死と再生 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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 河合隼雄氏がいつかどこかの本で書いていましたが、日本ではたとえば小さな頃から仲がすごく良い友達どうしが、10年くらいお互いに仕事が忙しく、会う事もなくお互いの日々をおくっていて、ある時ふとしたきっかけから、片方が故郷にもどることになり、再会をはたす時、何十年ぶりに再会したのに、「ああ、○○ちゃん!!」と一気に意気投合し、飲み会などで、友情を強く感じて感激するのことが多いと言います。
 日本人はそのとうりですね。私もそう思います。

 ところが、西洋ではこれはまったく通じないと言います。

 河合さん自身の経験として、西洋の友達なんかに、二三年も多忙を理由に手紙ひとつ出さないと、もうお前はおかしいと憤慨されるらしいです。
 手紙くらいは書く時間はあるだろうというわけですね。
 つまり、原因がちゃんとお互いにしっかり作り合ってこそ、友情もあるんだという論理的な考え方なんでしょう。
 ところが日本人というのは、まず最初に友情があるわけで、手紙を書かないくらいで壊れるのは友情ではない、そのような甘えにも近い考えがあるのではないでしょうか?


 この本のなかでも、触れられておりますが、西洋の方は小さな頃から自分の部屋を与えられ、ひとりで寝かされ自立をはやく促されます。 
 簡単に言うと、子どもはまだ「人間になる前の動物」という考えですね。
 ですから、大人の宴などには子どもは基本は参加させません。


 こんな話を河合氏が書いていておっと思いました。


 小さな頃から優等生、いわゆる「良い子」でありつづけた子が、ある日、父親と大げんかして家出をしてしまう。
 これなどよくある話で、女性でも良い子ほど、いきなり好きな男が出来て駆け落ちなんていうこともあるようですが、そこで「良い子」は死んだわけですね。

 あるいは河合氏の言葉を借りれば、「親殺し」をしています。
 実際には殺すわけはないのですが、新聞記事なんかを見て見ますと、このあたりの家族関係がもつれにもつれて、実際の事件に発展することもあります。

 一番良いのは、一度「良い子」を捨てて死んだ子が、自分ひとりで自立をはじめ、親離れをしていく。なんとか「再生」をしようとしている。
 けれども、その「再生」とは並大抵のことではないでしょう。
 父親も自分の職業をつがせようと思っていたが、その夢もかなわなくなり、寂しい思いをしている。

 いったい、自立とはなんなのでしょうか? そう河合氏は問いかけます。
 このままの関係、親子関係ではたして良いのか、そう問いかけます。

 自立と孤立は違うのではないか?

親を精神的に殺して、自立した子どもだからこそ、またその死から再生し、自分の道を歩もうとする時、家族は怒りを心に秘めながらも息子の精神的な支えになろうと、普通します。
 それが家族愛なのかもしれませんね。


 西洋では、一般的に自立が進んでいるので、河合隼雄氏は親と子のコミュニケーションがあまりないのではないかと、最初おもっていたそうですが、実際に西洋で河合氏が暮らしてみると、実に親と子が、贈り物をしたり、手紙を書いたり、なにかというと電話をしたりして、つきあっているのを見て、感心したと書いています。


  日本では、自立が少ないからひょっとすると、人間関係を恐れ、孤立する人が多いのではないか、そう河合氏は語ります。
  ほんとうの自立とは、相手のことを常に思いやって関係していくことではないか?
   
 河合隼雄氏からの私への問題提起でした。


大人になることのむずかしさ―青年期の問題 (子どもと教育を考える 2)/河合 隼雄

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