男と女 男と男 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
至高体験の刻を大切に
絵のある生活 を 広めたいです !!!





 男と女。

  不思議な相反する性の存在。
もちろん、子孫繁殖というのは、当然ながら、自然の神が遺伝子のなかに組み込んだ意図ですから、男と女が愛し合うのは基本。

 

  ただ、当然例外もでてきます。
  それが、プラスなのかマイナスなのか。
  私にはわかりませんが。


 今、沈んでいたものが、つぎつぎに、カミングアウトされる時代ですから。


  
 ところで、日本のホモ・セクシャルと言うと。私が尊敬する人だけでも、
 美輪明宏・淀川長治・稲垣足穂・・・・その他、たくさんおりますが。
 もともと、日本は、カソリックなどの影響の強い海外の同性愛とは違って、
 女性を妻としてめとった上での、美少年やお稚児さんを愛するという、
 両刀使いという意味では、たくさんの例があり、また、西洋のような
 強い反感などは意外になかったのではないでしょうか。
 たとえば、森鴎外の森鴎外は、自分自身の性的経歴を書き記した作品『ウィタ・セクスアリス』(1909年)のでこう述べています。
   
   学校には寄宿舎がある。授業が済んでから寄ってみた。ここで初めて男色
  ということを聞いた。僕なんぞ同級で、毎日馬に乗って通ってくる蔭小路と
  いう少年が、彼ら寄宿生たちの及ばぬ恋の対象物である。蔭小路はあまり課
  業はよくできない。薄赤いほっぺたがふっくりとふくらんでいて、かわいら
  しい少年であった。その少年という言葉が、男色の受け身という意味に用い
  られているのも、僕のためには、新知識であった。僕に帰りがけに寄ってけ
  と言った男も、僕を少年視していたのである。


と、あります。)


 また、


川端康成とその弟子である中里恒子との合作としての、「乙女の港」という女性と女性の絆というテーマの小説もありましたね。乙女の港 (実業之日本社文庫 - 少女の友コレクション)/実業之日本社

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 横浜のミッション系女学校に通う女学生たちの交友関係を綴った作品で、上級生と下級生が擬似的な姉妹となって交際するという、当時の女学生の間で広くおこなわれていた エス (sisters-in-law)という風習について描かれている。



 
 三島由紀夫・・・・・・




「私の永遠の女性」。


私の所有する、三島由紀夫全集のなかの評論のひとつです。
真の男性を常に目指す、男として男を愛する彼が、「永遠の女性」について語っています。


 明治時代の女の全身像の写真が好きだというところからそれは始まります。
 実際の写真がないので、クリップにたよるしかありませんが。

















 彼が大好きだった、ラディゲの、「ドルジェル伯の舞踏会」に登場する、フランソワの母親の、ド・セリウズ夫人について引用しながら、

ドルジェル伯の舞踏会 (新潮文庫)/新潮社

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「今日、われらは、弱々しいものでなければ、女らしいとは思なくなっている。ド・セリュウズ夫人のしっかりした顔の輪郭が、彼女を愛嬌のないものに見せるのだった。この美しさは、男達の心を誘わなかった」

 凛としたもの。
 いかつさ。
 犯しがたいもの。
 明治の名芸妓たちの顔にもあるもの。

近代能楽集 (新潮文庫)/新潮社

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 ・・・・・・・・




 ところで。

 三島由紀夫は、おもしろいことに、彼は普段好きな女のタイプは、

「現代風な丸顔で、輪郭のあまりはっきりしない、普通の愛らしい顔である」と書いている。

 (奥様、平岡瑤子とともに)





 しかしながら。


 彼が、書いた、名作の能の現代化としての「近代能楽集」。
 そのなかの、傑作の一編「卒塔婆小町」を、武智鉄二が演出した能を三島由紀夫が、
見た時。
 その感想を書いています。



  「有名なるシーンで、舞台の中央に置かれた台の後ろを老婆と詩人が踊りながら通過して、あちらがわからこちらがわに出てくると、その台が、鹿鳴館に変わって、老婆は、美しいワルツにのつて、ありし日の美しき若き小町となって出てくるのである。」


  そのときの驚愕・・・・。


「ありし日の小町が、閉じた黒い扇をかざし、そのいかにも、明治風な鼻の線と受け口の横顔をあらわしたとき、あまりの美しさに息を吞んだ。そればかりか、戦慄したのである。」


   彼は言いいます。


「 舞台の上の小町は、私の好尚とはひとつひとつ違うのにかかわらず、現実の女性は、これほど奥深い感動で私の心をゆすぶりはしない。こんなに私の全精神をゆすぶり、私の歩んできた人生を縦に貫く稲妻のような感動で、私を戦慄させはしない。


  舞台が、すんで、舞台関係者と吞んだ席では、小町を演じた浜田洋子さんは普通の美しい女性であり、残酷ながら、けっしてさっきの小町ではなかった。 」



 彼は、そこで、自分の母親のことについて触れているが、このあたりはかなり興味深いです。



 「実際、永遠の女性らしいものを近代文学に探して失望しないのは、泉鏡花の小説ぐらいなものでろう。そのヒロインたちは、美しく、凛としており、男性に対して永遠の精神的庇護者である」



   上の三島由紀夫の言葉は深くて興味深い。
 小さな頃から、母と離れて、祖母に育てられた、そのいきさつは、彼の傑作「仮面の告白」のなかにも、詳細に書かれています。

  特に、彼の、女装に対する偏愛のことまでも・・・・






  現代。女性がすでに男性を愛する力を失った時代とも言われいます。


  この現代の情報のあらゆることを、ひたすら、頭に詰め込んだ女性達は、ひょっとすると、細かな部分の欠如にだけよくよく気がつき、そこからノイローゼ的に離れることができなくなっているのではないか???


  分析ではなくて、統合として、男性を包み込むことを体験できなくなった・・???

  

 そんな時代。三島由紀夫のひとつひとつの言葉は、
アンドロギュヌスの彼だからこそ、納得できる言葉でもあります。


 (しかしながら、彼の女性観は、永遠の精神的庇護者と、書いたり、褒めたり、あるいは、けなしたり、少しぶれている部分もありますが、「笑う」ことこそ、女性の本質なのだと看破するようなセンテンスを、とある小説、たしか、「春子」だったかに、書いています。)


 「春子」・・・主人公は19歳の男子学生。主人公の叔母、春子と叔母の義理の妹の18歳の路子とのレズを取り上げています


真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)/新潮社

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 ところで。三島由紀夫の愛したドイツの作家。トーマス・マンに、アンドロギュヌスの傑作があります。


  「ベニスに死す」です。


(ドナルド・キーンによれば、三島は自身の代表作『金閣寺』の文体を「鴎外 プラス トーマス・マン」だと述べており、キーンは『暁の寺』にも『魔の山』からの文体的影響を指摘している(『悼友紀行』、中央公論社)。)




 淀川長治さんも、アンドロギュヌスでしたから、この映画を愛していました。


  
 
  ビョルン・アンデルセン「言うまでもなく、ベニスに死すですね」








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こんなに成長してしまいました。人生とは、実に、過酷なものです。

花の色は うつりにけりな いたづらに
   わが身世にふる ながめせしまに

             小野小町



やはり、美というものは、ブレイクではありませんが、「今ここ」=「瞬間のなかの永劫」ですから、花もいつまでも咲きつづけることはできません、・・・いつかは、枯れて、しおれてしまうのですから、・・・・・・たがら、逆に今の美しさが、みずみずしく、なおさら、美しい、そういうことでしょうか。


・・・・・・・・・・・・




美男子の世界。


ところで。



  私が好きな映画評論家は、もちろん、淀川長治氏です。名作はあなたを一生幸せにする―サヨナラ先生の映画史/淀川 長治

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 理屈、理論よりも、好きで好きでもうどうしょうもないくらいに映画が好き、というそのはちゃめちゃが好きです。


  稲垣足穂をだすまでもなく、男色家の人は両刀使いの人が多い筈で、要は、人間の美しさというものを普段から考えています。


 そこで、少年好きの、淀川長治氏はどんな美少年が好きだったかということを、最後に、備忘録しておきましょう。



 まずは、鉄道員。私の愛するイタリア映画の傑作古典です。監督は、戦後のイタリア映画復興の基礎を築き、ネオ・レアリズモの三大巨匠がロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンティで、ネオ・レアリズモの最後の旗手が監督、脚本家、それに俳優のピエトロ・ジェルミであると、資料にありますね。



 

  エドワルド・ネヴォラ
 サンドロ少年として、出演しています。
 淀川さんが大好きだった美少年子役です。




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 はにかんだ感じが素晴らしい。



 次に、「旅情」。これは素晴しき作品でした。・・・キャサリン・ヘプバーン。
 ほんとうの美人です。




  この、はだしの少年らしいです。     「旅情」でキャサリン・ヘプバーンに万年筆を売ろうとつきまとう少年なんですが、クリップ中に、少ししかでてきません。

 淀川さんは、生涯、「映画と結婚する」と小さな頃に決意して、一生独身でしたから、
 子どもさんもいませんでしたので、小さな少年=自分の憧れとして、見ていたのかもしれません。









日本でも、歌がヒットしました。






(ストーリー
アメリカの地方都市で秘書をしている独身の38歳のジェーン・ハドソン(キャサリン・ヘップバーン)は長期休暇を取り、念願であったヨーロッパ旅行の夢を実現させて、ロンドンとパリを観光後、オリエント急行に乗って、この旅行の最終目的地である水の都・ヴェネツィアを訪れる。ヴェネツィアは街中に水路が張り巡らされた歴史のある美しい都であり、ジェーンは駅から船でフィオリーニ夫人(イザ・ミランダ)が経営するペンシオーネに到着する。その後観光に出かけたヴェネツィアのサンマルコ広場で一人のイタリア人男性レナード(ロッサノ・ブラッツィ)と出会う。)




  心のサプリ (本のある生活) 



  オブィデュー・バラン少年。
「モンド・・・フランス映画」  クリップは発見できませんでした。


  心のサプリ (本のある生活) 
笑顔がさわやかですねえ。


  日本の美少年は、花にたとえれば、「梅」
  外国人の美少年は、花にたとえれば、「薔薇」か「水仙」なんでしょうか。


ところで、淀川さん。


 わが映画人生に悔なし (ハルキ文庫)/淀川 長治

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淀川長治氏がテレビに出てきて「みなさん こんにちは」とか言いながら、「本日の映画は」と話を始めると、とにかくその記憶力の凄さといいますか、今はネットなどでスター情報などはすぐに見れますが、当時はいちいち書物などにあたらねばならなかった筈で、きっと彼の想像するに「映画ノート」にはぎっしりと情報が書かれていたでしょうね。


 たしか、英語も映画でマスターしたと言っておられました。


 初対面でむこうのスターと、会ってもすぐに映画の原題やら、スターの情報が機関銃のように連発できた彼は、きっと快くスター達との初対面をなごやかにしたことでしょう。
 


ところで、美少年。

まずは、ウィリアム・ワイラー監督の「デッド・エンド」に出ていた五人の少年。マンハッタンの泥だらけの少年達。$  心のサプリ (本のある生活) 
1937年ウィリアム・ワイラー監督『デッド・エンド』でデビューしたの不良少年グループ。実際映画会社もキッズ達には自由にカメラの前で演じろといっていたので、その調子で最初のシーンである廃ビルの地下室のシーンで、台本を無視したキャグニーをおちょくったせりふを生意気そうな少年が、ギャグニーをからかうと、キャグニーは生意気そうな少年の鼻っ面めがけて、強烈なパンチをくらわせた。「いいか、キッズ、よく聞けよ。俺たちゃここで仕事をやってるんだ。ふざけたまねはお互いにしないようにしようぜ。撮影をやってるときは俺たちはプロだ。やるように言われた仕事はきちんとやることだ。わかったか!」
こうやって少年たちも大人になっていくのでしょう。




 ワイラー監督は、「ローマの休日」や「ベンハー」をつくった監督ですね。
 これらの映画は、若き頃に、数十回も見ました。


 今でも、たまに、突然見たくなるシーンがあり、バッと、DVDを見てしまいます。



 このシーンが、この時代によく撮れたと今でも背筋が、ぞっとするほど感激します。


 素晴しき作品群、素晴しき監督です。



つぎに、「エデンの東」「ジャイアンツ」のジェームズ・ディーン。エデンの東 新訳版 (1) (ハヤカワepi文庫)/ジョン・スタインベック

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なんとディーンが、「銃剣を装備せよ」という映画に数カット脇役で出ていただけなのに、すでに、あまりの美しさにワーナーの宣伝部に淀川さん、問い合わせしています。宣伝部でさへ知らなかったらしいですが。






(エデンの東。完璧なまでに、となりの女優よりも美しいです。)



余談ですが、三島由紀夫氏がアメリカでジェームズ・ディーンのよく行くバーに行ったとききました。

帰国後、ディーンの大ファンの小森和子のおばちゃまが、三島由紀夫にそのズボン(ディーンが座っていたイスに座ったからか?)をくれくれと、ねだったといいます。



まあ噂は噂ですが・・・・ありそうな話ですね。

  心のサプリ (本のある生活) 
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つぎに、エルヴィス・プレスリーって今の若い人は知っているのでしょうか?



この人もかっこよかったというか、スペイン系の美しさだと淀川長治氏は言いますが、そのとうりかもしれません。




生涯にたしか、32本。すべて、主演ででています!!!!!

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この下の映画100年記念の切っては、先日も記事にしましたが、マリリン・モンローとプレスリーのツー・ショットですネ。
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 淀川さんは実に清潔感のある方、美意識が強い方でしたから、たしか死ぬ数年前から東京の有名一流ホテルを借り切って住むようになったのですが、その理由が、「まんがいちの時に下着などが汚れていると嫌だから」と言ったといいますね。


 ホテルであれば、いつでも、下着だろうが、スーツだろうが、いつでもクリーニングしてくれますし、掃除もやってくれますから。


 

 ところで、美少年。


エンデの傑作果てしない物語の映画化された「ネバーエンディングストーリー」に、出て来たふたりの少年。



ヒーローはアトレーユ少年ながら、もう一人の主役はその彼の冒険世界を本の中で見ているバスチアン少年でもあります。
 淀川氏は、このバスチアン少年を美少年だと判断しています。彼の美意識でしょうか。










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はてしない物語/ミヒャエル・エンデ

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モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の.../ミヒャエル・エンデ

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 ところで、美少年ではなく、美男。・・・・・・・




 


 最後の最後は、やはり、淀川さん愛するアラン・ドロン。(私も昔も今も、大ファンです)。


 
 

  この映画、「太陽がいっぱい」

 実は、主人公のふたりの男性たちは、ホモ・セクシャルだったと、淀川さんが、指摘しています。


 たしか、ヨットから、おりてくる時に、普通だと、使用人からおりる筈なので、ここは、映画のルールから判断して、絶対に、アラン・ドロンから先におりるはずはないというのです。


  先におりたという、映画ルールを守らないところから見ても、あえて、2人の関係をここに、象徴させている、というわけです。

  興味深く、この映画をその後、何回も見た記憶があります。



 アラン・ドロンはこんどまた記事を書いてみたいフェボリット男優のひとりです。


 彼の歌も良いです。
 昔、ダリダと一緒に歌って有名だった、「甘いささやき」。
 日本でも、ヒットしましたが、セリーヌ・ディーオンと歌っていた
 クリップをたまたま、先日、見つけました。


 何歳になっても、彼は、渋くて、素敵な男だなと思いました。・・・・













  
  
 淀川長治= 良い映画を何回も見ることが大切です。・・・





              FIN


















◎資料
卒塔婆小町[編集]
1952年(昭和27年)、雑誌『群像』1月号に掲載された。原典の『卒塔婆小町』を翻案した試みや主題について三島は、時空間を超越した「詩のダイメンション」を実現しようとしたとし、「詩人のやうな青春を自分の内にひとまづ殺すところから、九十九歳の小町のやうな不屈な永劫の青春を志す」という自身の「芸術家としての決心の詩的告白」だと説明し[11]、作品の意図については、「現代における観念劇と詩劇とのアマルガム」であるとし、「形而上学的生の権化」の小町と、「現実と共に流転する生の権化」の詩人との対比を語っている[12]。
あらすじ[編集]
夜の公園のモク(煙草の吸殻)拾いの老婆が、ベンチの恋人たちの邪魔をしながら拾ったモクを数えている。それを見ていたほろ酔いの詩人が老婆に声をかける。詩人は、ベンチで抱擁している若いカップルたちを生の高みにいると言うのに対し、老婆は、「あいつらは死んでるんだ」、「生きているのは、あんた、こちらさまだよ」と言う。そのうち老婆は自分が昔、小町と呼ばれた女だと言い、「私を美しいと云った男はみんな死んじまった。だから、今じゃ私はこう考える、私を美しいと云う男は、みんなきっと死ぬんだと」と説明した。笑う詩人に老婆は、80年前、参謀本部の深草少尉が自分の許に通ってきたこと、鹿鳴館の舞台のことを語り出す。
すると、公園は鹿鳴館の舞台に変貌し、舞踏会に招かれた男女が小町の美貌を褒めそやす。詩人(深草少尉)は19歳の令嬢となった美しい小町とワルツを踊り、小町(老婆)の制止も聞かず、「何かをきれいだと思ったら、きれいだと言うさ、たとえ死んでも」と宣言し、「君は美しい」と言ってしまう。そして、「僕は又きっと君に会うだろう、百年もすれば、おんなじところで…」と言い死ぬ。
「もう百年」と老婆が言う。すると、再び舞台が公園のベンチに戻る。死んだ詩人は警官たちに運ばれ、99歳の皺だらけの老婆は、またモクの数を数えはじめる。

関西歌劇団創作オペラ第2回公演
1956年(昭和31年)3月13日 - 14日 大阪・産経会館
作曲:石桁真礼生。指揮;朝比奈隆。演出;武智鉄二。
出演:木村四郎、桂斗伎子、浜田洋子、窪田譲、安則雄馬、伊勢川佳子
※ オペラ化
※ 谷崎潤一郎作『マンドリンを弾く男』と併演。


 1970年

 1960年代後半から70年代にかけてアメリカでは「性革命」という大きなムーヴメントが起こった。1968年「ワイセツとポルノに関する諮問委員会」が設置され、ポルノ解禁を検討し始めたのである。この諮問委員会は、二年間という時間と200万ドルの費用をかけて、あらゆる種類のポルノの実態と、その社会に及ぼす影響を調査し、さらにポルノの全面解禁した場合の社会におけるインパクトを予測したのである。その研究の結果は、全面的に解禁すべしというのものであり、その報告書を当時のニクソン大統領に提出した。しかし、保守派であったニクソンは、アメリカ社会の伝統を守るために勧告を受け入れることはできないとはねつけた。そのためポルノ全面解禁にはいたらなかったが、当代の有識者たちの書いたレポートは、ポルノ容認論に大きな影響をあたえ、「性革命」の大きな礎となったのである。そのためニューヨーク州で妊娠中絶が合法化され、翌71年には、フロリダ州でそれまで州法で禁じられていたオーラル・セックスを州最高裁が容認するなど、性開放の動きが活性化されたのである[立花1984年a]。
 同性愛者たちも「性革命」の動きに呼応して活発化した。1970年、サンフランシスコで開催されたアメリカ精神医学会の総会で、初めて同性愛の病理的扱いに対して意義が申し立てられた。同性愛者とフェミニストの団体が同性愛を病理とみなす医学会に対し、徹底批判をし、会場は大混乱になったのである。その後も同性愛者の学会に対する批判はいたるところで続いたが、もっとも衝撃的な事件は1972年ダラスで起きた。その精神医学会の総会のパネルディスカッションの席で、マスクをした匿名の男性が「私は同性愛者です。そして精神科医です」と公言したのである。この事件は精神科医の中にも同性愛者がいるという事実を明るみにし、また沈黙を保っていた同性愛者の精神科医たちに結束を促したのである[風間1997年]。 
 1971年、デニス・アルトマンが『同性愛-抑圧と開放』という論文を刊行した。これは1960年代のアフリカ系アメリカ人や女性の公民権運動をヒントにし、同性愛のアイデンティティを創造することに焦点を当てた先駆的な理論であった。彼は、この本の中でこう述べている。



◎資料 鉄道員
『鉄道員』(てつどういん、Il Ferroviere)は、1956年製作のイタリア映画。モノクロ作品。

鉄道機関士アンドレアは、幼い末っ子サンドロの誇りだった。だが、長男マルチェロや長女ジュリアからは、その厳格な性格が嫌われていた。
ある日、アンドレアの運転する列車に若者が投身自殺をする。しかもアンドレアは、そのショックにより赤信号を見すごし、列車の衝突事故を起こしかけ、左遷されてしまう。
アンドレアは、ストライキを計画中だった労働組合に不満を訴えるが、とり上げられることはなく、酒に溺れ始める。
その頃、流産し夫婦仲が悪くなっていたジュリアの不倫が原因でマルチェロは父と口論となり二人とも家を出ていった。
職場ではストライキが決行されたが、アンドレアは機関車を運転し、スト破りをする。
アンドレアは友人達からも孤立し、家にも帰らぬようになる。
末っ子サンドロは酒場をめぐって父を探し出し、以前に父が友人たちとギターを弾いて歌った酒場に連れ出した。
旧友たちは再びアンドレアを温かく迎え入れてくれた。そして、家族との和解の兆しも見えた。
しかし、すでに彼の体は……