タチアナおばさん アルゲリッチ グールド  癒しの音楽とは |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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 私の所有するレコード=タチアナおばさんのバッハピアノと、アルゲリッチやグールドらの、クリップを聞きながら、二日酔い気味の体と心を癒す。
 日野原さんと湯川れい子の「音楽力」もなかなか読みがいのある本。
 ちびりちびりウィスキーを飲むように読む。音楽力/日野原 重明

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 心に病を持つ人を音楽が癒す例がたくさん書かれている。
 なぜ、音楽は魂の底の底まで、訴えかけてくるのだろうか?


かつては、普段、音楽器楽を聞いた事のない西欧の農民達が生まれて初めてピアノやらチェンバロなどの楽器の「音」を聞いて、びっくりして、卒倒したとも聞く。

  人の脳。
  詳しく知っているわけではないが、脳幹が其の一番奧にあり、小脳やら中脳やら大脳やらが続いてその上に重なり、最後の前頭葉が我が人類を人類たらしめている。

  音楽というのは、その、一番奧の脳幹をまず刺激するからだろう。

  馬やワニの脳と、言われる脳幹。
 
  原初。
  自然との戦いの中で、人類は森の中の鳥達のさえずりやら、敵野獣達の唸りやら、雨の音、滝の音、枯れ葉の踏む音、草木の風にすれる音、そんな音に敏感に反応し、その記憶を脳幹の中に溜め込んで行った。


  やがて、生きる為のメッセージとしての「音」が、恋人に自分の気持ちを伝えるために、自然の木や石などを使っての、「音」の連続=音楽を、人は自由に使い始めたのかもしれない。

  昨日も、喫茶レイモンドにて、議論好きな男達が、いろいろなことについて熱く議論する時間を持った。

  そんなことはどうでも良いと考える人もいる。
  
  しかしながら、熱く議論することで、議論は深まり、言葉は重なり合うことで発酵し始め、思考の深さはますます深まることもあるのではないだろうか?



 昨日も神の話になる。

  議論に議論を尽くしても、神がいるかどうかということを誰も証明できない。
  証明できないというよりも、理性の限界を超えた問題だということを、まず理解する必要がある。
  
  神がいるかどうかわからないのであれば、まず、わからないと素直に認めることが一番の理性的な態度なんだと思う。

  わからない世界をそのまま飲み込む。

  あるかないかわからないから、「神が在る」方にかける人がいる。

  それはひょっとするとたんなる願望・期待なのかもしれないが、「2001年宇宙の旅」や「火の鳥」に描かれたように、何億年もの未来、気の遠くなるような将来に、私たちの意識が、次の次元に昇華していくということも、考えられないことではないと思う。


  バッハ。


  彼の曲を聞いていると実に心が落ち着く。
  理屈抜きで、自分が今ここに「在る」という実在感を持つのは、世界の音楽好きな人達が彼の旋律を、リズムを、聞きながら、神や歴史と「対峙」したかつての芸術家達の心の記憶に、すんなり、結びつくことができるからかもしれない。

  それは癒しである。



 映画「コンサート」をまた見たくなる。