赤塚不二夫さんが死す。   シェー      |   心のサプリ (絵のある生活) 

  心のサプリ (絵のある生活) 

画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
至高体験の刻を大切に
絵のある生活 を 広めたいです !!!

赤塚不二夫さんが死す。

私が小学生の頃、こづかいは、300円程度で、確か一冊140円ほどの「少年サンデー」を買うと、もう、「少年マガジン」と「少年キング」は両方は買えなかった。どちらかあと一冊しか買えないし、買ってしまうと、もう一ヶ月、何も他のものは買えないのだ。それでも、せっせと、私は漫画を買い、読み、そして、妹と一緒に「シェー」をした。

だから、彼の存在はその後も私にとっては大きい。池袋の「ときわ荘」も今では有名になってしまったが、私が、石森章太郎の「漫画家入門」という傑作本をわざわざ札幌まで買いに行って、その中で、「ときわ荘」を知ったのだが、友人は誰もしらなかった。その当時、漫画家になりたいなんていう人間は私のまわりには誰もいなかった。今の時代は、東京芸大に漫画専門の学科がある筈。漫画家要請のための施設がたくさんあって恵まれているが、その当時は、漫画はPTAのおばさんたちに、一番嫌われ狙われた悪書であった。今でこそ、漫画やアニメの最良の部分は、世界的なアート=芸術として認められて、フランスのボンビドーセンターで白土三平の個展が紹介されたり、手塚・石森・水木・つげ・などの本を買い求めるコレクターも世界にいる。
手塚と同世代の宮崎さんもディズニーに劣らぬ作品をどんどん生み出しているし、麻布さんも「世界の中のまんが」の素晴らしさを理解している。石原さんも世界のアニメ都市東京ということを認識していろいろ、策を講じている。

しかしながら、

昔々、まんがは、読んでいるのは皆不良として差別された、「悪書」だった。

どうどうと読んだ記憶はない。こそこそと、親の居ない時にざーと見るのである、その楽しさったら、もう何をやっても味わえない素晴らしさ。友達の家に行っては、そこにある漫画の本を借りて読んでしまう。どこに行っても、その漫画が欲しくなる。漫画中毒になる。中学には、COMとガロを両方購買するようになるが、今、COMの創刊号から最後の号まですべて持っている人はなかなかそうはいないと、漫画馬鹿を自負している。

買った漫画は大切に本棚がなかったので、机の引き出しに入れて、隠しておく。
いづれは両親に見つかり、捨てられるまでは、私の癒しの友として、何回も何回も読んだ記憶がある。


友達は早熟で、太宰治や坂口安吾論を教室で戦わせていても、私だけは、ひとり漫画のことを考えていた。
手塚の「火の鳥」石森の「ファンタジーワールドジュン」白土の「サスケ」つげの「紅い花」、岡田史子「ガラス玉」、勝俣進、作者不明「マリイ・ルー」、つげ忠雄、林静一、それらの「絵」に夢中になり、美術部で、もくもくと絵を描いていた。描いている作家も孤独だったし、読んでいる私も孤独だったような気がする。


今、昔のそれらの漫画をたまにぺらぺらと懐かしく見る事はあっても、読み込むことはないし、今テレビなどではやっているジャンプ系の漫画はもうまったく見ない。
あの雑な線と、売らんが為だけのストーリーや、本人が全然漫画に対する愛がない態度など見ても、いまや、漫画は一発当てるだけの宝くじみたいなもんになりさがってしまった。

たまに、これはすごいと、まとめて読んでしまう漫画もあることはあるが、めったにない。


というわけで、赤塚さんのシェーは、良くも悪くも、その「シュールさ」においてその時代の皆をまきこんだ、意図的なパフォーマンスとしての「インスタレーション」の大傑作と言える。






そして、私の息子が夢中になっている現代のアニメ、の様変わり。
時代は変わり、漫画も変わり、そして赤塚さんは死んでしまった。

奥様も昨年確か亡くなってしまったし、もとの奥様は3日前に急死。
一人残された現代アーティストの長女さんに、お父さんみたいに、圧倒的なパワーで頑張ってもらいたい。

無理かな。