バカっぽい現象をテキストにして「考える力」をとりもどせ!! |   心のサプリ (絵のある生活) 

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バカっぽい現象をテキストにして「考える力」をとりもどせ!!
と、大前研一氏は言う。「知の衰退」からいかに脱出するか?/大前研一

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 クラリネットを吹くほどのクラシック愛好家の彼は、昔は、クラシックなどの音楽の古典の教養は、コミュニケーションとして役にたったが、今はさほどでもないと書く。
 アメリカあたりでも、文学やクラシックが話題になることは少ないらしい。
 時代はそう変わりつつあるということか。・・・


 台湾や中国でも大前研一氏の本は数十万以上売れるというからすごい。

 個人的に言うと、私は「考える」ということは、小林秀雄氏や渡辺昇一氏から学んだが、彼らから比較するとこの大前氏は、軽い印象は受ける。
 しかしながら。


 全国、全世界を股にかける彼だからこその説得力もあって、そうなのかとも思う。

 その彼が21世紀の教養とは何かということで、書いているのが興味深い。


  彼がいろいろなところに出向き、たくさんのトップと話していると最近特に出てくる話題=このことを考えていないとのけものになってしまう話題は、下記のふたつらしい。


   1  環境問題 緑化など
   2  アフリカのエイズ問題



 この地球を資源として商売をしたりしてもうけさせてもらっている以上は、恩も地球に返せということだろう。

 アフリカの方は、現地に夫婦ともども出かけて、貧困問題などの問題と向き合うということだ。


  小林秀雄氏は考えるということは、調べることではない、と言う。
  対峙する、つまり対するということが、考えるという古語の本質の意味と言う。
  かむかふ、と書くらしいが。(記憶違いならばスミマセン)

 
  渡辺昇一氏もまた、考えるということに重きを置いている。
  夜中に酒をちびちびやりながら、何時間でも仕事について考えているサラリーマンのトップなどを評価する。
  知識をただ獲得するだけの行為は実は考えることではないということ。


  鶏のように、さわがしくちょろちょろ餌をつつきまわすような似非インテリジェンス。
  雄大な空を大きな羽を広げて空想瞑想するようなイマジネーション全開のインテリジェンスを真の知恵=インテレクト。そのように、似非インテリジェンスと区別している。


 

  

 

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ナイロビの蜂 [DVD]/レイフ・ファインズ,レイチェル・ワイズ,ダニー・ヒューストン

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 この「ナイロビの蜂」は最近見た映画のなかでは、異色でかなり深く印象に残った。
 ブログにも記録した。
 「シェルタリング・スカイ」も確かアフリカを舞台にしていたが、この「ナイロビの蜂」はまさにアフリカの現代の貧困地獄、飢餓地獄を描いている。

 あと、「すべては愛のために」
すべては愛のために~Beyond Borders~ [DVD]/アンジェリーナ・ジョリー,クライヴ・オーウェン,テリー・ポロ

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   この作品にもアフリカの国の貧困が出てくる。
   


  ここに今や、たくさんの大前氏の友だちやら知人らが、出かけている。


  というわけで、知の刺激にはなる一冊。集団記憶力がないと言われると腹はたつが。^^
  自分のブログ記事を再度読み直してみる。



 (過去ブログ記事より)  すべては愛のために 
              ナイロビの蜂     備忘録


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淀川長治氏が、「良い映画を見ていると人生が幸福になる」と書いていますが、「悪い映画を見ていると人生が不幸になる」とも言えそうで、少し怖くもなります。


しかしながら、人それぞれにとって、脳の一番本質的なところをジーンと刺激するのは、また違っていいのであって、それに、体調やら、その日の気分によっても、見た映画の感動は異なってきます。


小説の良いところは、読みたくなくなれば、ボイと文庫本を机や枕元に投げ出して、散歩にでかければいいですし、すこしずつ、何日にもわけて考えながら読む楽しみもあります。

でも、映画は、家族で見たり、友だちと見たりと、なかなかそう自由には見るわけには普通はいかないでしょう。

糸川氏などは、時間の有効活用として、多忙の日々、一時間のあいた時間に映画を一時間分見て、残りの半分の映画は、こんどはたとえば飛行機で着いた行き先で見るという具合に、映画の自由な見方を紹介していましたが、お金もかかりますし、みんなができるという映画鑑賞法ではありませんね。^^




ともかく、
エチオピア、カンボジア、チェチェン、イギリスという地域を美しい映画の画面で映し出しています。
映画のテーマである、紛争そのものの残酷はともかく、たぶん一生足を踏み入れることのない場所をうまく切り取って映画にしてまとめています。


それにもう、「今の時代の空気」を切り取るためには、「単純さ」だけでは無理なのかもしれない。
それだけ紛争戦争の残虐さは、単純なる物語にはなりえない?

見て、考え込むだけ。
見て、驚愕する。

これらの映画群を見て、簡単にレヴューで点数などつける気にはなれない。・・・・


そんな場所に、サラは踏み込んで行く。・・・・

ニックへの尊敬と愛によって。


しかしながら、この映画の題名は、なんとかならないか?


beyond bordersで良いと思いますが。
だれもが怖がるこのbordersをこのサラは、超えて行く。

それにしてもアフリカのあのやせ衰えた子供のシーンの驚愕。
もう眼をそむけたくなるほど。ホンモノの子供をよく撮ったものだ。
あの自殺した「飢餓の子供と禿鷹」の写真家が撮った写真を連想させるシーン。
サラは母子を必死で助ける。



新聞やテレビでよくニュース紹介されるこれらの地域。
しかし、この映画一本見れば、リアルに想像が可能になる。
物語はさておいてよく惨状をまとめあげたものと感心しきり。
その画像はかなり強烈で人生のスパイスになる。これでもう
くだらないことで弱音を吐きたくなるだろうことは間違いない。




日本は幸福だ。(東北福島をのぞく)
なまぬるい日本人の危機意識。



連想。
「ナイロビの蜂」$  心のサプリ (本のある生活) 


この映画でも、サラのようにとてつもなく感受性が強くそして挫折してもへこたれない女としてのテッサという女性が出てきてやはり死んでいる。

彼女たちの前では、なんと無力なサラの旦那。


そして、テッサによって次第に本能としての男性の野生をとりもどすジャスティン。


このような反体制的な映画の欠点として、思想をおしつけるあまり、見ていて席をたちたくなるようなシネマもありますが、この二作は、人間社会、世界、組織、そんなものの裏社会の醜さをリアルに描きつつも、自然の美しさも讃えることを忘れていないので、一方的なおしつけにならずに、脳に情報をインプットできるのかもしれない。


  国連難民高等弁務官 緒方貞子。
  断食直訴  瀬戸内寂聴。


 男は「戦う意味」を求めるし、 おんなは「盲目的な生きる意志」そのものなのかもしれない。


 それでいいのだと思う。
 いや、あまりにも難しい問題だから簡単にはそう言えないのかもしれない。

 

 朝起きて、光のなかに神さまへの感謝を感じ、食事がきちんとでき、風呂やトイレがきちんと日々つかえ、好きな音楽を聞いたり好きな本をいつでも読め、気分がのれば少し散歩をしたり買い物をしたりできる今の日本の日常から見ると、それらを抛って、ボーダーを超えて行くこれらの「おんなたち」の生き方は突飛に見えるかもしれないが、一度、見ていて、それらを脳にインプットしておくと、普段の日本の日常の贅沢さに眼がくらむだけの、経験は味わえる。



  映画。


  もうひとつのわたしたちの人生。


  ひとつの苦労が皺をひとつふやすがごとく、脳に少しは皺をふやしてくれるかもしれない映画群。




  サラは、ニックによって心の奧の奧まで、震駭されるほどに影響される。
  ジャスティンは、テッサによって、心の奧の奧まで、やはり震駭されるほどに影響される。


  命と魂。


  命は確かに地球よりも重いのかもしれないが、それよりも重い魂を持つ人に影響されて
  境界線を超えて行く人達。


  それを人は愛と呼ぶのか?







・・・・・・・・・・








  

  それにレイチェル・ワイズって、「魅せられて」にも出ていたとは・・・
  またまた「魅せられて」のDVDをトレイにのせる楽しみも・・・

  それに、アンジェリーナ・ジョリーが、最近見た映画、ジョニーディップと競演したあの女優だと気がつくのがおそすぎ。
  反省。^^


 



資料A  beyond borders 日本では「すべては愛のために」
エチオピア、カンボジア、チェチェン、イギリスと4ヶ国におよぶ壮大なロケーションの中で、10年に渡って繰り広げられる男女二人の真実の愛の物語。主演は「17歳のカルテ」「トゥームレイダー」のアンジェリーナ・ジョリーと、「ボーン・アイデンティティー」のクライヴ・オーウェン。監督は「007/ゴールデンアイ」のマーティン・キャンベル。


裕福なイギリス人のヘンリーと結婚し、社交界で何不自由のない生活を送っていた美しい人妻サラ。彼女はある日、義父の慈善活動の功績を讃える盛大なパーティに参加する。華やかな出席者が集う至福の時間。しかし和やかなムードは、痩せ細った一人の少年を引き連れて突如乱入してきた青年医師ニックによって、一転する。荒々しく壇上にあがったニックに、冷ややかな視線を浴びせる参加者たち。それを軽蔑の眼差しで見つめ返すニックは、「世界には今、この瞬間も死んでいく子供たちがいる」と語り始める。翌日あの少年が死亡したことを知った彼女は、私財を投じて援助活動に向かうことを決心する。




資料B 日本題名「ナイロビの蜂」
ガーデニングが趣味の物静かな英国外務省一等書記官のジャスティン(レイフ・ファインズ)は、スラムの医療施設を改善する救援活動に励む妻テッサ(レイチェル・ワイズ)と、ナイロビで暮らしていた。しかし突然、テッサがトゥルカナ湖の南端で殺害されたという報せが届く。彼女と同行していた黒人医師アーノルド(ユベール・クンデ)は行方不明。警察はよくある殺人事件と断定して処理しようとするが、その動きや、テッサに密かに思いを寄せていた同僚サンディ(ダニー・ヒューストン)の不審な振る舞いから、疑念にかられたジャスティンは、妻の死の真相を独自に調べ始める。そして、アフリカで横行する薬物実験、大手製薬会社と外務省のアフリカ局長ペレグリン(ビル・ナイ)の癒着という、テッサが生前暴こうとしていた世界的陰謀を知る。命の危険にさらされながら、テッサの想いを引き継ぐジャスティンは、その過程で、改めてテッサへの愛を実感していく。やがてジャスティンもテッサと同じように湖の南端で殺害されるが、テッサのいとこの弁護士の尽力によって、ペレグリンの悪事を示す手紙が世間に公開されるのだった。


原作は冒険小説の巨匠ジョン・ル・カレの最高傑作「ナイロビの蜂」。妻の死に隠された世界的陰謀を追い、雄大なアフリカの大地を巡る主人公の心の旅路を、フェルナンド・メイレレス監督は圧倒的な映像美で描き出す。妻の死の真相を追う旅の末に、亡き妻の真実の愛にたどり着く夫を描いた本作は、覚悟に満ちた愛だけが、巨悪に立ち向かう唯一の武器だと教えてくれる。極上のサスペンスが心に染み入る“愛の傑作”に変わるとき、あなたは一生に何度出会えるかわからない映画の奇跡を目の当たりにする。(作品資料より)