すぐに消えましたが・・・・・寒かったです。
・・・・・・・・・ところで、鏑木清方。
鏑木清方の絵を見ていていいなあと思ったこと・・・
彼の絵の一枚を、見ていました。
芸術新潮のなかで見つけた一枚「京橋金沢亭」です。
![心のサプリ (本のある生活) -IMG_8509.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20131027/22/huruhon/07/f1/j/o0800060012730107480.jpg?caw=800)
いいですねえ。
清方は、ひょっとして、小さな頃の彼がまんなかの少年として描かれているのかもしれません。
彼は、
「銀座裏・東仲通を新橋の方から来ると突き当たりになるところに、金沢亭という寄席があった。」と書いています。
絵にもありますが、(写真に映っていない部分もあります)、皆楽しそうに、少し気取りながら、お茶を飲んだり、煙草を吸ったり、寿司をつまんでいる人たちもいます。酒を飲んでいる人も見えますね。
まさに鈴木清方の時代そのもの。
日本髪の美しさ。
着物の美。
日本人の良き時代の空気が彼の作品として残っています。
ふと、2009年の頃。退職後に、
ふらりと鏑木清方の家が美術館になっている生家を見たくなって、
鎌倉に旅をした時を思い出しました。
それに、鎌倉は古書店が小さなのに、掘り出し物がたくさんあって、三時間くらい入り浸っていました。・・・・・・
![true](https://stat.ameba.jp/user_images/20090706/21/huruhon/cb/cb/j/t02200191_0439038110208953734.jpg?caw=800)
![true](https://stat.ameba.jp/user_images/20090706/18/huruhon/35/ec/j/t02200099_0768034510208852732.jpg?caw=800)
鎌倉。
6月の24日のこと。
鎌倉の夏はかなり暑いと聞いていたが、やはり、喫茶に逃避してジョン・レノンが来たという駅前の珈琲屋で、有名なホットケーキを食す。
ビールを頼んだらないといわれ、寂しかった。
いくらレトロで人気があると言っても、男性のおじさんも大切にしてもらいたかった・・。
そのあとで、鏑木清方の家が美術館になっている生家を探すも時間がかかり、まいった。
見つかればなんのことはない、雪ノ下めがけてまっすぐの通りを左にまがればすぐにあるのだが、最初は皆こんなものですね。
浮世絵好きの私としては、東京の美人画と言えば、この鏑木清方でしょうね。あとは、伊東深水。
京都は上村松園というところか。
「いきひとがら」という、美しい言葉が日本にはある。特に東京。
漢字で書くと、粋人柄となる。
まあ、意味は江戸時代の粋にはまりすぎることもなく、かといって上品一辺倒の野暮でもない、その中間のところでたゆたっている女性ぐらいの意味か。
鏑木清方の美人画を見ていてそんな言葉を思い出す。
関西に彼の同門の稲野年垣がいるが、彼の門下生の北野垣富がいて大阪で活躍しているが、彼のまた弟子が私の大好きな中村貞似がいる。
<中村貞似 読書 >
なぜ好きかと言われても理屈ではないので、彼の作品を20代の頃から見てきたのです。
美人画という言葉は実は西洋画にはありませんね。
美人画は個々の綺麗な顔の女性の内面を描くというのではなくて、美人という「仮面」をつけて「美人画」という日本古来の伝統を描くようなところがある、そう私は思いますね。
たとえば、私は京都で、舞妓さんを職業柄見てきましたが、彼女たちの個々の内面やら生活やら思想やらを細かく聞いても、どうしようもないところがあるのですね。(舞妓さんを店に呼んだら、お客様の反応はどうなるのだろうと、若き日の私のアイデア。二日間だけでしたが、けっこうの売り上げができました。やはり店は、人が人を呼びますから、それが売り上げにつながっていくのですね。)
彼女達は、まるで、仮面劇のように真っ白い白粉を顔にぬりつけ、毅然と個人の内面を漏らすことを拒否しているようでもあります。
よく、舞妓さんを見て、「あの白粉は美しくない」という人がいるが、もともと、京都の舞妓さんはそのような存在ではなくて、しっかり、「伝統という樹々のひとつの花としてそこに咲いている」ことを理解しなくてはならないのですね。
と、私は間違っているかもしれませんが、そう理解しております。
竹久夢二の絵画もそう理解すべきであり、彼の絵を二流と言う人もいるかもしれませんが、やはり美人画の伝統を膨らませた彼の功績はアカデミズムがなんていおうが、庶民の感性はそれを忘れさせないでしょうね。
半襟屋という職業が昔まだあったころ、竹久夢二は半襟を大きく開けて日本髪を結う美人画のスタイルをつくりました。
当時としては、珍しい、絵葉書などを売りながら彼は彼なりの美人画を追求していったことは意味があると思いますね。
というわけで、少し脱せんですが、鏑木清方は、深水の師としても素晴らしい業績を残しております。
上にアップした大正三年の「住田河舟遊」はこの期間この鏑木清方の生家にありましたが、ほんとうに素晴らしいものでした。大正時代にこのような風情のある遊びがまだあったのですね。
清方は「にごりえ」の挿絵を書くにあたっても、ある文章のなかに、「直接モデルとして書いたわけではないが、今なお健在であるK夫人、今日といえども明眸衰えずときく、その頃は二十一、二、麗容ならぶものなく、明治における代表的な美人として宣伝された人を常に己の手本として描いていた。」とあります。
このK夫人は、いろいろなうわさがありますが、黒田清輝の描いた「湖畔」の美人モデルつまり、黒田夫人ではないかと言われてますね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20161024/18/huruhon/12/ec/j/t02200178_1506121813780966485.jpg?caw=800)
![true](https://stat.ameba.jp/user_images/20090706/18/huruhon/bc/73/j/t02200099_0768034510208852589.jpg?caw=800)
![true](https://stat.ameba.jp/user_images/20090706/18/huruhon/20/22/j/t00800135_0080013510208853908.jpg?caw=800)