からだが、疲れた時は、にんにくに、タマネギに、とろろいもに、豆、ときめている私が、
こころが、疲れた時には、このビョークと決めているのは、変だろうか?
この顔にまずホッとする。
彼女は友人らから日本人によく似ていると言われて、なんとなく小さな頃から三島由起夫や、「鬼婆」などの映画をよく見ていたらしい。新藤兼人の監督。日本の古くの伝説。岩手という乳母が手塩にかけた姫の病気を治すためにも、妊娠した女性の生肝を飲ませると良いということを信じて旅にでて、安達ケ原にて「恋衣」夫妻に出会い、彼女が妊娠していると知って、産気づいて産婆さんを探しにいった彼氏がいなくなったのをさいわいに、木枯らしの吹く晩秋の夕暮れ時、岩手は恋衣の生肝を抜き取ってしまう。彼女は死ぬ間際に、「昔京都で別れた母親をずっと探してきたのに残念」と息を引き取る。その彼女のお守りをよく見るとなにやら、懐かしい。なんと、昔別れた自分の娘の腹を割って肝をとってしまったと気づき、岩手は気が狂ったようになり、鬼ババとなる。
この伝説をいたくビョークは気に入ったと言っている。
もともと、伝説神話は、人類の無意識界のsomethingに訴えかけてくるので、アイスランドの人々の魂と日本人の魂がその根底において触れ合ったということは何も特別珍しい事ではないと私は思う。
しかし。
彼女ビョークの素晴らしい事はその小さな頃の体験を風化させないで、自分の作品として結晶化させているということ、具現化させているということが、私をまいらせる。
私のこころのサプリメントは、ビョークの声である。作品である。