「ボーカルもいいなあ」            huruhon |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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横浜に植草じんいちさんが出没しているというのは、高校生のころから知っていて、憧れの大学生になったら、○本を限りなく読む○映画を作る○ジャズ、特にライブを聴く

この3つが、私の目的になって、ガールフレンズをつくる、なんていうことは頭に浮かばなかった。
まだまだ、青かったんでしょうね。

西日暮里の「シャルマン」というジャズ喫茶もなかなかの音を聞かせてくれたし、昔は渋谷の今の文化村の裏あたりにはまだまだジャズ喫茶がたくさんあった。上野のアブアブの前の横道はいったところにも、スピーカーのいいジャズ喫茶があったな。

ぽっけに、じゃらじゃら、小銭を入れて、私はジャズ喫茶に酔いしれた。

髪の長い女性がジーンズでひとりスピーカーの前の席にすわり、リズムに合わせて、足をゆすっているような、まだまだ大和なでしこという言葉がまだ生きていた時代だ。

ディスコブームの少し前あたりである。

学生運動がまだキャンパスで動きをつくっていて、よく誘われたが、私は「思想」というものを信じない人間なので、はっきり断った。

寮に入ったのだが、一緒の部屋の先輩が、チェゲパラのポスターを部屋中に貼り付け、本棚には革命の本があふれていたのを見て、寮生活を断念。

私はひとり、神奈川の菅田町の猿渡という北海道を思い起こすようなところで、「美」に専念することにしたのだ。

そこのアパートで、4年間、書いた漫画やイラストや、読んだ本が、今の嗜好の基礎になっているし、カセットで聞いたジャズの音や、今みたいにアパートに自分用のアイポッドや、ステレオがある時代ではないので、プレイヤーでさへ持っている友人は稀有であったから。

横浜の「りんでん」 「ちぐさ」 そして、一番好きだったのは、「ダウンビート」。
桜木町の今あるかどうかは知らないが、マスターがコルトレーンを大好きだったので、必ず朝と夜のしめは、「至上の愛」がかかっていたなあ。

そんな、アルテックのスピーカーで、このヘレンメリル・ウイズ・クリフォードブラウンを聞いたのだ。
懐かしい一曲である。むずかしい曲でもなんでもなくて、私はジャズボーカルもなかなかだなあと、ポケットの240円を確認しながら、コーヒーでねばりながら、この曲を始めて聞いて感心した日を忘れない。