安野モヨコのhappy mania は、ユニークだ。
電車の中で、ひさびさに、顔がひきつるほど笑える。
人の目が気になる。
おじさんが、いくら、表紙をかくしているとはいえ、満面笑顔で
何かを隠し読んでいる。
あやしい。
かばんの中に、きどっていれたり、とりだしたり、青春時代に
よく思い出し笑いをしたことを思い出す。
いいなあ。
馬鹿さかげんが、最高に楽しい。
桜沢エリカや岡崎京子よりも線に魂はいっている。
ひとつ、4巻で気になったこと。
たしか、OUTとかいう、ミステリーでアメリカのポー賞をとった筈の有名な女流作家がこんなあとがきを書いていた。
「女性には性欲がないと今でも信じている哀れなおじさんたち」
彼女の本はまずまず好感を持っていたが、もちろん作家は人間性よりも作品それ自体が素晴らしければ私はいっさい文句は言わないタチであるが。
彼女の作品はまずまずである。
彼女の思想は気に食わない。
「女性には性欲がないと今でも信じている哀れなおじさんたち」
この書き方がはっきり言って、幼稚。
この2000年の人類の日本の歴史も、何億年前からの人類の歴史も、良い悪いではなくて、必要は発明の母であるからして、人類は「男性上位」の文明・文化を発明してきたのである、そう私は考えている。
なぜならば、この人類の歴史の中で戦争のなかった期間などというのは、この20世紀のたまたまこの日本のこの50年ほどであり、今から50年前には人々は他人のために男もその妻も腹を切り、首を短刀で切りつける力があったのである。
このたった、数十年である。
だから良い悪いではなくて、皆、国を守るために、男が外で戦い、女は子を守っただけである。
別に逆でもいい。
私は、おかまも否定しないし、専業主婦も、専業主夫も、いいと思う。
女性が男性を食わせるのもいいと思う。
ただ、この世の文化の美は、いまのところ、男性のマニアックな「女性に対する強烈なあこがれ」から、きていることは疑いがないのである。
極端にいうと、今の女性がここまで、きれいになったのも、この「男性文化」の
原理である。
それが嫌なら、女性文化を女性で作って行けばいいのであって、しかし、100年は最低かかる。
記憶違いでなければ男性ホルモンのテストロンがその闘争心のホルモンらしい。
男性の中にも女性ホルモンがあり、女性の中にも男性ホルモンがある。
だから、おかまも、いる。
その、逆も、ある。
だから、OUTの女流作家が言うように、女性に性欲がないと信じるおじさん達は実はそう感じることは、「女性を現実的に見ていない」まさにその「見ていない」「見れない」男の女性に対する強烈な夢志向があるからこそ、ミロのビーナスや、数々の裸婦の傑作やら、女性美に対する崇高なる気持ちが昇華したのであると考える。
女性を神秘の存在と見ずに、outの作者がまさに「おんながおんなを見るそのきびしい目、現実的な目で」男が女を見たら、幻滅しか残らない。
神はそこを人をうまく作ったのだ。
つまり、恋は盲目というように、異性に対しては、批判の目を甘くしたのだ。
そこをoutの女流作家はわかっていないと私は直感したのだ。
モジリアニの愛したジャンヌ。
ココシュカの愛したアルマ。
ピカソの愛したフランソワーズ。
レンブラントの愛したヘンドリッキュ。
クリムトの愛したエミーリエ。
シーレの愛したヴァリ。
ボナールの愛したマルト。
マグリットの愛したジュルジェット。
ルーベンスの愛したエレーヌ。
ルドンの愛したカミーユ。
まさに、男は女を美化するのだ。
美化しないならそれは男ではない。
女性に性欲を発見するようなしっかりした現実的な男は
作品など創作はしない。
立派な子供をつくるだけだろう。
まだまだ、書き足りない。皆、「女に性欲がないと感じたおじさん達」がその女に対する夢とまぼろしを芸術作品に昇華したのではないか。
逆にいうと、女をしっかり現実的に「見すぎると」、美など創作できないではないか。
「女性には性欲がないと今でも信じている哀れなおじさんたち」
この書き方には、イケメンに対しての愛はあっても、ただひたすら泥の中で生き抜いている愚かで馬鹿げたテストロンの盲目的な生命の「性」に対する優しさが感じられない。
逆に言おう。
彼女は、「男には本能的なだらしなさとひ弱さがないと信じている哀れなおばさん」だ、と。
異性は、相手があまり、見えすぎないように、神様が上手につくりあげた創造物なのだ。
だから、人生は楽しく、恋がこんな21世紀になってもばかばかしくても続くのである。
恋愛の映画や音楽がヒットするのである。
男は皆女性の現実は皆わかっているのだよ。
それでいて、朝起きると、また、女性に夢を持ってぶつかって行くのだから。
馬鹿な存在、それが、男。
そして、それが、男の魅力。
安野モヨコのシゲタは、彼女のいうような女ではない。
彼女が魅力的なのは、私が書いた意味での、はちゃめちゃな、
異性に対するあこがれがいいのだ。
その意味では、シゲタは、「こころの男の子」なのだ。
傷ついても傷ついても、恋に挑戦するおんなはそういない。
おとこは女性に夢を見る。
おんなは男性に夢を見る。
なんと素晴らしき、神の創造物、神のコンセプト。