<幻想芸術の世界 >
裸婦の起源はふたつある。
先日の私の記事にも書いたが、この本の中でも紹介されていて興味深い。私の勘もまだ衰えていないようだ。
ひとつはことさらに豊満なるデフォルマシォンを施したもの。<デフォルマシオン、デフォルメ、どちらも、フランス語、誇張のこと>
これが実は「実りの豊饒」をあらわすと。なるほどナ、とこれは納得。
ルーベンスやルノアールの裸婦と言えばわかりやすい。
もうひとつの裸婦は、均整のとれた線とフオルムの造形。ヴィーナスの理想美。
このふたつの美をプラトンが、前者を「地上の美」
後者を「天上の美」とわけていることを知り、嬉しくなる。
ラファエロや、アングルの裸婦は後者ということになる。
しかしながら、川端康成の「眠れる美女」こそが、実体のないもうすでに性の機能がまったくないひとりの孤独な老人の頭脳のなかでのみ敷衍され、永遠にぐるぐる廻り続ける風車のようなエロティシズムというのがもしかすると、エロティシズムの最高の境地なのかもしれないですね。
それを見つけて書いたのは川端の偉さで、エロティシズムの本質が彼はほんとうにわかっていた。
バルテュスのエロティシズムのイメージにもそれは近いかもしれない。
<バルテュス 1>
<バルテュス 2>