我が心のふる里「立石」 | ”明日は何処へ”

”明日は何処へ”

平成30年春に定年退職した初老の爺が、
豆柴タロウと伴に目を凝らし耳を澄ませて、
日本のいいとこ発見の風まかせ行脚。

 

駅前再開発で、無くなってしまう古き良き東京の下町

 

私の生まれふる里は、東京都葛飾区立石。

大工でもないおじいちゃんが戦後に作った

木造トタン葺きの家が、昭和32年に生まれた私の生家。

 

大学生になるまで、その家に住んでいました。

 

最寄り駅は、京成電鉄「立石駅」

 

駅前は、アーケードや小さな露地が入り乱れて、

歩いている人というと、

スーツというより作業着の男性、

子供を背負った割烹着姿の女性

 

僕ら子供は、毎日10円のお小遣いをもらって駄菓子屋へ

 

そんな立石の駅前が、再開発のために取り壊されてしまうとのこと。

 

今は東京を離れて暮らす私のために、

立石の友人が1冊の冊子を送ってくれました。

 

失われゆく、立石の小さなお店の歴史

 

ぼくらはこんな路地で、鬼ごっこやかくれんぼ、缶蹴りをして遊んだもの。

 

 

隣のうちの壁との距離が、30センチくらいの嘘のようなホントの話。

私も子供のころ、隣のうちの上級生と糸電話で窓と窓をつないで

遊んでいた思い出がある。

 

各家庭にお風呂や電話がなかった時代

お風呂をもらいに行く、電話を借りに行く

 

それが日常だった。

 

生まれ故郷の風景が変わってしまうのは、寂しいもの。

 

振り返ってみたら、立石を出てから、いろんなところに住んでいました。

 

東京都日野市

  〃 台東区谷中

  〃 大田区大森

  〃 北区赤羽

  〃 練馬区関町

神奈川県川崎市麻生区

静岡県静岡市銭座町

  〃  〃  井川

  〃  〃  丸子

  〃 富士宮市

  〃 三島市

  〃 沼津市

  〃 浜松市 

  〃 藤枝市

長野県安曇野市(現在)

 

どこもみんな良かったですが、

もう一度あの頃に戻るとすれば、

  葛飾区立石 ~ 青春時代

  台東区谷中 ~ 街の雰囲気がいい

  静岡市井川 ~ 憧れのアルプスの懐

かな・・・・・・・・。