13才。
息子の年だ。
最初に別れた妻との子は今、24・5才になっている。
娘の方は、もう結婚して子どもも作っているので、何もしてあげれなかった父だが、遠く安心している。息子は理科系の大学に行っていたがいまは何をしているのか?
会いたくても会わぬ方が良いと決めてからはや、13年。
元気でやっていれば嬉しいが。
13才の息子は二番目の妻の男の子。
この13才という年齢について今日は、ぼんやり考えていた。
昼間は海鮮カレーを作りながら調子に乗って、焼酎をダブルで二杯飲み、そのままダウンしてしまった。たまにはこんなだらしない日もある。
そこで13才。
村上龍の「13才のハローワーク」をぺらぺら。
しかしながら。
こんなにたくさんの職業があるというだけで、びっくりして、本を閉じてしまいそうだ。
確かに、好きなことを生涯やることは今一番大切なことなんだろうが、親が普通のサラリーマンの場合は、子どもも中学生になって、やりたいことがなかなか見つからないというのが普通だと思う。
私は、中学生よりも高校生の頃に精神的に苦悶した記憶があり、かなりのオクテだったんだろうと思う。
明恵の時代とは5年は年齢の成熟度が違うかもしれない。
いや、10才くらいかもしれない。
ただ、COMという手塚治虫の「火の鳥」が連載されていたマンガ本に出会って、ほんとうに救われたのだ。
イヤなことがあっても、この「火の鳥」や石森章太郎の「漫画家入門」の世界に逃げることができた。火の鳥 1・黎明編/手塚 治虫
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ジュン―章太郎のファンタジーワールド (MF文庫)/石ノ森 章太郎
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SFマガジンをこづかいを貯めては、買ったのもこの頃。
父親が手作りの寝床の二段上のベッドで、大切に大切に、勉強後夜更けまでこれらの本を読みふけったものだった。その無性の楽しみ、快楽みたいなものは今でもはっきり覚えている。
それでも、獏とした親に対する不満がでてきたのもこの頃だろう。
臆病だったから、好きなマンガ本のなかに逃げ込むしかできなかった私は、現実の世界では、非常に他の友だちとの距離感を感じ始めたころだったと思う。
こうあるべきだという自分の小さな世界から判断したルールなど、誰も認めてくれない。
日々が、心の肉に人間関係のガラスの破片がつきささる毎日だった。
体だけは健康だったから、北海道の春夏秋冬をぞんぶんに楽しむことはできたし、病気の苦労はなかった。しかしながら、その分、不思議と自分ひとりでマンガの世界にひたり、そこで遊ぶことが一番の楽しみだったと思う。
金を貯めては、SFマガジンのインデックス特集号を買ってみたり、COMだけではなく、ガロも欲しくなって集めてみたり、石森の「ジュン」を注文したのもその頃。
今のようにアマゾンのような便利なネットもなく、確か、書留で出版社にお金をおくって、「ジュン」を手に入れた。
その時の歓び。
今でも大切にしているが。
だから、私の真の「困った」という人間関係などの苦悶はたぶん、高校生の15才頃だと思う。
それが、今は早熟で、13才頃というわけかもしれない。
サカキバラ事件も確か13才でなかったか?
親はこの自分の13-17才頃の自分をすっかり生活に疲れて、忘れてしまう。
そして、息子や娘に、自分の「夢」をおしつけてしまいがちになる。
私は、だから、15才頃から家がイヤでイヤでしょうがなかった。
親の目を見る事もできなかったほどである。
あとで、それは視線恐怖という神経症だということがわかったが、目の病気もたまたま煩っていて、他人の前に出ることが怖く、あるいは、生意気なほどに自意識が過剰になっていて、他人をどうでも良いという感じに見ていたような気もする。
自分をもてあます時期。
自分がわからない。
この世界がわからない。
未来が不安。
ほんとうに女と自分はつきあっていけるのか?
当時の日記を見ると、自分は果たして結婚が出来るのかとか、自分のことを好きになってくれるような女ははたしているのだろうか?とか、今から見るとプッと吹き出すようなことが書いてある。
45年前の日記を今でもとってあるが、まわりの友人に聴いても、そんな人はいないところを見ても、自分にほとほとまいって、イヤになって、深夜になるとこそこそと日記をひとり書き付けては安心していた自分がいる。
不安があった。
獏とした不安。
今の子どもたちは、どこでその不安を発散させたり、受けとめてもらっているのだろうか?
友だちをつくるのが上手い子はともかく、ひとりで遊んだり、ひとりが好きだったりする子は、どうして自分と折り合いを上手くつけているのか?
息子のことがそういうわけで、少し気になっているが、何ができる親でもないし、立派な親では決してないことは自分が一番わかっている。
それでも、息子に会いたいと思う。