肩から力を抜いて、本から本へのわたり旅を続けたいと思っております。 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
至高体験の刻を大切に
絵のある生活 を 広めたいです !!!

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人はひとりでは生きていけない、しかしまとまれば、強く生きていける動物である、群れるのではなくて、ひとりよりもふたり、ふたりよりも、三人の方が疲れるし喧嘩もするし腹もたつが、生きていくという困難な作業をやりとげるには要は便利である、そうやって人は生きてきた筈だと思います。
 ところが、ひとりで生きていくことをネット社会は、可能にしたのである。
 米も歯磨き粉も、靴も、下着も、投票も、なんでもかんでもネットで僻地にいても、家にいたまま、ひとりでいたまま、買える時代が来てしまったのです。

 これははたしていいことなのでしょうかネ。

 まあ、便利ということでは、良いことでしょうね。
 で、他人と協力することが下手になり、おっくうになり、対人関係が苦手になり、やがて、まったく関係づくりができなくなるという点では、寂しき限りのシステムということになる。

 歴史は鏡というが、友人もまた鏡である。
 自分がどんな人間か、いくらひとりで考えていてもそれは、真の姿をあらわさない。他人が見る自分が本当の自分のひとりであるのだということに気がつくのにはやはり年はとるものなのかもしれませんね。

 だから、友人でも嫌いな敵でも、恋人でも、親でもなんでも、年季がはいることはいいことですね。年季とは、そのひとつの道で修行して達人になることでしょう。
 人間関係も何年も続けていけばそのふたりの間では「年季」がはいって、その他の人が驚くような達人の関係になれるということですね。


これが嫌いならば、結婚も恋愛もやめればいいと思います。

 私はそのようなことをまったく完璧に尊重し認めた上で、年をとったら夫婦は解体したほうがいいと思いますね。

 理想の夫婦ほどあぶないものはない、逆に言うと、細い綱の上をわたっているような二人の方が、はるかに、お互いのことを考え始める。考えるということは、マンネリからの脱皮をしているということで、気は疲れるし、不安の種はこころにばらまかれるし、ろくなことはないのだが、人生そのものがろくなものではない以上、妙なる新しい安心感が生まれてくる。

 つまり、婆娑羅の精神である。
 明日は一寸暗闇の闇、どうにでもしやがれ、という精神。
 きびしくて、明るい。
 なげやりだけど、純粋。
 単純で、強い。
 そこから生まれいずる「生」への驚くような感嘆、そして感謝。
 そしてだからこそ、どうにでもなれ、この「生」!!ということなんでしょうね。

話は変わるが、だから、本の読み方も、私はいわゆる新刊を全部見て、書評をする人の気がしれない。
 よく新刊を手にとりザアーと読んでは、「これは買っても損、まったくおもしろくない」とかいう書評を見る。
あるいは映画の評論でも「失敗作」とすぐに書く。
 そのブログのコメントでも、「あっそうですか、じやあ見るのをやめました」とか、いう輩も多いですね。
 1000円もする本や2000円もする映画を他人の言葉や評価で決めるというのもこんな不況ではしょうがないのかもしれない。
 でも、これは私はあまり理解できない最近の傾向ですね。

 私は三島由紀夫のファンですから、他人がなんと「青の時代」や「憂国」を失敗作と酷評しようがなんと言おうが、「私が好きな作家の作品」である以上、私は少ない小遣いでそれらの本は必ずや買うでしょうし、読みます。そして、単に、後半の物語が少しいびつだとか、思想に偏りがあるとか、てきとーな評論しているアホな連中のことを「可哀想なやつらだな」と思いつつ、「三島の作品をすみずみまで読み込む幸福」に酔いしれるのが幸福だと思っております。
            
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友人がいて、誰か知らない第三者がその友人の悪口を言ったからといって、もうあいつとは付き合わないことにする、ということはないでしょう。その判断は自分で決めるべきですよね。そうでなければ人を見る目も養われないでしょう。


 本を読むということは、ひとつには、「こころを真っ白にして初めて読む相手の懐に飛び込んでいく体当たりをしていく」ということでしょう。

 もうひとつには、気に入った作家というのは、どこか無意識にこころの奥底のこころの声が「これはいいな」と感じた作家であるのだから、たとえ、誰がなんと言おうが、読みたくなるのが人情でしょう。その本との付き合い方は実は実社会の人との付き合い方とまったく同じだということに気がつくこともまたこころの進歩かもしれません。
 
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 したがって、私は失敗作とか、駄作とか言う言葉に耳を貸さず、私の人生にとっての邂逅を大事にしたいのです。

つまり、「ご縁」があって、紹介された本や、好きな人が読んでいた本とか、気になる人が聴いていた音楽のCDとか、自分が大好きな女優の映画を見るのであって、私は他人の書いた書評や映画評を見たり聴いたりするわけではありません。

 自分の目と耳と手足を信じて、そして、「縁=en」を信じて、これからも、肩から力を抜いて、本から本へのわたり旅を続けたいと思っております。

というわけで、さまざまなご縁のあるブロガーの人たちの読んでいる本や聴いている音楽や見ている映画を、楽しむ、これが私のこころの癒し方なのです。


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