「青猫」      萩原朔太郎1 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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早起きしてブログを書いたが、やはり込みすぎて更新できず。私のマックとケーブルの相性もあるんでしょうね。
ウインドーズで光りケーブルだったら、もっと、更新が早くできるのか、悩みどころ。

ということで、下記の文章を今頃昼寝からもぞもぞ這い出して、更新する。


五時に起きて、本を読み、ブログを記し、緑茶を朝儀式とす。

江藤淳一の「夜の紅茶」ではないが、誰もいない、世間の物音、ノイズがまったく何も無い沈黙の世界が私を包む。

早めに寝たので、赤ワインもブルーチーズもきれいに消化させ、最後に、カテキンが胃を洗う。

何かをなそうとか、何をやるべきだということも、ときには、重圧になるだけ。
金はなくとも、こころは自由。
気持ちひとつで、世の中は、楽しいことがたくさんある。
そう思おう、そう思わねば、生きている意味もない。
人生悲観することは簡単だが、悲観することは、さほど立派なことではない。
人類をやっているのに人類を否定するなんていうことは、日本人なのに日本を嫌うどこかの団体に似ている。
売地球奴と、言われないように、地球を愛し、日本を愛し、いまここにある自分の幸福を愛す。


これだけが敬愛する三島由紀夫さんができなかった「幸福と愛の時間の使い方」である。
彼から言わせればhuruhonのできなかった「憂国の行動と切腹」と言われそうだが。

このあたりには、野良猫が徘徊している。
真夜中などは、可愛い子猫がよく、ふらふら歩き回っているのを見かける。
たまに牛乳などを与えるのだが、見ていて、ほんとうに可愛い猫たちだ。
萩原の「猫街」という詩があったか、ねこの街というのも、素敵だ。

もっこく、寒椿、さんごじゅ、その他しらない花や草木がいっぱい周りには茂っている。
たくましいものだ。
何も考えず、悩まず、笑わず、泣かず、しょげず、いばらず、ただひたすらに、懸命に、命をしている。

学ばねば。


ということで、萩原朔太郎の詩集を再度めくりなおすと、記憶違いもはなはだしい。青猫という題名だった。ここで好きな詩なので紹介しておこう。

    「青猫」

この美しい都會を愛するのはよいことだ
この美しい都會の建築を愛するのはよいことだ
すべてのやさしい女性をもとめるために
すべての高貴な生活をもとめるために
この都にきて賑やかな街路を通うるのはよいことだ
街路にそうて立つ櫻の並木
そこにも無数の雀がさへづつてゐるではないか。

ああ このおほきな都會の夜にねむれるものは
ただ一定の青い猫のかげだ
かなしい人類の歴史を語る猫のかげだ
われの求めてやまざる幸福の青い影だ。
いかならん影をもとめて
みぞれふる日にもわれは東京を戀しと思いしに
そこの裏町の壁にさむくもたれてゐる
このひとのごとき乞食はなにの夢を夢みて居るのか。

私は昔から油絵でもイラストでも、どういうわけか、青が好きである。
青と紫と緑にどうしても色が偏ってしまう。白と黒はもちろん明度つけで使うが、基本的には明るい色やベージュや暖色は苦手だった。しかし、最近その暖色や優しい色にも興味が出てきた自分が不思議だ。
ただ、やはり、青が一番好きないろで、文章でも青の文字には弱い。
歌も青のイメージの歌が好きなのだ。



ヘルムート・ニュートンばりの、プロコムハルムの「青い影」もなつかしい。
ただ、原題はwhite shade of pale というのも面白い。
やはり日本人は青好み 藍好み  西洋人は白ごのみなのか・・・