というものが、生まれていたのかもしれない。





  記憶ははっきりしていないけれども、確か、アイロンの仕事がおくれていたとか、テレビのスポーツ中継が後少しで終わるはずだったからとか、自動車のエンジンがなかなかかからなかったとか・・・・・・・・・・そんな複雑なる複数の糸によって、・・・命が助かる。


  不思議なこともあるものだ。


  しかも、全員。たまたま。


  ライオネル・ワトソンによれば、ある電車事故があり、その事故の7日前、14日前、21日前、28日前というふうに、乗車記録を調べた人がいたらしく、それを何年も何年も記録にとっていたのだが、やはり、事故の日の乗車の人数は普段よりも、かなり少ないと記録が物語っていたという。



  人間には、そのような危機・危険から身を守るための、なにか力みたいなものがあるのだろうと思う。原始の時代にはその力は、必須なものだったから、皆が持っていたけれども、現代人のなかでは、限られた人だけのものになっていたのか、あるいは、カオスのなかの、意味ある偶然のサクランボの数珠の連鎖を、無意識として感じ取り、その事故から、逃避したのかもしれない。





 ということは、さきほどの作家とモデルの話しにも、もどりますが、
 普段から、作品のことばかり考えている、そして、それらのシードが、無意識界におりている人達にとってみれば、
 出会う人たちや、出来事は、自分みずからで、ひきよせていることになります。







  わたしは、このような話が好きだ。


  なんでも、かんでも、ただ金金、合理的に分析、すべてのことを理解しているような顔をして、暮らしている人には興味はないし、話していても、つまらない。

   


  まだまだ、人間には理解不能、科学の力でも、とうてい把握できないだろう「意味ある偶然(ユング) 」というものがあるのだと思う。


  ユングは、それを有名な言葉で、「シンロクニシティ」と表して、ノーベル物理学賞をとったパウリと一緒に研究論文をだしている。


  考えれば、考えれるほど、この世は「シンロクニシティ」で、それが、小さなものであっても、大きなものであっても、いっぱいである。


  今ここに「在る」自分の存在でさへ、「シンロクニシティ」の力によって、生かされている、そう感じる今日この頃。




 マイルスとコルトレーン。この奇跡のような、ふたりが、1926年に生まれた・・・そして、同じjazzの路を歩み始めて行く、というのはまことにすごいことだと思う。そして、その赤子のふたりが、いずれ、jazzを目指して、歩み始め、
 実際に一緒に演奏をし始めたということ、今更ながら、感動した。

 そこには、きっと、複雑に絡み合う、必然の糸がたくさんあるはず。






  
ところで映画。


ルコントを語るうちに、こんなところまで、きてしまいました。
最後に、好きな俳優。ライアン・ゴスリングのことを少し。





  
男性作家が、いつも心のなかで、おい続ける永遠の女性像。
ルコントの作品のなかにおける、無名の女優達にも、個人的にわたしは、
ルコントの理想の女性像を感じます。


その逆に。


私が好きな、永遠の男性像のひとり。
それが、彼です。ライアン・ゴスリング。


 
ジェームズ・ディーンのように、はにかみ、無口で、自分が思い立った事や、好きな人のためであれば、どんなことでもやりのける。


「きみに読む物語」の主人公は、適役でした。

現実的で、アリスのように、うさぎを追いかけては、あちこち、心の迷いとともに、運命の糸にひきまわされてしまう彼女。


彼女を思う気持ちが、ひとすじで、まったくそれ以外のことに動じない強い心のライアン・ゴスリング。

彼の映画は、まだまだ、全部見ていませんが、この二作は、とにかく、彼の魅力が上手にひきだされていると思います。


ライアン・ゴスリングは、2017年、「ブレードランナー2」に抜擢されていますので、
今から、楽しみです。









Rachel McAdams Audition Tape



 


ライアン・ゴスリング。

はにかむところがすごくチャーミングというか、無口がすごく似合う男。

もちろん、現実な彼は、生きていくためには、講演をしたりすることもあるだろうし、ファンへのリップサービスもあるだろうし、妻や恋人のための、リップサービスも欠かさないような男の優しい気質を感じる。



でも、それでも、彼は寡黙が似合うし、そのようなイメージをどうしても私のようなファンとしては持ってしまう。



「一途」とか、「信念」とかを感じさせる、俳優。
 私の一番弱いタイプの俳優。


その彼の寡黙なところが、「きみに読む物語」以上に、さらに引き出されているシネマといえば。

「ドライブ」だろう。



 男性のための男性による男性だけの映画。

 男の本質がよく描かれている。

 寡黙=男の色気という言葉を思い出す。



 「君に読む物語」でも、ライアン・ゴスリングの「相手を一心不乱に愛するひたむきさ」の演技が光っていたが、もともと、何があってもやるといったらやる、という男性の遺伝子の一番良いところを持っている役者。



 ある意味、顔の雰囲気は違うが、「サムライ」のアラン・ドロンをも連想する。
 あるいは、昔の任侠映画。



 死ぬとわかっていても、負けるとわかっていても、好きな人のために死すことを覚悟で、
 勝負にでる・・・・泣ける映画。

 私自身、寡黙などまったく似合わない人間なのでライアン・ゴスリングのこの寡黙さには憧れる。
 映画のなかだけの男の中の男、いいではありませんか。



  たしかに、彼の寡黙のイメージはあくまでも、私のイメージであり、現実の彼は、実に、スムーズに言葉をあやつる男性俳優です。

 でも、やっぱり、クールだと思います。










 映画からたくさんの愛をもらってください   淀川長治




               FIN