昭和歌謡中毒。
それが私です。
私はそれらの音楽を聴きながら、勝手な自分なりの創造空想妄想をしながら、脳みそに音楽を刻み込みつつ、日本のjpopも、世界にファンを獲得したのもyoutubuのおかげだなあ、とつくづく感じています。
以前。
とあるドイツ人がこう言っていました。
たまたまコメントをくれたのですが、「昭和の日本の女性が好きだ。今の日本人の歌手は綺麗なだけ」と、普段私が思っているようなことをコメントしてくれて、彼のコレクションを見ると、ずらりと、レコードコレクション。
確かに昔の昭和歌謡の歌姫たち。
個性があり、オーラがあり、群れを嫌うような孤独の匂いが好きでした。
先日も、日本の演歌に憧れて、日本に来た外国人が演歌を楽しそうに黒人さんが歌っとりました。普通に考えれば彼にはjazzがあるのになあ、ブルースがあるのになあ、と思うのですが。
テニスのナオミ。素晴らしい。
あるいはテニスの最近優勝した父親の英才教育母親がフィリピン人の彼女。←名前が出てきません。がはは。
混血が進んでいます。
世界的にこれはフツーのことですね。日本は島国なので、抵抗が昔はありましたが、今や、若い人はもうそう言う抵抗はないでしょう。
私の以前の会社の優秀な部下が、カリフォルニア、ブラジルに、嫁に行きました。子供達も元気で美しい。
と言うわけで。日々、徘徊5000歩き足腰筋肉後半分。日々修行。日々実験。←水彩 色鉛筆 パステル アクリル 油彩
好みは人それぞれ。
みんな自分たちの青春と見事に絡み合っていますから。
私にとって、明菜ちゃんは、「表現者」そして、松田聖子は「芸能人」です。聖子ちゃんの歌は甘くて切なくて素敵ですが、それだけ。明菜ちゃんの歌は、ある意味魂の慟哭。
その時の気分で、楽しみます。
聖子ちゃんが悪いと言うのではなくて、あくまでも私の好み。
としをとり、ソファーに寝そべって、なんの心配もなく、体の劣化を防ぐこともなく、心の青春を失っていく人たち。
としを取っても、いつも何かに悩んでさまよい、徘徊し、酒を飲んでしみじみと、何かに没頭し続ける人たち。
みずみずしい子供のような好奇心に満ち溢れ、何かにこだわり、軋轢を恐れずに突き進む人たちは、いつまでも心の中では青春を持ち続けている人たちです。私はそう言う人になりたいです