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ジャーナリストの山本美香さん死亡=シリア北部アレッポで取材中―トルコに遺体搬送

【カイロ時事】シリア反体制武装組織「自由シリア軍」のクルディ副司令官は20日夜、時事通信の電話取材に対し、戦闘が続くシリア北部アレッポで取材中だった独立系通信社ジャパンプレスの日本人女性ジャーナリスト、山本美香さん(1967年生まれ)が同日、アサド政権側の攻撃によって死亡したことを明らかにした。遺体は同日夜、自由シリア軍によってトルコ南部キリスに搬送され、トルコ当局に引き渡されたという。


◇1967年生まれ、山梨県出身。新聞記者の父親を持ち、たくさんの本や新聞に囲まれて育つ。
◇1990年、都留文科大学卒業後、CS放送局に入社。報道記者として雲仙普賢岳の災害地など取材、ニュース・ドキュメンタリー番組を制作。
◇1996年、フリーランスとなり、独立系通信社・ジャパンプレスに所属。日本人女性記者として、初めてタリバン支配下のアフガニスタンを取材。
◇2001年、「9.11テロ」事件発生時よりアフガニスタンに留まり、カブール陥落を取材。日本テレビ社長賞受賞。
◇2003年、イラク戦争勃発時より、唯一の日本人女性記者として空爆下のバグダッドを取材。ボーン上田記念国際記者賞 特別賞受賞。日本テレビ「きょうの出来事」キャスター(2004年まで)。
◇2009年、大統領選挙などのためアフガニスタンを取材。麻薬、医療問題などをリポート。

◆やりたいことが見つからなかった学生時代…そして、抜け殻になった会社員時代もありました。
 父が新聞記者だったこともあって、報道に漠然とあこがれはありましたが、本当に自分がやりたいことがはっきりわからないまま、教育系の大学に進みました。やはりマスコミに挑戦を…と思った時は既に4年生で「地方・4年制・文系女子」はスタート地点にも立たせてもらえない状態。面接に臨んでも、特技も資格もなく、帰宅部の自分にはアピールすることがなかったんです。サークルの活躍などを話す学生を見ると「すごい…」と落ち込みました。そのうち教員採用試験も終わってしまい、完全に追いつめられた気持ちでした。

 そんなときCS放送局の募集を知って、これが最後と試験を受けてみたら、やっと採用されました。当時の衛星放送ってまだ実態がよくわからなかったけれど、最後の最後でふてくされず、踏ん張ってよかった(笑)。

 入社後は、「ビデオジャーナリスト」に初挑戦した一人となりました。当時、小型のビデオカメラを持ち、取材も編集もナレーションも自分でやる手法は、それまでのテレビ業界の大人数の取材形態からすると、邪道のように思われていましたが、この取材方法にのめり込み、ビデオカメラ片手にあちこち行きました。この選択が、後の大きなチャンスに繋がっていきました。

 入社5年目に「ひと通り他部署も経験してほしい」と、総務部に異動になりました。すると、仕事が手に付かずボーッとなってしまったんです。趣味などをエンジョイすれば良かったんでしょうが、私には趣味もなかった。その時になって、現場がどれだけ好きか気づいたんです。何事も後手後手ですよね(笑)。でも、エイッと辞めてみたおかげで今があります。何ごとも、やってみてダメなら軌道修正すればいいって、振り返って思うんですよ」







たとえ父親が新聞記者だとしても、運命というものは、普通の人を遠い彼方へと拉致することもある。
テレビはあまり見ないので、詳しく知っている女性ではないけれども、確かに報道番組かなにかで見た顔だった。
考え込んでしまう。




合掌。