「芸術家はこれまでなかった音やことばをいつも探している」   huruhon   |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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 吉行淳之介と宮城まり子との関係は皆知れ渡っていると思う。「闇の中の祝祭」や「淳之介さんのこと」などの、彼らの本を読めば、苦悩のうちに二人が恋を成就する過程がよく理解できる。何回も言うが、彼の道徳的な淫らさを言うのは自由だし簡単である。
 
 言いたければ言えばいいのである。 
 そのことと作品はまったく関係はない。
 作品は作品として独立しているので、我々はその作品の色彩と物語と味と質感を楽しめばそれでいいのである。
 
 今日の私の吉行淳之介の自分なりの書くテーマは、吉行淳之介と宮城まり子とオーネット・コールマンという3つのキーワードを繋げてみたいと思う。
 
 そのためには宮城まり子がヒントになるのかもしれない。
 
 彼女の生い立ちを少し調べてみると、母親のとし子が彼女にかなりの影響を与えていて、影響と言う言葉よりも震駭という言葉の方が彼女の受けたこころのありかたは、もっと理解されるのかもしれない。
 
 あくまでも私の推測であるが、母親が十歳前後の娘と息子を呼んで、「お前達とわかれなければいけないんだよ」
 「おとうさんとおかあさんが、別々にひとりずつ連れて行きたいから、まり子、どちらが好きか言ってごらん」というようなことを二人に聞いたらしいが、これはいただけない。
 当然子供は、「両方」と言ったのだが、「それならばしかたはないわね」と、母のとし子は離婚をあきらめその数年後に肺結核かなにかで亡くなっている。今の世の中ならば、離婚がすぐに成立し、健康が損なわれることはなかった、そう私は思う。
 
 子供への犠牲の愛が強すぎたのだろう。
 なぜならば、夫はそれからすぐに再婚しているからだ。
 
 その母親に絵を自由に書いてごらんと言われたことが「ねむの木学園」の教育方針になっているらしい。 彼女が、最初のデビュー曲になった「ガード下の靴磨き」も今日のテレビでたまたまやっていたが、どうやら事務所のゴミ箱に捨てられていた書き損じの「ガード下の靴磨き」という歌詞を偶然彼女が見つけて、自分の不遇の幼年時代を思い出させるような、ガード下の靴磨きをしている貧しい少年が彼よりもみじめな花が一本も売れない花売りの少女のことを歌った歌として感激し、すぐに自分の持ち歌にしたいと希望したらしい。 
 
 論文を書いているわけではないので、直観的に飛ばしつつ書くと、吉行淳之介は最後に付き合った大塚英子の書いた「暗室の中で」を読んでも、自分のことをボクちやんと甘えて呼んでいたらしいから、これはこれで、彼の甘えの本質が良く出ている言葉である。
 
 男は外の世界では自分の背伸びと肩書きを認めてくれ、内の世界では自分の弱さを出し切っても受け止めてくれる女性に弱い。
 
 したがって、宮城まり子の無類の子供好きが、少年少女好きが、その中でも特に不幸な子供達にめっぽう母性を発揮する彼女の性癖が、美青年でありながら売れっ子作家、しかも内にあっては甘えっ子の不良少年、しかもいつ死ぬか分らん結核に犯されていた吉行に惹かれて行くのも無理はないと思う。
 
 吉行も、彼女と出会ってから、友人に「文体が変わった」と言われている。ここで、オーネットだが、もともとフリージャズの作家たちも、「これまでにない新しい音を作りたい」と思っているキチガイ達なわけであるから、その意味では、三島由紀夫から「闇の中の祝祭」でその文体の繊細さと芸術性を高く評価されたわけだから、オーネットのような抽象性の高い「音」=「ことば」の純粋追求に憧れたとしても矛盾はしない。
 
 普段の生活では彼は野球を愛し、麻雀に興じ、バーでホステス達と馬鹿話をするのが大好きだったのだが、こと作品になると、純粋で具体的な土地名や具体的な人の描写はしない。倉橋由美子を高く評価していたことを思い出す。
 
 百号の大作に向かって下の方から二三ミリの花を鉛筆かなにかで緻密に書き込んで行く少年の作業を見ていたが、絵は確かに知性の偏りをなおし魂をまるくするのかもしれなかった。彼女が天皇陛下から表彰されるという名誉な席の時、吉行は癌を宣告され「やられた」という意味不明の電話を大塚英子に入れていて、「君には何もできなくてほんとうにごめんね」という最後の電話を入れている。
 
 あんなに「深く絡み合った蔦」なんだから見事でカッコいい、最後の恋なのかなとこれまで私は考えていたのだが、大塚の「暗室の中で」を読む限り、自分の愛した女も変わり自分もまた変わるのだ、それはそして誰でもがその可能性がある、と少しセンチメンタルになる。
 
 そして「人生サバイバルだ」と最後の病床で言っていた、吉行にあまりにつかわない言葉が不思議に耳元に残り、そこからは逆に、吉行淳之介さんは、「ああ、童話からオーネットにもどっていったんだな」と私には思えたのだった。






○このビデオクリップを聞きながら、今私は、吉行淳之介の「鞄の中身」「夕暮れまで」「百の唇」を読み返している。