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立命館大学にある、国際平和ミュージアムに行ってまいりました。立命館大学生じゃないので、お金かかりましたけど、笑。

日本の過去や、国際紛争を学ぶには大ボリュームの常設展と特別展やってました。

中学生の頃に社会見学で来た以来。

ロビーには火の鳥。


特別展は、戦争経験者の壮絶な証言は生々しさと重みがありました。

常設展も見ていこうと思っていたのですが半分ほどで閉館時間が来てしまいました。

一言で言うならば...一言にならないな、ぜひ見に行って欲しいです。

戦争って、やらない方がいいなと改めて感じたし、勝っても負けても、いいことは無いし。

日本の加害の記憶って、普通は兵隊しか知りうることはないけど、知るとわかる。悲惨だな、と。


無知は色んなことをダメにする。
学ぼう。


色々見たし感じたけど、ブログにするには気持ちが重すぎて、下書きの時点でちょっと断念しました。
こんにちは。

先週かな?都構想の住民投票ありましたね。

私は大阪市民では無いしそもそも大阪府民でも無いので、ことの成り行きを見ていました。ツイッタでも投票日に、関連してゆるっとつぶやいてたりしましたが、自分のどうでもいい考えや意見を残しとこうと思い、こっちで整理して記しておきます。


投票結果は反対票が賛成票を一万票近く上回っていたということで、この前橋下さんが会見開いてましたね。

まさかの政治から退く発言で、変えようとしてくれ、さらに時々やり過ぎたりちょっと厳しめな発言があったかもしれないけど、結果を出してる人が居なくなるのはなんだか私の想いとしては、日本の制度を変えようとしてくれたなかなかいない貴重な人材だと思い、さみしいです。

正しかろうが正しくなかろうが私にはよくわかりませんが、かき回してくれることでどちら側へも闘志に火は着けれたはずなのでは...

テレビ報道では、年齢の高い方の票が多かったという見方でしたが、もちろんそんな側面もありつつ一概にそれだけじゃ無いんじゃ無いかなーとも思いました。たとえ高齢の方が多くても、あそこまで五分五分になるのは少なからず高齢の人々以外の票が一定数いるわけで。テレビで、辛坊さんが、大阪市民の職員が首が繋がったとホッとしていたとおっしゃられたとおり、安定の公務員で有りながら職を失う人々が出てくるわけですし。若い者でも、どんな立場にいるかや、そのデメリットに不安を感じるものが少なくは無かったということだとも思います。


私の意見としては、時代とともに、制度は時代に合わせ変えて行くべきものだから、賛成派でした。制度を変えるとき、やはりそれなりの犠牲と失敗と反対がつきものではありますが結局人はそれに順応して、それまであったかのように制度が成り立って行くのではと思ったためです。

議会や近代の制度は江戸と明治の変わり目に大幅に変わり、どう考えても戸惑うなかで、どんどん順応して行き、今の時代に基本形が残っているし、言ってしまえば、戦争して、戦後これまでと異なる違った考えの日本国憲法は戸惑ったはずなのにそのまんま戦後から変わらないまま今の時代まで続いてるし。


新制度は最初は戸惑うけど、そのうち順応するのでは...?


話は変わりますが。
思った以上に接戦に見えたのですが、そこで思ったのは、多数決って時に残酷だよねっていう。圧倒的多数とか、そういうのだったら素直に受け入れられるけど、接戦ということは、半分の人は違う意見を持っていてそれでも決まってしまうっていうやり切れなさ。組織票が入ってしまったら終わってしまう。よくわかってなくて入れた人の票で決まったりする。なんとも言えない...せめて投票を反映して何か新たに策を考えるなりしてもらいたいね。

でも、国民投票の場合。日本国憲法を変えるのはそうは行かないだろうな...
もちろん古くて時代に合わないところは変えた方がいいけど、昔からの考えでどうしても貫いて欲しい考え方変えるべきでないところもあるわけで。

戦争は出来ないままにしておいて欲しいね。
戦場をたくさん見てきた戦場カメラマンの
渡部陽一さんが言ったとおり
戦争の犠牲は子供たちだから。

戦争だけはしない。




まとまらないし稚拙で知ったかしててなんか一見偏ってそうに見える文章かもですが、別に大きく偏った思想は持ってるとは思ってません、衰退して行く日本の将来が不安なので関心があって語ってしまうだけでした......


こんな時間に、ふと思いついた。

嵐のこと。

あ、そういえば今日ワクワク学校当落だね、ドキドキするね!


なんだかね、最近。
嵐さん。
プライベートでは遊ばないし滅多に飲みにもいくことはないと言っていたじゃないですか。それって、ある意味当たり前だよねっていう。

四六時中一緒にいるなんて家族よりも恋人よりも一緒に居るとか言ってたりするんだからね。それでも普通に仲良くお話してるし。

テレビのレギュラーが2本。他、雑誌、コンサート会議、ダンスレッスン、シングルPV、ジャケ撮影、歌番組...etc...

さらに去年は特にハワイとか5人でいただろうし。

5人セットのお仕事本当にたくさんあるんだよね。本当に贅沢な話ですよ。

だから、考えてみた。
今って、嵐が当たり前にレギュラー持ってるし、5人の活動が当たり前になされてる。
何年も先、5人の活動が行えない年が出て来て顔を合わす機会が激減した時、きっと一緒に飲みに行ったり遊びに行くんじゃないかな、て思います。でもこの半分は私の願望ですね...笑。関係性は常に変わって行くものだし、いつか嵐が嵐で無くなることは分かり切っているけど、少しでも長く嵐が嵐で居て欲しいしきっと嵐自身もそうなのでは。

だって、何度も仕事で顔を合わすのに、地味にたまーに遊んだりとか一緒にライブ行ったり人の家に行ったり(本当にたまに)してらっしゃるんだからね。5人揃っては、ないな!とか言うけど、恐らく。5人で飲む日も来るだろうに...、

ただ、嵐さんは、チーム嵐と言うように嵐を作るスタッフさんとも仲がいいから、5人だけはあんまりないんだろうな...

と、青君見てて思いました~スタッフさんとほのぼの会話してるんだもん。


という、どうでもいい歴もそんな深くないイチ嵐ファンの戯言でした。(07年くらいからだから...7年目?くらいっすけど)
本日15時45分から渡辺陽一さんの講演会があり、行って来ました。

渡辺陽一さんといえば、ゆっくりとしたしゃべり方が特徴となり人気が出て
一時期テレビによく出ていた戦場カメラマンです。

もちろん本業は戦場カメラマンです。

本日話してくださった大きなテーマは
1.どうして戦場カメラマンになったか
2.戦場の子供達の声
3.質疑応答


現在42歳だという渡辺陽一さん。
う~ん、結構年齢不詳のお顔立ちをされているので、
何歳なのかあんまり気にしたこと無かったので案外お年を召されておりました。

1.どうして戦場カメラマンになったか
 渡辺陽一さんがまだ大学生で20歳の頃、
一般教養でとった科目でアフリカに言葉を理解するチンパンジーがいて、
それを見るために貯金から格安航空券を買い、アフリカに行ったそうです。
その森には120cmの背丈のピグミー族という民族が暮らしていたそうです。
しかし、戦闘に巻き込まれ、子供が血だらけになりながら、助けて、と服を引っ張ってきましたが
助けることが出来なかったそうです。
それ以降、大学に行きながら大きな休暇には紛争地域に行き
日本の新聞・テレビ・ラジオなどに写真を提供しようとしましたが、全く使われず、

それでも、戦場に行き続けたそうです。
大学を卒業した後も、港のバナナを積み込むバイトをしながら生活費と戦場へ行くお金を稼ぎ、
戦場へ行き続けたそうです。10年はなかなか撮って来た写真が売れなかったそうですが、

写真の先生には、
どんな仕事でも、毎日必ずコツコツと写真に関わっていること15年後には必ず結果が残せることが出来る、と行っていただいたそうです。
石の上にも15年。
石の上にも25年。
納得していくために毎日ちょっとずつ続けること。


2.どうして戦争は起きるんだろう?
国と国同士の戦いでは戦争は止めることができず、第三の国が入ることで解決していくのでは
じゃあ、どうやって入っていくのがいいのだろう…
相手の国をまず、知ることから始めよう。


IRAQ(イラク)の首都はバグダッド。イラクは、メソポタミア文明の栄えた場所でもある。

突然兵隊が自宅前にいるの?怖い。
戦争の原因は主に、
 ・民族
 ・領土・国境
 ・宗教
 ・環境
があるそうです。

そしてそれ以上に一番原因として多いもの。「石油」。
石油は、私たちが使用する生活用品全ての原材料でもあります。
よって取り合いになります。

世界はイラクへ向けて、「石油があるじゃないか、分けてくれよ」と言います。
しかし、イラクは「石油はあるけど、限られた量しか無いんです。ごめんなさい。」と断ります。
世界は「じゃあ、殴るよ!?」
イラクは「殴ってください。でも、殴り返しますと?!」

こんな風にイラクでの戦いは始まったそうです。
船の上からイラクに向けて、爆弾が沢山落とされ、外国から家に銃を持って兵隊がやって来ます。

そうやって始まる戦争の犠牲者は、いつも子供達。

70年前、私たちの国日本は戦争をして、長崎・広島に核爆弾が投下されました。
そこから、二度と使われないだろうと思われた核爆弾。

しかし、イラクでは秘密のうちに危険な爆弾が使われていたそうです。
それは、「劣化ウラン弾」

打ち込まれると危ない劣化ウラン弾は、何発も打ち込まれ、土の中、水の中に潜り込んでいったのです。戦争中のお母さん達、妊婦さん達は、次に生まれてくる命を大切に育てるため、お米や果物、食事をちゃんと食べていました。土の中水の中に潜り込んだ劣化ウランは、お米や果物を経由し、母の口から赤ちゃんの中に行ってしまったのです。

そのせいで、生まれて来た子供達は、生まれた時から身体が動かない、生まれた時から、目が見えない、声が出ない、腫瘍がある、そして、白血病にかかる子供達。
これらは、病院に行って治療をすれば、少しでも良くなるかもしれない。しかし、戦争中。病院が破壊され、薬が燃やされる。白血病すら治すことが出来ない。

そこで、世界のお医者さんが集まり、イラクへ赴いた。日本からも沢山のお薬が提供され、
それらが子供達に届くはずだった。届く直前…

今度は、テロリストが現れた。国際テロ組織でもあるイスラム国。
薬は再び燃やされ、医者は皆拘束されてしまったそうです。



(それから話題は変わり、
片足をロープでグルグル巻きにされて反対側を支柱に結びつけられた子供の写真}

インドは世界一の経済成長国で、人口約12億人にもなり人口であふれかえるこの国には、人が多過ぎて仕事がない。なのでこの写真の親は、両親とも働きに行っていて、子供は、いなくならないようにこうやってつなげられている。もちろん、そのロープの範囲だけしか動けず、トイレにも行けない。


(さらに写真が変わり、女の子達の写真)
世界の沢山の国・地域で女の子は自由に学ぶことが出来ない。
パキスタンでは宗教色が色濃く残っており、ある女の子がブログで勉強がしたい、と書き込み続けていたそうです。それを見つけたイスラム過激派組織のタリバーンはそのブログを書いた女の子を捜し出し、学校で銃をとり、頭を打ち抜いたのです。しかし、奇跡的に命を取り留めました。

その女の子が、14年ノーベル平和賞をとったマララ・ユスフザイさんでした。
銃で打ち抜かれたこと、ぼんやりと覚えてますね…ノーベル賞のスピーチの前後でも命を狙われていて厳戒態勢、とかありましたね、そのニュース知っています。

マララさんは、ノーベル賞のスピーチの前に国連で、
戦争は、武器で止めるものではなく、1本のペンと、一冊の本で止めることが出来る
一本のペン、一冊の教科書、一人の先生がいれば基礎教育を受けることが出来るし、
教育を受けた人が増えることで戦争が止められる。


カメラマンをしていて、よく聞かれるのは、日本のこと。
カメラマンを通して、世界の子供のことを日本に発信するとともに、
日本のことについて世界の子供たちに知らせることが出来る足がかりになれたとのこと。

極限に立たされたときの最後の力は、家族が一緒jにいること。
家族が一緒にいることで、親は子供に優先的に食べ物や薬を与えられることが出来る。
戦闘の極限の中、子供達が笑顔になるその瞬間を残して行く。。

「日本でもなにか出来ることはありますか?」
>自分の足で見て、聞くこと。いろんなところに自分の足で赴き、お話を聞き見てみること。
 どんどんやってみることで世界と繋がるきっかけになる。じぶんが疑問に思ったことに、
 飛び込んでみる。案外世界と繋がるきっかけは日本にもたくさんある。
 渡辺さんが日本にいた頃、募金は本当に届いて行っているのだろうかという疑問を持ったそうですが、カメラマンになり、その募金が届くまでを追いかけたそうです。自分の目で確認できたそうです。自分が入れた募金はアフリカのガーナの制服になったそうです。
興味のある物、疑問に思う物に踏み込んでみることだそうです。

「今までで一番命の危険を感じたことは?」
>9年前のシリア西側レバノンにて。
 2006年7月、ベイルート上空で、ピカ、ピカと何度も光っており、何だろうと思った瞬間目の前のビルが爆発し、逃げながら写真を撮ったそうです。そのとき爆風を浴びていたら今生きていないとか。。

「イスラム国の後藤さん・湯川さん殺害映像について」
>2015年1月20日イスラム国で後藤さんが殺害されました。
 そして1月18日に渡辺さんはトルコ国境近くで取材を行っていたとのことです。
 報道というものは、事実を伝えるため、悲惨にみえるような演出は報道には入れないのですが、
 イスラム国はその演出を入れ、さもストーリーがあるように見せてた動画を作った。
 これの目的は、自分たちが存在している、国連に認められなくても、存在を世界に認めさせる
 ためだということです。そのため、最初動画を使用していたマスコミも、しようを控え、
 文面のみとしていた、とのこと。事実かどうか、何が正しいか、判断する力を持ちましょう。

「渡辺さんにとって、感動した景色・美しい景色は?」
紛争地帯は、悲惨さだけではない。子供達の笑顔の瞬間、紛争の中にある子供達の
笑顔の瞬間を切り取れたとき。
また、パルミラ・アフガニスタンのバーミヤンなど、取材地域に世界遺産があると、
関係なく、写真を撮りに行くとのこと。


最後に
ぜひ、世界に行って欲しい。
それは、べつに紛争地域に行くのでなく、旅行でも勉強でも何でもいいので、
世界をぜひ見に行ってみて欲しい。

とのこと。


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感想

渡辺陽一さんがどうして戦場カメラマンになったか、実はネットの経歴で少し読んでいたので知っていました。お話を聞いて、さらに真実味が帯びたように思いました。

イラクで核爆弾が使われていたこと、実は知らなかったです。
知っていたのかな…?忘れてたのかな…?

私は、女性のジャーナリスト山本美香さんのお亡くなりなった報道で、戦場ジャーナリストやカメラマンに興味を持ちました。危険な地域に赴き、命がけで事実を伝えてくれているこの戦場ジャーナリストは、とても憧れて、とても尊敬しています。それは、命の危険が無い日本で住んでいるからなのかもしれないですが…。
去年、報道写真展など、多くの報道写真の展示を見に行きました。
紛争地域、世界の社会問題を伝える写真一枚一枚は迫力があり、我々に静かにその国が今起こっている事実を淡々と伝えていました。その一枚を撮るために、命がけであるはずでした。

去年見に行った写真展で印象的だったもの。

インドの、原発反対の暴動。
カザ地区の破壊された建物。
バングラの工場の崩壊。
どこの国か忘れましたが、公害による、変色した土壌。
カンボジアで売られている犬の丸焼き(文化の違いにショックを受けました)
アメリカのショッピングモールでの打ち合いの惨劇。

いろいろ。いろいろありました。


お話を聞く限りで。
写真を見る限りで。
それでも、戦争は遠い。
日本からはとても遠く感じる。
70年の年月で、もしかしたら忘れているのかもしれない。


戦争の犠牲者は、いつも子供!


これだけはまぎれも無い事実で、重みのある言葉でした…
以上です。
突然ですが、私の心に残る本、漫画を紹介します。
主に小学生の頃に読んだ本ばっかなのが面白いんだけど...笑。


気になったらAmazonへGOψ(`∇´)ψ

「世界がもし100人の村だったら」
小学3年の頃に担任の先生に紹介していただきました。それからたまにこの本の話聞きます。世界を100人に例えると世界でどれくらい貧困で苦しむ人がいるかがシンプルによくわかります。

「どんぐりの家」「遥かなる甲子園」
こちらも同じく小学3年生の頃に学級文庫として置いてありました。マンガですが。また、中学の図書室にもありました。ろう学校の耳に障害を持つ子供達とその親のお話でとても生々しくリアルな描写で今も頭に焼き付いています。

「はだしのゲン」
マンガです。おそらく私が読んだのは、これまた小学校半ばです。描写の生々しさは軽くトラウマになるかもしれませんでしたが、その前にブラックジャックや手塚漫画が大好きだったため、特に生々しい描写がトラウマになることはありませんでした。


「itと呼ばれた子」
海外のお話ですが児童虐待のお話です。本です。
これは小学5年の頃にクラスメイトに教えてもらいました。何冊かあるのですが、ノンフィクションの虐待体験の話です。タイトルはよく覚えていますが、内容結構忘れてしまいました。しかしかなり壮絶だったように記憶してます。思い出すのを拒否する内容だったのかな、笑。

「真っ黒なお弁当」「ちいちゃんの三輪車」「怒り地蔵」「かげおくり」etc..
小中学にて。戦争モノの絵本やお話は学校の教育でも積極的に取り入れられていて教科書にも載っていた他、教科書に載っていなくても、別紙としてホッチキスで作った簡易教科書も用いられていました。子供が関わるお話が主だったので当時は嫌がることなく読んでました...


「ハッピー・バースデー」
なんだっけ、母から愛されず、苦しみ声をなくした女の子のお話。読んだ当時、年齢も近くてボロボロ泣いてしまったことを思い出す。同じ境遇だったわけではないが、上に兄がいることで共感。また、当時夫婦喧嘩が絶えない家庭事情だったため、さらに感情移入していました。


「時生」
親子の不思議なお話、とまとめられようか。
難病で短命の息子が死後に父・拓実の若い頃にタイムスリップして会いに来ていた。ダメ男だった拓実と息子のお話。切ない。切なくて泣いた。高校1年の頃。


「蹴りたい背中」
読んだ当時の自分と主人公の共通点が多すぎて涙堪えながら読んでた。高校に入って友達が出来ない、陸上部。プロフィールは似てた。ただ作品のような登場人物とは出会わなかったけど。こちらも高校1年の時に。綿矢りささんの本です。


「神様のカルテ」
櫻井翔さん主演で実写映画化もされましたが、小説の栗原一止と映画の栗原一止は私の中で別物です。もちろんどちらも、素敵な一止さんです。お話や文章で優しく暖かい気持ちになれます。それと同時に、地方の医療の現実もある意味示しているようです。

「象の背中」
音楽を聴いてから読みました。ガンにおかされ余命半年の主人公は、自分がこれまで出会い影響を与えてくれた人達に会い、手紙を残すことにします。もしも余命を言い渡された時、自分はどんなことするのだろうって、考えさせられました。考えた結果、私の場合は、人に悲しい思いをさせるのは嫌なので誰にも知らせずに逝くという結論に達してしまったのでした...しかもかなりリアルに。


「100万回生きた猫」
小学2年の時、読書ノートの第一冊目に選んだ本。当時は思わなかったことも最近になって思うことがあったりと不思議な本。100万回生まれ変わった猫は、愛する猫と出会い、生まれ変わることを辞めるのですが当時はあんまり感想が出てこなかったんですが、大人になって、幸せ、とか、愛、とかによるものなのだなと。実は深い、小学校の図書室にあった絵本です。