学生時代、英会話の外国人の先生が必ず質問してきた。
「人間は、動物か、動物でないか?」
もちろん、英語で聴いてきたのだが、それは覚えていません。笑い。
ただ、学生の半分くらいが、「人も動物だ」と答え、残りの半分の学生が「人は動物ではない」と答えてましたね。
これは、真の回答はこうです。
天使と悪魔の真ん中が人だという当然のことをふまえて言うと、「限りなく神に近づきたいと願い努力しているところの動物」というのが、本当の答えじゃないか、私はそう考えた。
湖に溺れる子供を助けて自分は亡くなる男性もいました。
戦争でも、たぶん、100人のうちの三分の一ほどが、戦いの中でも理性的な行動をとるでしょう。
残りの三分の一の人が野獣とかし、もう三分の一の人はどちらにもつかず、その時のリーダーの指示で右往左往するのみ。
昔の日本の陸軍の行進でもリーダーの指示で、行軍の時に畑の花々は踏みつけるなと指示したことも聴いたことがあります。
敵の村人の女子供をレイプしたり殺戮したりするのはどんな戦争でもどこの国でも皆同じ。
そんな悲惨な戦争の中でも、自分の命も捨てても動物にならないそんな生き様もあるでしょう。
学校の先生は、西洋人ですから、宗教的な意味合いで、「人は動物ではない」と言いたかったのでしょう。
でも、自然の本質を見失うと駄目ですね。
オスの熊などは自分の子供さへ食い殺します。母の熊が必死にそれを守る。
カマキリもクモも、交尾の後ははやく逃げないとメスの餌になってしまいます。
それも種の生存のためのシステムです。
森の中を歩いていると死骸がたくさんありますね。
カラスは、北海道はおおカラス=わたりカラスなのですが、アイヌの時代から賢い鳥です。
クルミを道路に置いて、車にひかせて、殻を割ることもあるんですよ。
かと思うと、夏のある日、私が森の中に入ろうとすると、頭を二度ほど威嚇されました。ピューと飛んできて、親ガラスが子のカラスを守ろうとするのですね。
一度、父が森の中から、巣から落ちたコッコのカラスを、家まで連れてきたことがありましたが、結局もりにもどしても死んでしまいました。
西洋のヒューマニズムは、人を動物とは認めませんが、ここは人の存在を「神に限りなく近づこうと努力する動物である」という視点を持たねば、戦争は終わらない。
そういう意味では、時代はアジアの時代にさしかかっているのかもしれませんね。
動物から脱却なんか果たして、できるのか。
永遠の人類のテーマです。