キーン誠己さん ドナルド・キーンさんと養子縁組 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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 ドナルド・キーンさんは好きだ。
 彼がいなかったら、日本文学がノーベル賞をとるのは数十年も遅れただろうと思う。
 賞は別としても、外国の人が日本文学を身近に感じることはそうそうなかったと。

 今だったら、日本のたとえば、吉本ばななさんとか、村上春樹氏の本など、ヨーロッパのどこの国に行っても書店で、目に触れることができるのだと思う。

 そして、かつて、西洋の貴族が東洋に憧れたように、21世紀の東洋の考え方やライフスタイルなどを、好奇心を持って分析・統合していくのだと思う。

 今や、西洋のインテリ達は、日本人以上に、仏教に詳しく、東洋思想を深く研究している。
 自分の葬式を仏教式で、やっているインテリたちも多いと聴く。

 映画「マジソン郡の橋」で、ラストシーン、アメリカ人がほとんど知らない火葬で焼いたヒロインの灰を橋に撒くシーンを連想する。





  彼は不思議と安部公房氏と馬があったらしい。

 三島由起夫氏が少し「乾きすぎ」と評したあの文体。
 外国人には、ちょうど良いのかもしれない。





ひと:キーン誠己さん ドナルド・キーンさんと養子縁組
毎日新聞 2013年09月28日 02時30分(最終更新 09月28日 10時56分)


ドナルド・キーンさん(右)の養子となったキーン誠己さん=木葉健二撮影
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 日本国籍を取得した日本文学研究者、ドナルド・キーン米コロンビア大名誉教授(91)が今春、三味線奏者を養子に迎えていたことを明かしたことは記憶に新しい。9月21日の「ドナルド・キーン・センター柏崎」(新潟県)開館式でも、養親をいたわるほほ笑ましい姿があった。

 思い立ったらまっしぐら。7年前の冬、キーンさんが出演したイベントの楽屋を突然訪ねた。「先生が英訳した『仮名手本忠臣蔵』について教えを請いたくて」と苦笑する。

 学生時代、なぜか人形浄瑠璃に魅せられて国立劇場の文楽研修生1期生になった。1972年から25年間、文楽座で「五世 鶴澤浅造」を名乗り芸を磨いたが、体を壊して退座。同時期に離婚も重なり、失意のうちに帰郷する。幸い病気は完治したが、浄瑠璃への思いは断ちがたかった。

 戦後文楽の黄金時代を知るキーンさんと不思議なくらい波長が合った。「ワタシは1人暮らし。よかったら泊まりにいらっしゃい」。年末年始を共に過ごし、江戸時代初期の古浄瑠璃本「弘知法印(こうちほういん)御伝記」の存在を教えられた。モデルは日本最古の即身仏・弘智法印。約300年ぶりの上演を勧められ、猛稽古(げいこ)の末、ゆかりの地・柏崎で「奇跡的な」公演にこぎつけた。

 「アサゾウ」「先生」。呼び合う息もぴったり。近く2人で弘智法印が眠る西生寺(新潟県長岡市)にお礼参りに行くつもりだ。【中澤雄大】

 【略歴】キーン誠己(せいき)さん。新潟市出身。東京外国語大仏語学科卒。古浄瑠璃の芸名は越後角太夫。同居する東京都内の自宅で三味線を教える。63歳