茂木さんの本に彼がテレビでいろいろなすごいプロフェッショナルに会った感想のなかで、最近ひかれたのが、82歳のすし屋の職人さん、いまでも現役で寿司を銀座の「すきや橋次郎」でにぎっている。
2007年度にはミシュラン三ツ星獲得をしている。
ぴりっときた言葉は、「米のたき方がまずかったか」というフレーズ。
26歳から寿司をにぎりはじめて、60年間いっさいの妥協なしに寿司をにぎつてきた。
青森大間産のマグロでも、そのまま出すようなことはせずに、自分で確認してから寿司ねたにするらしい。
その彼でも、寿司を握ったときに米粒が手につくことがあり、そんなちいさな違和感でさへ、そのままにほおっておかないで自分自身をモニタリングして、「米のたき方がまずかったのか」「にぎり方がまずかったのか」と考える。ここがすごいと思う。普通の人ならば、まあっいいか、とそのまま握り続けるのか、環境のせいにして「昔の米は良かったなあ」とか、いいわけしながら握ってしまいがちである。
責任転嫁をせずに、自分の仕事を冷静に分析しつづける、そしてお客様に最高の味を出し続ける。
ただ、むやみに自分のせいにせず、責任転嫁もしないという言い方が、ポイントではないか。
落ち込んで反省ばかりしていてもらちがあかないことだろうし、仕事も楽しくない。
要は、冷静なる分析、そして仕事への熱い情熱、この相反するふたつのこころの動かし方なんだと思いますね。
私も油絵を描いておりますが、先生によく言われました。
「どんどん描くのもいいが、たまに、たちどまって遠くから自分の絵をみてごらん」と。
夢中になりすぎると自分に酔いすぎてしまいす。こんだけがんばってんだから俺はまちがっていない、と。
でもそのことと、お客様のご満足とはまったく関係のないことですよね。
jazzの演奏でも、麻薬を飲んで演奏すると、演奏している当の本人はノッテ演奏しているつもりでも拍手が少ないということはあるわけです。
そんな話をjazzに詳しい友人に聞いたことがあります。
プロという言葉はあまり私は使いませんし、素人のこころも大事なのですが、ただ、最近「技術」=スキルという言葉が軽視されていると思います。
フィギアのすばらしい演技を見せてくれる女性たちも、その美しさは、彼女たちの普段から日々想像を絶する訓練と技術の磨きから、やってくるものだと私は思っております。