「昔の人が愛を炎に例えたのは正しい。愛は炎と同じように山ほどの灰を残すだけだからね」
ムンク。
母親を若い頃に亡くし、姉も早く逝く。自分も虚弱体質。
21世紀は、このような「死」や「不安」や「命」の時代とも言える。
ユングやフロイトに始まり、「中年クライシス」や、キューブラ・ロスらの「死ぬ瞬間」やら、
「臨死体験」の本の数々、「夜と霧」、「センスオブワンダー」なども、この流れにあるのではないだろうか・・・。
ショパンの曲に彼が、結核だったので、死の予感からか彼の音楽の色調が哀愁深くなっているというのはよく聴かれるが、ムンクもまた、姉が結核であり、自分も長く生きれないと小さな頃から考えていたという。
人生50年。かつて、命よりも大切なものを皆が持っていた頃、人類は嬉々として何かのために死んで行った。古典を読めばそのような物語はごろごろしている。
21世紀、今や、平均寿命はどんどん延びて、誰しもが平穏のなかに、静かな日常とともに、
音楽やら、絵画やら、文学やらを楽しめる時代が来たんだと思う。
この地球。
ひとりひとりの思い出がこれだけ大きくなれば、もう戦争でその巨大なる思い出を簡単に散らせるわけにはいかないというものだろう。
普通の国家はそう考える(宗教がらみの国家はそうは考えないが、・・・)
日本だけが、平和をいつまで、維持できるのだろうか??
そんなことが許されるのだろうか、この、世界情勢のなかで・・・・
ムンクの絵は、そんなことを連想させる。
1890年代に制作した『叫び』、『接吻』、『吸血鬼』、『マドンナ』、『灰』などの一連の作品を、ムンクは「フリーズ・オブ・ライフ」(生命のフリーズ)と呼ばれている。
しかしながら。
私は、シャガールも好きなのだが、同じ絵でここまで思想が違うというのも、凄い。
やはり、人それぞれ、DNAが違うように、思想も違うのだと思う。
ムンクは、一生涯、理想の女性を求めすぎて、伴侶をつくらなかった、そして、いつでも、不幸なる女性との恋に終わってしまったのかもしれない。
「孤独」「嫉妬」「悔い」「死」「不安」・・・・・
どろどろとした現実の壁。
なんとかしてそこからはいあがろうとする。
しかしながら、空気をつたわって、それを貫く叫びのようなものが聞こえて来る。
そんな化け物のようなフラジャイルな感受性・・・・・
それが、ノルウェイ人の気質なのだろうか?
わからない。
フランス人のシャガール。
妻を一生涯愛し、その人間的な愛は、作品の隅々にまで、行き渡り、見る人の気持ちを癒してくれる。フランス人のように吝嗇であっても、饒舌で人の良いラテン系の血が流れているのか??
しかし。
ムンクの絵も、不思議だが、なにやら、違う意味で、落ち着くような雰囲気もまた持っているのだと私は思う。
そうでなければ、この私の気持ちを強くひきつけるということはないと思う。
安吾が、「孤独」のなかに、「不安」のなかに、自分の「故郷」を見出したように。・・・
シャガールの絵は天に高く、広がり、
ムンクの絵は、地に低く、広がり続けている。
感謝。