昔は、少年マガジンと、少年サンデーというマンガ雑誌がありました。
少年キングというのもありましたね。
当時は、こづかいが、月に200円でしたから、好奇心の強い私は、たくさん、マンガを読みたくてしょうがない
ど田舎のひとりの小学校の少年にとっては、一冊50円程度のマンガ雑誌を買うのが一番の楽しみでした。
町にニ店舗しかなかった本屋で、まず、マガジンを買って、それからサンデーを立ち読みしておもしろそうだったら、それを買い、こづかいがまだあまれば、キングを買いました。
まだまだ、ジャンプなんていう怪物雑誌のない時代でした。
ちばてつやの「紫電改の鷹」という戦記マンガ。
大好きでした。
アメブロで、ちばてつやさんが、まだアップしてくれています。
もう50年が経つというのに。すごい人です。
また。
「黒い秘密兵器」という野球マンガ。
今の大谷ではありませんが、夢中でみました。
まだ、他にも連載が楽しみなものがたくさんありましたので、発売日が一番の幸福な日でしたね。
そんなこんなうちに、中学生になって、1年の時に、「COM」という不思議な題名な雑誌を見つけました。
そこに、手塚治虫氏の「火の鳥」が連載されていて、創刊号から、これはもう読まねばと、即買いしたのでした。
石森章太郎の「ジュン」もそこで実験マンガを描いていました。
そして、永島慎二の「フーテン」。
一番気になったのはCOMの最後のページで、新人募集の記事があったことです。
ここから、岡田史子氏
やら、長谷川法政氏やら、宮谷一彦氏がでてきました・・・
当時は、漫画家になるなんて言ったら、親からどなられる時代です。
いまでこそ、漫画家はもうかるなんて言われるようになりましたし、世界に日本のマンガやアニメがひとつのartとして認められるようになってきたのですが、
これもまた、貧乏を苦とせずに、必死にマンガ青年・少女に徹した人達がいたからこそですね。
手塚、石森、赤塚、藤子不二雄、水野英子などなど。
トキワ荘の漫画家たち。
ありがたや。ありがたや。
今のsnsの時代の本が読まれない時代とは全く違って、あのころの漫画家は、よく音楽も聞いていましたし、文学もすごく読んでいて、それがマンガに生かされています。
みんな漫画家でありつつ、活字中毒でした。
石森の傑作。ネットからお借りしました。ありがとうございます。
そんなパッションの中から、次世代のakiraやら、甲殻機動隊やら、ガンダム、エヴァンゲリオン、鬼滅の刃、進撃の巨人、などなど がでてきますね。
宮崎駿氏も、そんな人達とは一線をおきながらもおたがいに影響はうけてきたのではないでしょうか。
ガロというCOMのライバル雑誌からもまた、つげ義春氏やら、楠勝平氏やら、でてきましたね。
あの時代の小さな頃の胸のときめきは、今でも、この雑誌を手にすると、はっきり思い出すことができます。
本にはその意味でも思い出がぎっしりつまっていくものですね。
このCOMの創刊号から、最後の号まで、全て持っているのが私の宝物ですね。
今の所、全部持っているのは、私と、小林よしのり、くらいでしょうか。(私の知っている限りですが)
漫画は売れようと、売れまいと、好きな絵を漫画にして、小さな頃の夢を今、少しづつ実現している私は、本当に、幸福な
男だなあと、つくづく、思う昨今。
お天道様に、感謝です。