<エロティシズム 澁澤龍彦>
<ルーカス・クラナッハ パリスの審判 >
「エロティシズム」。
この本はかなり売れているので、読んでいる方もたくさんいるので、細かなことは書かないつもりです。
ただ、本という物は、一回読んだからいいというものでもなくて、おりにつけ、おやっと疑問が湧いた時に、辞書をひくようにひも解くという読み方がわたしは昔から好きでした。
エロティシズムとは、もちろん、エロやグロとはまた違う形式ですが、このクラナッハの三人の女神がなぜエロティックなのか、男からみてですが、おもしろいなあと最近思っているのです。
結論はでないでしょうし、様々なプロの方が書いてきますので、わたしはボソッとしか、意見が出ませんが、この裸婦のイメージはまるで日本の女性ですね。
あるいは、ロシアなどの19歳までの女性の身体です。このあたりはわたしは男性の好みだと思います。
あるいは、バルティスなどのように日本の女性をほめたたえ、常に少女の美学を追求したそのエロティシズムかもしれませんが、わたしの勘ですから、どんなものでしょうか。
ルーブルも20代のころにわたしも行って思ったのは、西洋画の裸婦の美しさはともかく、その「太さ」=「体格の良さ」ですね。
たぶん、体重にすると80-100キロ近くはあるのではないかと思われる女性がたくさん描かれております。
<西洋人は大きなお尻に欲情するという説もあるぐらいですからね>
やはり、美の基準が国によって違うと言わざるを得ませんね。
それらの絵画に出てくる裸婦と比較すると、クラナッハの絵画の、これらの三人の裸婦の、すっきりとして少年のようなお尻。
これをここに自分自身のヒントとして備忘録しておきます。
次に、おんなのエロティシズムとして、澁澤龍彦はおもしろい仮説を出しております。
つまり。
1 男に支配される形式
2 男を支配する形式
3 男と同等になる形式
この中で、3については、彼は特にサッポーなどをひきあいにだしながら、心理学を駆使してレズビアンについて記してますが、この2009年の性風俗などを考慮すると、少し、古い感じもします。<この名著は1984年ですから、25年前ですか。>ただ、男に劣等感を常に持ち、男と同等になりたい願望が強いというのはなんとなくわかりますね。特にこの傾向は西洋に強いのではないでしょうか。なんせ神様が男性の形をしており、人はmenと表現されてますし、このあたりは最近はどんどん変わっておりますので、また調べてみたいところです。
まあ、1については、普通は種族保存の法則や、女性の性の受動性を考えれば、当然のことなので、エロティシズムは少ないと彼は見ていますが、メアリー・ステュアートなどをあげて、彼女のごとく狂的に男を愛した女はそれなりにエロティシズムがあると見ておりますね。受け身の極地=エロティシズムということですか。
まあ、よく「より目=斜視」の女性は色っぽいとかいいますし、獲物そのものになりきって、おどおどしている女性は狩人の男性から観るとそれなりに「餌食になる寸前のあわれ」などを感じることもあり、ある種の男性からはそれも「艶」、に思えるのかも知れません。
それにだまされて、結婚して子供を生んでたくましくなってしまう女性の変身を見て男は唖然としてしまうのです。いずれかの狩人の気持ちはその時にはまったくうせてしまうのも気の毒ですね。わらい。
2 の、男を支配する楽しみ、わくわくするエロティシズムの歴史上の女傑と言えば、ジョルジョ・サンドなどをあげているが、これについては世界の動向は、ますますこの傾向が強くなっているのではないでしょうかね。
ロシアのエカテリーナについても、生涯に情夫を300人ほど持っていたというから、逆大奥みたいなものだが、いろいろな伝記や記録にも「彼女は冷感症」だったと言われており、ここのあたりは意見の別れるところであるが、日本の例のポコチンを切り取ってしまった「お定」も吉蔵に「それ」を教えてもらってから狂ったらしいとある。彼氏の浮気が心配であるし、女の性というのは律儀な性なので、ほんとうの性を教えてもらった場合、浮気はしない。水商売の女性にはオルズニズムを知らない人がけっこう多い。<丸谷才一、渡辺淳一の対談>
ただ、インフルエンザ・ウィルスと同様に人の遺伝子も進化するので、これから、どんな男と女の新型の性形式が生まれてくるかはわたしにはてんでわからない。
男も良くも悪くも女性性をとりこんでますので、<草食性など>、ひょっとすると22世紀あたりになると、アンドロギュヌスの最高の形が現れる可能性もありますね。このあたりも少し、ヒントにして調べてみたいなあと思います。
まあ、結論としてまとめる気持ちはないですが、わたしは女性の肌がもろに見えるよりも、少し透けた紗や絽のような素材のきものや洋服から少しちらっと見える女性の肌の地合いに惹かれる質ですし、ほのぐらいバーかなにかで、静かにギターの音色が響いている夜、蝋燭の炎をとうして自分の好きな人と食事を楽しむことが好きですね。
<深夜のバーの隅で。
彼女の唇にワインのグラスがもてあそばれ、肉片が彼女の舌にひきこまれゆっりと彼女の喉奥におちていく。
「美味しい」という彼女の笑顔に、こちらもつられて、つい、ニコリとしてしまう。
理屈は抜きに、人を好きになった時に、感じる気持ちは少し崇高になっている自分を感じ、感謝の気持ちを覚える。>
エリヒ・フロム先生の言葉を最後に。
「たった一人だけの人だけを愛し、他のみんなのことなど気にかけないようなそんな愛は愛ではありません。それは、いっしょに暮すだけの結合か、さもなければ、広い意味での自己中心主義である。」
なかなか、ですね。さすがです。
少しエロティシズムからは脱線して、愛まで行ってしまいましたが・・・
おやすみなさい。<今日は北海道は寒くて少し頭が痛いです。 笑い。 早めに寝ますね。>