クオリティ・ライフの発想―ダチョウ型人間からワシ型人間へ (講談社文庫)/講談社
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クオリティ・ライフの発想―ダチョウ型人間からワシ型人間へ (1977年)/講談社
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この本は、確か、30代の頃、ですので、仕事に邁進していたころに読みました。
とうじの、私の悩みは、「本を読む時間をどう獲得するのか」ということでした。
朝の七時頃から、出勤し、昼ご飯もなかなか食することができず、気がつくと、夕方。その30分の時間のなかで、ボケットから文庫をとりだしては、せっせと読みました。
またまた、仕事にもどり、真夜中の11時ごろに会社をでました。
夏の頃は、夜風が気持ちよかったことを思い出します。
冷房が、9時で切れてしまうんですね。
そこで、また冷房の効いた、電車の中で鞄から本をとりだし、読み始める、そんな生活でした。
家にもどれば、狭い家でしたから、本を読む雰囲気ではありません。子供もいましたし。
そんな中。
渡辺昇一氏は、こんなことを書いていました。
言葉表現は違うでしょうが、要は「ただ本を読み流すのではなくて、深夜、ウィスキーかなにかをちびちび飲みながら、深く、考えることが大事だ」と、そんなことを書いているのですね。
これには、すごく、感銘しました。
そうか、読書は時間をかければ良いのではないのだなと、そう理解しました。
私のまわりにも、いや、会社の中にも東大とか出た方で、本もびっくりするくらい読んではいても、話し込んでみると、ただ、知識が多いだけで、尊敬することのできない人もおりましたし。
知識と知恵。
渡辺氏は、簡単に言うと、この本の中で、知性、つまり、インテリジェンスには、ふたつあると書いています。
それは、英語で言うと、インテリジェンス、そして、インテレクト。
日本語で言うと、 知識と、 智慧。
そんなところでしょうか。
両方とも大事。
たとえば、会社で、事務仕事をバリバリこなす人というのは、当然、インテリジェンスが強くないと、仕事をこなすことができませんね。
専門的な知識を使い、日々、細かなところに気を配り、積極的に議論を展開したり、言葉の構築ということを毎日くりかえすわけですね。
ところが、誰しもが、わかるように、人生、この知識がある人が、意外や意外、感情というものに乏しいということが、けっこう多いんですね。
「あの人は頭は良いんだが・・・」とか、
「知識はあっても、なんか、とんちんかんなんだよね」とか・・
そんなことですね。
特に、トラブルの時に、こんなタイプの人は、おうおうにして、自分は間違っていない、と、自己主張を強くしてしまいがちですね。
そして、クレーム客の心を「感じる」ことを忘れてしまいます。
智慧のある人は、まず、そのクレームのお客様の心の立場にまず立とうとしますね。
理屈理論ではなくて、そうすることが一番良いと、常識的な判断ができるということです。
渡辺昇一氏は、おもしろいことを書いていて、このインテリジェンスは、年を取るとともに、衰えてくる知性だと言います。
比較して、智慧=インテレクトの方は、年齢とともに、ますます強くなってくる知性であると書いています。
比喩で言えば、インテリジェンスは、鶏が、コケコッコーと餌をついばむイメージ。
インテレクトは、鷹や鷲が、空をゆっくりと自在に舞うイメージでしょうか。
私はそんなわけで、乱読は若い頃はしましたが、結局、好きな作家や作品を何回も何回も繰り返して読み、そこから、何をイメージできるのか、何を考えることができるのかということを、
一番大切にしてきたつもりです。
この「クオリティライフの発想」はその意味でも、「考える」という深い意味を示唆してくれた恩義の本ですね。
もともと、昔のヨーロッパの大学は、修道院から立て直されたものと聞きます。
ですので、尼さんなどが、日々、沈黙のうちに、瞑想したり、考え事をしたり、祈ったりする風土が大切にされていると思うのですね。
深い思索は、静かな、雑音のない、そんな空間と時間のなかで、生まれてくる、そうおしえてくれたのもこの本です。
そういえば、江藤淳の名作。
「真夜中の紅茶」のあるエッセイをふと、連想しました。
夜の紅茶―随筆集 (1972年)/北洋社
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江藤サンが、仕事から疲れて帰ってきて、夕飯をまず少しの酒を飲みながら食べ終えると、ここは彼らしいのですが、眠ってしまうというのですね。
そして、2時間ほどして、目をさますと、江藤さんはおもむろに紅茶を入れるそうです。
すると、ここからははっきりとは覚えていませんが、こんなふうに、彼は思うんです。
「それから私の前には静かな豊かな時間がたっぷりあった」
たしか、そんなような言葉。
要は、彼はそこから、思索を真夜中にはじめたわけなんですね。
彼の著作もまた、日本の伝統を大切にした、素晴らしい著作がたくさんありますね。
私も、ふと、日本について考える時は、彼の著作を読み返すようにしております。
この「クオリティ・ライフの発想」の中で、渡辺昇一氏は、自分の母親のことを非常に、尊敬していることを書いています。祖母のことも。
その母親にこそ、知識はないけれども、智慧があったと。
祖母が言っていたことをプラトンの哲学にそっくりと、知識はなかったけれども、智慧があり、自分の想像力をしっかり持っていた祖母に感心できるところがまた、渡辺氏のすごいところです。
つまり、知識は、自分から獲得することもできるでしょうが、智慧=インテレクトの方は、沈黙のなかで、「受け身」で待つものだということですね。
「受け身」
五木寛之氏の「他力」にも通じる感じを私は持ちます。
私がこの本をひさびさに読み返して、ぼんやりしていて、ふと、気がついたのは、彼の好きなハマトンが画家だったということです。
そして、絵を描くことの本質をこんなように表現しております。
「写実をどんなにやったところで、絵は抽象ですものね。程度の問題です。」
「抽象は自己を主張するのだから、自己の特色がでてこにゃならぬのだが、アベコベに共通性がでているのですね」
とか、「坂本繁二郎画談」の中の言葉を書きながら、ハマトンの哲学が当たっているという。
つまり、絵を描くということもまた、考えるということのひとつだと。
ハマトンの説に、船乗りの妻はインテレクトが高いという説があります。
船乗りの妻は、毎日毎日、ただ珈琲や紅茶を出したり、パンを焼いたりするだけで、大海原を行ったり来たり、まるで平凡な生活を日々くりかえすわけでありますね。
そこでは、積極的にバリバリと何かをこなすというよりも、静かな、平凡な、まるでマンネリのような生活の中で、目的もさほど持たずに、日々の雑事をこなしていくわけです。
ああ、今日は波が高いわとか、トーストが美味く焼けた、よかったとか。
そんなつまらないことでも、受け身で、平常心で、繰り返します。
ハマトンはそんな人、そんなタイプ=船乗りの妻、のような人に、インテレクトの方が多いと書いています。
画家も、大学を出ていなくても、知識がなくとも、日々、自然のなかで、観察を続けて、しずかに絵を描いているような人がインテレクトが多いと・・・・・・・
たしかに、画家は、長生きですね。
それは筆を使い、第二の脳と言われている指先を毎日細かく使っているからだということもあるでしょうが、ハマトンは、考える時間が長いからだと言う訳ですね。
先ほどの母親のことについてですが。
ドイツ語では昔から、「ムッター・ビッツ」という言葉があり、日本語でいうと、「母の智慧」とかいうらしいです。
学問をさほど受けていない母親が、当時としては学問をした男達を、驚かせていたということです。
これもやはり彼女たちが、ほんとうの意味での、知的生活をしていたということですね。
たとえば、針仕事。
これは、ハマトンの説によりますと、縁側などでのんびりと何時間も針仕事をしている母親たちの頭のなかでは、インテリジェンスではなくて、インテレクトが働くと。
縁側で、梅の花を咲くのを眺めたり、雀が来て餌をついばむのを見ている時に、やはり彼女たちは、何かをしみじみと、感ずるようになっていったのだろうと、そういうことですね。
私もまた、たまたま、油絵を描いています。
細切れの時間の中で、描いていますが、不思議に、あくせくという気持ちには絶対になれません。
どんなに仕事が忙しくても、油絵の作品は、基本、時間の制約を入れないようにしています。
朝の光は微妙です。
五分たつと、蔭が急にさしてきたり、光があっという間に、何倍も強く窓からさしてきたり、そのたびごとに、私の作品の中の少女や、犬や、森や、小川が、その様を変容させていきます。
それがとても、美しいんですね。
だから、私は、基本は、油絵は朝の時間に描くようにしています。
そして心のなかは、空っぽです。
そして、気がつくと、絵の中に、自分がいたんだナとか、この形はもっと細くしてみようとか、受け身というか、何かがぽろっと落ちてきたような気がして、ありがたく感じ入るのです。
恍惚。
それが、私の創作の時間の中身です。
ですから、本は、私たちに言葉ではありますが、何か、素晴らしいイメージを与えてくれます。
それは、絵を描いたり、針仕事をしたり、あるいは、土いじりをしたり、日々の茶碗洗いをする時や、また、近所を散歩していて、キレイな花を見て、しばらく感じ入ったり、夕日を見て、買い物の途中に足をとめて、しばし見とれていた時、そんな時にこそ、
インテレクトは、生き生きと、脳のなかで、活性化するのだと私は信じています。
長い記事、ご覧になっていただき、ありがとうございます。
★この本もまた、渡辺昇一氏の説を裏付けている本ですね。
脳から老化を止める―40歳すぎても脳細胞は増やせる (カッパ・ブックス)/光文社
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