読書力 (岩波新書)/齋藤 孝
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松岡正剛氏は、私がまだ、24歳頃に出会って、「遊」をむさぼるように読んだものだが、その影響はほんとうにありがたく思っている。仕事上でのヒントなども、人生をまだまだ無我夢中にて突進中の若者にとっては、現実的な「できない」理由をこむづかしく説教してくる先輩達のわけしり顔よりも、ドンキホーテ的夢世界のようで楽しく、私の気質に合ったのである。
昔から、「これはむづかしいぞ」と言われると燃えるのである。
勉強も、遊びも、恋も、仕事も、そうだった。
人がやっていないことに関心のすべてがいった。
すでに、退職はしたが、やることはすべてやったし、やりたいようにやった。
要は、「あいつは我がままだから、しょうがないんだ、好きなようにやらせよう」とまわりの皆に思わせたら勝ち。
そのためには、実績をつくらねばならないから、自分にプレッシャーをかけることにもなるが、そうしないと、火がつかない、妙な性格である。
そんな私が、松岡正剛氏からヒントをもらったことのひとつに、「分析」よりも「統合」という発想だった。
花があって、その花の中の花弁が何枚で、めしべが何枚で、おしべが何枚というのが科学かもしれないが、データーなのかもしれないが、その赤の花と良く似た花がある、その花はなんという花か、というように連想で考えて行く。
松岡氏の言葉を借りれば、相似率。
これが、私の「連想・空想・妄想」好きと重なって、仕事や読書にも生きたような気がする。
本と本の間には、無数の見えない赤い糸がある。
わかりやすく言えば、関連性か。
だから、本の中身だけではなくて、本の装幀や、表紙裏表紙にも、何か重要なものは含まれている。 植草甚一氏が「ジャケットの良いレコードは買ってはずれたことがない」と書くのもそれだ。
たとえば、齋藤孝氏はわかりやすくそれを書いてくれているが、ユングの横にフロイトを置かない。
ユングの隣には、神話や、夢関連の書物がよく似合うという。
そのような、目に見えない自分なりの相似率、関連性、赤い糸を考えながら、本を配置していくのは実に楽しいものだと私も思う。
私は、ラディゲやコクトーやコンスタンなどは三島由紀夫氏の隣に配置するのが好きだ。
ジュネや、異端美術や、プルーストなんかは澁澤龍彦氏の横になぜか並べてしまう。
江藤淳氏や正宗白鳥氏や水上勉氏、北條誠氏なんかは小林秀雄氏の隣へ並べる。
齋藤孝氏の「読書力」のなかに、精神医学者の中井久夫氏のこんな言葉があり、嬉しくなる。
「赴任後六年にして、私は根がほとんど尽き果てようとしていた。フロイトの著作の隣にはまちがってもユングではなく、むしろ、アドラーではなく、必ずアブラハムがこなければ気が狂う私である。引っ越しにさいして、ファィリング・キャビネットの中こそ無事であるが、本の並び方が顧慮されることは決してない。そして、私によれば、本は並べ方が9割なのである」 「治療文化論」
治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)/中井 久夫
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