宮沢賢治    詩   「政治家」 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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あっちもこっちも
ひとさわぎおこして
いっぱい呑みたいやつらばかりだ
     羊歯の葉と雲
        世界はそんなにつめたく暗い
けれどもまもなく
さういふやつらは
ひとりで腐って
ひとりで雨に流される
あとはしんとした青い羊歯ばかり
そしてそれが人間の石炭紀であったと
どこかの透明な地質学者が記録するであらう




師走の総選挙へ向け、永田町の政治家たちはテンヤワンヤの大騒ぎ、節操もなく、くっついたり、別れたり。もはや何が何やらわからない。かの宮沢賢治が「政治家」という詩を残しているのをご存じだろうか?【鈴木琢磨】

 ともあれ、詩を読んでいただきたい。まるでたったいま書きあげたばかり、湯気が立つようではないか。だが、みちのく岩手は花巻が生んだ賢治がこの詩を書いたのは昭和になってすぐ、1927年5月3日のことだった。生前は未発表で、詩集「春と修羅」第三集のために書きためた草稿の中にあった。

 当時の政界は汚職などで腐敗していた。既成政党の憲政会と立憲政友会が激しい対立を繰り広げたり、新党が結成されたりと混乱。庶民の声を代弁するはずの無産政党も分裂状態で、この年3月に始まった金融恐慌が社会不安に追い打ちをかけていた。

 いったい詩人はどんな思いだったのだろう。まずは賢治研究者で、岩手大学にある宮澤賢治センター事務局長の佐藤竜一さん(54)に聞く。

 「4年3カ月ほど勤めた花巻農学校をやめ、農村に芸術の風を吹かせようと羅須地人(らすちじん)協会という私塾を開いて、そう日が経過していない、理想に燃えていた時期です。教え子とオーケストラをつくってみたり、エスペラントを教えたり、農民の肥料の相談に乗ったり、意気軒高でした。そうした賢治からすれば、打算的な政治家の行動は地に足の着かないものと映ったに違いありません。まさに選挙目当てに離合と集散を繰り返している現代の政治家の本質を見事に描き出しており、まったく古びていません。詩人としての賢治の人間観察の鋭さを改めて認識する思いです」

 そう語る佐藤さんのふるさとは陸前高田市、大津波で生家は流された。「従兄(いとこ)2人が亡くなり、中学の同級生6人も命を落としました。あの震災から1年8カ月たちましたが、陸前高田はほとんど復興がなされていません。一本松のあった高田松原周辺にはがれきが積まれたまま、撤去のめども立っていない。仮設住宅に住む同級生らは生活の未来像を描けず、苦しんでいます。そんな中の衆院解散・総選挙です。時勢に便乗して右往左往している政治家たちを見るにつけ、また復興が遠のくのではないか? 被災地出身の私は危惧しています」






 羊歯、石炭紀、地質学者、宮沢賢治の独特の彼の言葉が響きます。

 こんどの選挙で党名をころころ変えて出てくる人もいるようですね。

 反省も自戒もなくただ落ちることが恥ずかしいのでしょうね。

 情けないのひとことです。