赤いくつ           アンデルセン童話 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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あるところにとてもうつくしい女の子がおりました。こころのサプリ    


 この子は母親とたいへんまずしく暮らしており、夏は裸足、冬はぶかっこうな木ぐつをくつ下もなくはかねばなりません。女の子の足の甲はいつも真っ赤にはれていました。


 おんなの子があんまり可哀想だったので、村に一件あるくつ屋のおばあさんが赤い古ぎれでくつをぬいはじめました。
 女の子のなまえはカーレンといいました。


おばあさんが女の子にそのくつを届けた日は偶然にもカーレンの母親の葬式の日でした。
彼女のたったひとりの家族は息をひきとってしまいました。

カーレンはお葬式に赤いくつをはいてでかけました。
それしかはくものがなかったからです。
牧師さんとカーレンはとぼとぼと、みすぼらしい棺のあとを歩いていると、大柄の老婦人が頭を出して牧師さんに言いました。

「その子にいくところがないのなら、わたしがひきとってもかまわないでしょうか。たいせつに育てます」


こうしてカーレンはおくさまのお屋敷にひきとられることになりました。

奥様が私に目をとめてくださったのは赤いくつをはいていたからだわとカーレンは考えましたが、おくさまはみすぼらしい洋服とともに赤いくつもすててしまいました。

かわりに、きれいなくつや服をカーレンに与えました。

大きな屋敷でカーレンは裁縫をしたり、読み書きをしたりして暮らし始めました。

お屋敷にやってくる誰もが言いました。

「まあなんてきれいなお子さんでしょう」

成長したカーレンは、教会で、堅信礼を受けることになりました。これで一人前のおとなとしてみなされ、教会の一員になることができるのです。

堅信礼のためにおくさまはカーレンをつれて、町へでかけます。
洋服をあつらえ、靴屋にはいりました。

そこでカーレンは一足のくつに目をとめました。
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赤い、ピカピカ光るうつくしいくつでした。

カーレンはおずおずとこの靴がほしいとおくさまに言いました。おくさまは年をとりすぎていて目が悪かったので、そのくつが赤いとはわからず、それをカーレンに買い与えました。
堅信礼に赤いくつで出席するなんていうことは許される事ではありませんでしたから、そのくつの色がもしも赤とわかったのならおくさまはきっと買ってくれなかったにちがいありません。


 礼拝堂にあつまった人達も牧師さんも、カーレンの足下をみつめました。

その日、教会に集まった人々からカーレンの靴が赤かったことを教えられたおくさまは、あわててカーレンに言いました。

「おまえ、教会に赤いくつなど二度とはいていってはいけないよ。必ず、黒いくつをおはきなさい」


 つぎの日曜日は、聖餐式でした。
カーレンは黒いくつを見、それから赤いくつを見ました。もういちど、黒いくつを見、赤いくつを見、そして赤いくつに手をのばしました。

 教会では人々はまたカーレンの足下をじっとみつめました。

 礼拝の間中、カーレンは赤いくつのことばかり考え、賛美歌を歌うときも上の空、祈りもわすれてしまいました。

 礼は入れれが終わり、カーレンがおくさまと一緒に外にでると、地面につくほどながいあごひげをたくわえた年をとった兵隊が門の前におりました。兵隊はカーレンのくつを見ると「なんとすてきなダンスぐつじゃ」と叫び、すっと手をのばし、赤いくつの底をたたきました。

 するとどうしたことでしょう。

カーレンはじっとしていることができず、ダンスのステップを踏み始めました。
そのままカーレンの足は勝手におどりはじめます。

 そのうち、年老いたおくさまはご病気になり、ベッドから起き上がることができなくなってしまいました。そんなおり、町で舞踏会がひらかれることになり、カーレンのもとにも招待状がとどきました。
おくさまの看病ができるのはカーレンしかいないというのに、カーレンは舞踏会のことを考えて気もそぞろです。


 カーレンは、ベッドで眠る年老いたおくさまを見、ぴかぴかに光る赤いくつを見、おくさまを見、また赤いくつを見、そしてとうとう赤いくつに手をのばしました。


舞踏会に向かう途中から、カーレンの足はおどりはじめました。止めようと思っても止まりません。しかも赤いくつはカーレンの気持ちと反対の方向に進みます。とうとう、踊りながら、町外れまでやってきてしまいました。

まちはずれには、暗い森があり、カーレンは不気味でしょうがなかったのですが、赤いくつが勝手にどんどん森の中まではいっていくではありませんか。

くつを脱ぎ捨てようとしてもまるでくつが足の一部であるかのようにびったりとくっついて離れません。$こころのサプリ    
森をぬけ、畑をすぎ、草原をこえ、カーレンは踊り続けました。日がのぼり、日がしずみ、雨が降り、風が吹き、かんかん照りになってもカーレンは踊り続けました。


やがて墓地へとはいっていきます。
カーレンはどこかで休みたかったのですが、赤いくつは休ませてくれません。
墓地をでて、教会の入り口にさしかかった時に、長く白い着物を着た天使がたっているのが見えました。


「おまえはいつまでも踊るのだ」天使はカーレンに向かって言いました。

「その赤いくつで踊り続けろ、おまえが青ざめて、冷たくなるまで。おまえの皮膚が骸骨みたいに縮んでしまうまで」

「家から家へ踊ってまわり、高慢でみえっぱりの子供がいる家の戸をたたけ。そういう子らがおまえをこわがるように。さあ踊り続けるがいい」


 「ごしょうです。ゆるしてください」カーレンは叫びましたが、むだでした。

天使の声に返事をするまもなく、赤いくつはおどりつづけます。いばらのなかも、森のなかも、つめたたい川も、どこでもかまわず赤いくつは進んでいきました。
カーレンの手足は傷だらけになりました。それでもカーレンは踊りつづけなければなりませんでした。

あれ地のなかに、ちいさな首切り役人の家がありました。

「お願いです。このわたしの足を、この赤いくつごと、あなたのおので切ってしまってください」

首切り役人にこれまでのことを話すと首切り役人はカーレンの足を赤いくつごと切り落としました。

赤いくつは、ちいさなカーレンの足といっしょにくるくるとおどりながら荒れ野を超えてとおざかっていきます。

 カーレンは首切り役人の作ってくれた木の足と松葉杖をうけとると、彼の手にキスをして町へともどりました。
 カーレンは神さまにおゆるしをと、教会に入るとカーレンの目の前を赤いくつが踊りながらとうりすぎさっていきました。カーレンはおそろしさのあまり家にもどりました。

 一週間泣きはらしたカーレンは勇気をふりしぼり、また教会へと向かいました。

 赤いくつが笑いながらカーレンの目の前をとおりすぎていきますが、カーレンは牧師館へ息、そこではたらかせてもらえないかをたのみました。

 「お金などいりません。どうかわたしを使ってください、なんでもいたします」

 ある日、カーレンは牧師さんの家族を教会へみおくり、ひとりで自分の部屋でかんがえごとをしていました。するとどこからか賛美歌が聞こえてきます。

「あぁ、かみさま。どうかわたしを救ってください」
カーレンは祈りました。

 すると急に部屋があかるくなり、いつかカーレンが見た白い天使がはいってきました。あのときの鋭い剣は持っておらず、かわりに薔薇の花をかかえています。

 部屋はどんどん明るくなり、壁はひろがり、天井は高くなります。

 やがてカーレンの目に賛美歌を演奏するオルガンや、つらなる椅子や、牧師さんの家族がみえました。まるでカーレンは光のあふれる教会にあれぼと、ねがった教会の座席に座っているような気分になりました。


「ああ神様」ちいさく、カーレンは叫びました。
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 ひかりはゆっくりと明るさをまし、カーレンをつつみこみました。
カーレンの魂はよろこぴに満たされてお日様の光とともにかみさまのもとへとのぼっていきました。

 そこでは、赤いくつのことをたずねるものはもうだれもおりませんでした。

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 グリムやユーゴー、バルザックとも交遊があったアンデルセン。
 民話の収集に全力を傾けたグリムとは違い、ひとりで孤独の中に物語を紡ぎだしたアンデルセンの努力は並大抵のものではないと思いますね。
 ユングの集合的な無意識というよりも、自分の心の奥底にある無意識の川から物語を拾い集めて行く。そんな手法だったのでしょう。
 当初は童話は子供だましとして、馬鹿にされたようですね。

 それが次第に認められて世界中の子供達に読まれ次がれていくことになったのも、彼の物語のなかに国や文化の違いを超えてなおかつ感銘を与える普遍の力があったからにほかなりませんね。

 河合隼雄氏は、物理学帝国となづけられた自然科学いっぺんとうの科学の流れの中で、人間はたましいの問題をあつかうことをわすれてきたのではないかと。

 こと童話には、そのわかりやすい表現やかんたんな言葉のなかに無意識のものがたりが潜んでいます。

 なぜ無意識が大切かというと、河合氏が神経症の患者さんをこれまで何千人とカウンセリングを続けてきたなかで、神経症の方たちのなかに、頼みもしないのに絵を描いたり、童話を描いてみせてくれる人が多いという。

 たとえば赤面症のひどい病気の人がいて、それをただあなたは極度の赤面症ですね、と客観的な事実をのべたとしても彼の、彼女の心の中の痛みを理解したわけではない。

 でも、彼等が描いたたとえばひとつの絵を見てみると、主人公のミミズが安眠もできずに、ひりひりと身体にしみる土の上で太陽の照りつける白日のもとでひからびていて、涙をながしている絵があります。なんでもがあからさまに見えている現実のもとでは、すべてがひからびてしまい、自分を救うものは自分の涙しか無いという絵になっています。

 こんな患者の描いた「おはなし」を読むと彼の感情がじかにわれわれの心に迫ってくるのを感じますね。
 それはたんなる病気の名前としての「赤面恐怖症」ではありません。

 意識が発達してこそ地球の文明は確かに発達してきました。
 でも、あまりにも意識ばかりが磨かれすぎると、麻痺して、ものが見えなくなることがありますね。
 ただレッテルだけが一人歩きしています。

 太陽について、あまりにも多くの知識をえたために太陽そのものも、雨そのものも、体験することができなくなっているんですね。

 モネという画家がこんなことを言っています。

 「もしも私が盲目のまま生まれ、突然目が見えるようになったら、そうすれば、目に映るものがなんであるかを知ることなく絵が描きだせるだろうに」

 現代人はあまりにも多くのことを知りすぎたために、何事かをそのまま体験することが困難になってきたのですね。「意味づけをしないでありのままを見るという行為」。

この行為は、涙と雨のように、無意識へ退行することでしか、獲得することができない、そう河合隼雄氏は書いています。

 友達と別れるときに、きちんとその友情を言葉で語れる行為だけがいつもその友人とのつながりをあらわすものではありませんね。
 すぐに泣き出す人がおりますが、言葉がなくても無意識の退行にまで降りて行き、気がつくと涙が出ている、それはその人の魂やこころのひだまで表している事が多いですね。

 もちろんこの現代は弱肉強肉の世界でもありますから、泣きじゃくる人よりも自分の気持ちを言葉であらわすことが上手な人の方が出世をしたり、良き人脈をつかんだりすることも多いかもしれません。

 しかしながら、日本の年間の自殺者30000人を思う時、誰しもこころが悲鳴をあげる時があるはず。
そんなときには、ただ頑張れ頑張れの意識的な行為よりも、無意識の退行をあらわした、童話や民話、それらの描く夢のなかの雨や涙や城やおばあさんや、動物たちの涙に共感する行為こそがその人をさらに真の意味で強くすることができるのかもしれませんね。

 
 アンデルセンが70歳で亡くなった時は、デンマークの皇太子や各国の大使や子供からお年寄り、浮浪者に至るまで葬式に並ぶ騒ぎになるくらい世界中の人々に愛されていたのも、彼の作品が無意識の底の底までおりていって書かれたたましいのの発露としての作品になっているからでしょう。


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