セレンディピティと シンクロニシティの違いはなんだったっけな   huruhon |   心のサプリ (絵のある生活) 

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 昨日も家に帰宅してから、地下書庫にいき、何かピーンとくる出会いはないかなと本をあさっていて、セレンディピティとシンクロニシティの違いはなんだったっけな、とか思いながら、渡辺昇一、別冊太陽、谷崎潤一郎、サンコミックス関連、そして水野英子の「ファィア」がどこかにあったはずだなあ、とか思いつつ、探したがついに見つからなかった。

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 この場合、後で調べて見て納得できたのだが、最近私は「脳」「こころ」「遺伝子」関連の本をよく読んでいて、茂木さんや養老さんや村上さんの本をよく新刊本やら古本などで見てきたが、やはり、シンクロニシティということでは、私は共時性はあるほうなので、読みたい本は不思議に山積みの中からでも、高さ一メートルの本の山の中からすっと見つかるのです。

 逆に見つからない時は、その本は縁がないのだなあと読まないようにしていると、だんだん忘れてきて、やっぱり縁がないんだなあっと。

不思議にいろいろなブログを偶然に適当にまわっているのにある一つのテーマのブログのキーワードにぶちあたり、どきっとすることも多い。

 シンクロ二シティは偶然にあるひとつのテーマのこと・ものに出会うこととすると、セレンディピティは、偶然にあるもの・ことにあうことを通じてそれ以外のもの・ことに出会いそこから幸福を引き出す能力や才能のことですよね。

 ブログってほんとうに連鎖反応や、ひとつひとつの単語には意味がないのにその46ほどのひらがなや26ほどのアルファベットがくっつくと、いろいろな「意味」になり、その「意味」がつながって文章になりますものね。
 
そんな文章がいろいろブログにあり、そこから、私たちはひとつの「意味」や「物語」を感じ取って、自分の生活の中に、とりこんでいくんです。
 もちろん無意識・意識を問わずです。

 このあたりは、英語でひとつひとつの単語は独立して存在しないと言う人もいますし、それはそうなのでしょうね。makeという単語だってそれ自体はm a k e という4つの単語の組み合わせですものね。kame emka amek   いろいろ組み合わせができますヨ。


このあたりは遺伝子が4つのタンパク質で成り立っている仕組みとおんなじなんですかネ。そんな気もしますし、違うような気もします。

でも、意味の無いものが「あつまる」ことで「意味」が生まれ、その「意味」が集まって「物語」「伝説」「ゲノム」になっていくんですから不思議のまた不思議です。

 以前そのことは、「ミーム」という記事にしたことがありましたが、「ミーム」とはいろいろな人がつくりあげる人工的な文化的な遺伝子みたいなものですよね。
 

われわれのからだとこころは、たぶん、金に換算すると「無量大数」という太古の数字の数え方の最高の単位になるでしょう。

 朝起きて、息を吸い、水を飲むだけでからだの中に幾億という分子がどばーっと入り込み、それはからだの中を通過しながら、あるものは離散し、あるものは、からだの中に吸い取られ、あるものは、どーん排泄され、まさにその様子を「波動顕微鏡」という未だまだこの世に存在しない顕微鏡で、見てみると、超新星の爆発みたいな映像があらわれるのでしょうネ。

 まさに私たちはひとつの星でありひとつの宇宙であり、そして、私たちが「認識できる範囲の感性理性」では有限のからだを持つ、はかない孤独な存在といえるでしょう。

 でもその「はかなさ」「孤独」はこれからも人類がこの宇宙の果てまで想像力をのばしていくために絶対必須の原動力になっていることもまた事実なのですよ。