Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait

Jean Cocteauの言葉
”人生において人は何かをしなかったということ以外に
後悔するものはない”です。

連作のミステリー。

 

ミステリーというか人間模様のドラマというか。

ちょっとした嘘のはずが勘違いやすれ違いを生んで

今につながっている。

その嘘がなければ、この”今”はないのだ、

 

風が吹けば桶屋が儲かる、という言葉が合うのかな?

バタフライエフェクト?

 

きっと私たちも

ある日ある時の、ある人の一言に勇気をもらって

今を生きている、そういうこととつながっている気がした。

一年前から体調を崩していた父が亡くなった。

 

6月に日帰りで入院中の父の顔を見に行った時は

しんどそうながらも会話ができていて

また家に戻って好きなもの食べてね、

そんな感じだったのだ。

 

しかし万が一のことが頭をよぎり

7月初めに書いた記事、短期入所の見学に

つながっていくのである。

 

私も施設の職員さんも、練習から始めましょうね、

とのんびり構えていた。

第三セクターのほうは8月から日中一時をスタート、

近所のほうは7月末に素泊まりからスタート、

その予約をしていた。

 

しかし7月中旬に延命治療はしないという

(解熱など基本的な治療はするが)

方針に切り替わり、

それは父が過剰な治療にたえられるほどの

体力がなくなってきたという理由からなのだが、

両施設にその旨を伝え、緊急事態があるかもしれないと

連絡をしておいた。

 

その日は突然やってきた。

7月最終週、私の携帯に「お父さん」から着信があった。

「お父さん、私に電話できるくらい復活したの?」と

思ってワクワクしたら、電話は母の声だった。

父が亡くなったという連絡だった。

 

ここから実家へは飛行機で1時間半。

新幹線など乗り継ぐと4時間半。

(空港に1時間前到着など考えると電車移動の

所要時間と実は変わりない)

出入りのことを考えると三泊四日だ。

 

まず近所の施設に問い合わせた。

近所の施設は通所も日中一時も契約していないので

泊まることしかできないことがわかった。

通所を利用している第三セクターに問い合わせた。

ここは日中一時も契約している。

緊急事態対応なので三泊四日大丈夫だ、と。

 

兄が海外にいるので、兄の到着を待っての葬儀。

いつから泊まるのかもう一度計算してカレンダー見て

三泊四日を申し込んだ。

 

次は飛行機のチケット。先に書いたように

所要時間は電車移動と変わらないのだけど

急ぎはなぜか飛行機だと思っていたので

飛行機のチケットを私と4ちゃんの分で予約。

 

夫は一人夏休みで県外にいる。夫に連絡したら

葬儀に参列するということで、葬儀の日に実家に合流。

夫の喪服も準備する。

 

3ちゃんの三泊四日と私の荷物と

私と4ちゃんの移動のチケットと、、、、

とにかくすべてが同時進行。

 

熊本地震の影響もあるのか3ちゃんが泣きやすい。

そんな状況でも(だからこそ?)

短期入所に頼るしかない。

 

実家に着いた。

父は家で眠っている。布団、着ているもの、

顔に布がかかっていること、すべてが違うが

眠っている父なのだ。

 

生前の父は仕事が生きがいで、休日家で過ごす時は

昼寝をすることが多かったので

眠っている父に全く違和感がない。

悲しいより信じられない気持ちだった。

 

4ちゃんは生前の父のイメージしかないから

遺体となった父を見たくない、とずっと別の部屋にいる。

 

兄の子どもたち(私の姪や甥)が到着。

そして夜に兄が到着。

 

その翌日に湯灌の儀。それでも私は信じられなかった。

そしてお通夜。いろんな人が弔問に来てくれた。

私の同級生も何人も来てくれた。

それでもまだ私は信じられなかった。

 

お通夜が終わってから、父に手紙を書いた。

照れくさくて言えてなかったことなどを書いた。

 

葬儀。

出棺の時に父への手紙を入れた瞬間に

本当に最後なのだと悲しみが一度に襲ってきた。

それまでは信じられない気持ちばかりだったから

やっと現実のことだと心が理解した。

それでも父は眠っているのだ。

 

火葬直前。

母や兄は明るく手を振っていたけれど

(父は明るいことが好きだったからね)

私は手を合わすことしかできなかった。

バイバイも言えなかった。

本当にさようならなんだけど

バイバイしたら現実として受け止めないと

いけないのが怖くて

祈ることしかできなかったんだ。

 

私も兄も遠方にいるからか、初七日は同日に終わった。

翌日こちらに戻り、夕方に3ちゃんを迎えに行った。

 

職員さんが明るく迎えてくれたので

「皆さんのおかげでしっかり父とお別れができました」

と言った途端泣いてしまった。

お別れ、の言葉を口にした瞬間、

お別れが本当の現実になってしまったんだ。

 

3ちゃんは相変わらずの様子で施設から出てきた。

その様子が私を日常に引き戻す。

障害を持つ子に支えられることもある。

 

短期入所は入所中の様子の連絡帳などがない。

地震が続いているから泣いて暴れていただろうに…。

 

私はこれで日常生活に戻りつつあるけれど

母は書類の手続きに追われているはず。

電話やメールで心理的に支えることはできても

物理的に何もできないのがもどかしい。

 

「ふと思って」

この感覚って実はとても大切だと思った。

 

ふと思って去年に養成講座を受講できて

修了していてよかったんだ。

国家試験にも合格できていてよかったんだ。

もしそれが今年にずれていたら

父に日本語教師になって働くことを報告できなかった。

 

短期入所の契約もふと思って突然動いたけれど

タイミングがよかったんだ。

 

うちには二台車があったんだけど

そのうちの一台を先月手放したんだ。

かかっただろう車検や修理代が全部交通費になったんだ。

 

きっと父が導いてくれたのだろうと思っている。

西加奈子さんの文は

私もその経験があるんじゃないか?と

思ってしまうくらいリアルで臨場感があって。

 

今回の「夜が明ける」は

読み進めたいのに読み進められない、

重い重い内容でした。

 

西加奈子さんの描き方は

私の気持ちを文章化しているのかも?

と勘違いさせるような気がして重いのだ。

 

もしかしたら主人公の名前が出てこないから

自分ごとのように感じてしまうのかもしれない。

 

面倒くさくても、行き詰ったり困った時は

人を頼ることが必要だと思った。

 

一番目に会う人がダメでも

そこから次に続くかもしれない。

その人がダメなら次の人を探す。

 

学校に通うってそういうことなのかなって。

いろんな人と出会っていろんな価値観があることを

学ぶ場なのではないか、と。

 

自分の人生に直接関係ない

たとえば微分積分とかであっても

「世の中これが役に立つ業種があるんだ」と

知るだけでもいいと思うんだ。

 

出会いが少なければ本でもいいと思う。

私はこの「夜が明ける」でこういう世界があるんだと

(フィクションであっても)知った。

 

今回のこの本に関しては

私には重すぎて感想が出ない。

思ったことしか書けないな。