ふんてるの日常⊂((・x・))⊃ -3ページ目

ふんてるの日常⊂((・x・))⊃

ごくごく普通な、どこにでもいる社会人の日常。

ども、26周年目を迎えたふんてるです。

と言いつつ誕生日から1週間以上経ってしましました。

誕生日更新は欠かさずやっていたのですが。

実はこれには浅~い訳がありまして…。

 

〇神ゲーという名の病みゲー

日平均6時間(21時~翌3時)もオーバーウォッチをやっていたのが主な原因ですっ!!

マジやべーと思いつつも、ついやってしまうという。。

というのも、こちら続編の詳細が来て、リリース日も発表となりまして。

そしてなんとフリープレイ化ということでテンション上がっちまってるんですわねー。

「世界はヒーローを求めている」

改めて良いコンセプトだし、流行らないわけがない、と思う。打倒Apexだ!!

続編では魅力的なヒーローストーリーが深掘りされるとのことなので、更に楽しみ。

楽しみなんだけど…いやもう最低でも2時間やってる。なんなんこれ。

別にプロ目指してるわけでもないし、特別上手いわけでもないのに。。

電源切った後に、毎度強い後悔に苛まれる。

特に止めるタイミングを見失った連敗続きの日なんて…。

もうPS4カチ割ろうかなと思う。そしてPS5を向かい入れるんだ。()

朝10時に起きても余裕で間に合うの環境もヤバい、

深夜3時就寝が当たり前になって生活習慣バグってる。

どなたかこのカオスから抜け出す方法を教えて下さい。(´・ω・`)

この熱中をシナリオやブログ執筆に持って行きてえです。。

故に、神ゲーでもあり病みゲーである。。。

 

〇終わりが見えた大作
ぼくと世界が終わりの見えないカオスに飲み込まれてる最中、あの大作も続編を発表しました。

 

 

FF7リバースとな。そしてトレーラーの会話が気になる…。

クラウド「あの日…もう手遅れだと思った…」 

エアリス「それって、私を疑ってるの…?あの時とは、別人じゃないかって…」

あの日というのはエアリスがセフィロスに刺された日を連想しちゃいますが、

これに対してエアリスが別人だと匂わせる発言…えええぇぇどういうことぉぉぉ引きが凄い。。w

旧作の作り直しではなく、旧作の続きのお話なのか…?(シンエヴァみを感じる…

まぁ2作目に"リバース"という副題が付いたことにより、単純なリメイクにならないことは確か。
いやしかし台詞切り貼りミスリードの可能性もある…(結局エアリス死ぬんか…がありそう

リバースがサブタイって…エアリスが死なず、ティファが死ぬ運命になるのかもしれない。

色んな想像が膨らんでしまう、、良シナリオの証だなぁ凄いなぁ。。

 

さらに3部作になるとのことで、終わりが見えてファンも、きっと開発陣も、安堵してますね。

(リユニオンがあるので実質4部作なんだけどもw)

最後はリライトかもしれん3番目は。上書きすんのかな。んでもってエンディングはアジカンで。

ん~…邦ロック流すと世界観ぶっ壊れるなw

にしてもまじでPS5を確保しなければならなくなっている。

抽選当たってくれよおおお!!(只今十数連敗中

 

〇人生は選択の連続である
直近でプレイしたゲームで良かったのは、

ゲーム好きな人が最高のシナリオだと謳っていた【ライブイズストレンジ】。

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これまた素晴らしかったですね…確かにトップクラスのお話だった。

「人生は選択肢の連続である」というコンセプトで、

時間を巻き戻せる主人公は、何度もその選択をやり直せるんだけど、

「仮に未来を知っていたとしても、どうあがいても絶望の選択肢だってある」

そんな人生のやるせなさ、奇妙さみたいなものを体験できてすごい良かった。

葛藤が物語の深みになるってのを体現したような作品。

 

ゲームじゃないとできない演出も良かったなぁ。

プレイヤーが主人公になりきって選択肢で葛藤したり、

人のSNS覗いたりw(映画やアニメでやると違和感あり過ぎるけど、ゲームだと不思議とアリになる)

朝起きるか起きないか悩む時間もゲームで再現されててすごい。

ゲームとしてあまり意味のない、ぼーっとする時間の演出が逸品なUXだなぁと。

「時間を巻き戻せば何とかなるっしょ」が途中で裏切られるのも面白い。

いちいち絵になる情景も癒しで、そこで流れる音楽もまた叙情的な雰囲気にマッチして最高だった。

記憶消してやりたいシリーズの仲間入り。


〇先月観た映画振り返り
映画館で観た2作を振り返る。

 

・シンウルトラマン
カメラワークとか怪獣のアクションとか、役者の演技とかで単純に面白いところが随所にあったけど、

作品全体として楽しめたかと言うと微妙だった。ウルトラマンコスモスくらいしか見てなかったからかな。
(かつてはウルトラマンランドとか行ってたけど、ウルトラマン好きなのは小学生までだったなあ)
シンエヴァやシンゴジラとの繋がりを感じたりしたところは面白かった。

ウルトラマンの歴史を知ればもっと面白いのかもしれないが、マス向けではない感じはひしひしと。

いわゆる分かりにくい映画だった。(分かろうとすると面白いんだろうけど時間が足らねえ

 

(こういう動画見るだけでも分かった気になれます)


・ハケンアニメ!

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様々なしがらみにもがくアニメ監督とその現場のお話で、

どこかSHIROBAKOを彷彿とさせるが、

こっちは今期ナンバーワンアニメ(覇権アニメ)を目指すという目標がハッキリしていて、

途中で迷子にならず分かりやすかった。

 

クリエイターにおける生みの苦しみや、理想と現実の葛藤にひたむきに向かい合う姿、、

見ててカッコいいし憧れるし胃が痛む。

でもちょくちょくコミカルな笑いを挟んでるからか程よく息苦しさは緩和されていて、

かなり見やすい上に、創作熱を掻き立てられる良作だっ…!

葛藤の部分で言うと、作品の世界観を大事にしたい監督と、

ビジネスとして世界観よりマーケティング重視で動くプロデューサーの対比が印象的。

他にもアイドル声優との軋轢や、職人気質のスタッフとの衝突などあるものの、

これを納得感ある展開で解決していく様が気持ち良かった。
後半のご都合主義感は否めないし、

細かいところ(主人公が何でロボットアニメで勝負してるのかとか)で気になる部分はあるけれど、

話のテンポやアニメーション演出が気持ちよすぎて気にならなくなっちゃってた。

んでもって劇中アニメパートの気合い入れっぷりもすごい…!
パンフレットを読んでると2作品24話分のプロットがちゃんとあって、

これがちゃんと面白いし、覇権アニメというハードル高い前提に応えられてるのがまたすごいのです。。

「ハケンアニメ!」自体に原作あるらしいので劇場版と比べて読みたいやつ。。。

あと個人的に好きだった言い回しで、

「リアル以外の場所も豊かにするのが、私たちの役目ですから」

ってセリフがあって、ゲーム業界にも通じるなぁと。

ウクライナ情勢や衰退していく日本の状況を見て、

個人的にゲームづくりの意義を見失ってたところがあったけど、この言葉で救われた部分があった。

そうだよな、現実があまりに残酷で辛いから、リアル以外に充実を求めるんだよな。

悪く言えば現実逃避だが、良く言えば現実避難所。

津波のように押し寄せてくる現実の不安から非難する場所。

そんな避難所を作ってるのだ。

 

ちなみに本作のロケ地がめっちゃ生活圏でより感情移入してた。

劇中に主人公扮する吉岡里帆が歩いてた道、いつも通ってるんよw(身バレ怖いがそれでも言いたい←

主人公が所沢住んでたのは、パンフ読む感じ監督が宮崎駿リスペクトしてるのが影響してるのかも。

宮崎さんが所沢在住で、トトロの発想元・アニメの聖地的な場所だから。

いやはやそんな場所に住めてるのは誇らしい限りだなー。

〇上野ぶらぶらバースデー
今年の誕生日はなんとBUMPがライブやってくれるってんで、

これは行かないわけにはいかない…!となりましたがチケット用意されませんでした( ;∀;)

 

もしライフイズストレンジみたいに時間を巻き戻せるのなら、、

力の使い過ぎで鼻血が出ようと、バタフライエフェクトで嵐が訪れようと、

当選するまでタイムリープしてましたわ。。

いやーもう転売ヤーからのチケット購入も一瞬よぎったよ。。。

でもそんなんで行けても絶対に後悔するだろうから止めた。

BUMPのバースデーLIVEに行けないことを受け止めて、

今年の誕生日は上野に繰り出したのでした。

ん?なんで上野かって…?知らんがな!

なんか雰囲気オシャンティーだからさぁ!!気晴らしだよ!!(´・ω・)

 

ひとまず、上野駅前にあった夢を追って来たのであろう若者の詩に思いを馳せたりしてました。

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んでなんか蓮がすごい広がってる湖を望んだり、

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ブルーピリオドの舞台となっている東京藝大を覗いてみたり、

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寮みたいなところが年季入ってて味がすごかった

 

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ブルピマンホールあったあ

 

上野動物園…の周りを歩き回って(さすがにソロ動物園は厳しい)、、

生き着いた先は国立西洋美術館でした。

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そこで展示されていたゴッホ絵の寓意が興味深かった。

ゴッホは夏の炎天下の麦刈りの眺めに、

時が来れば一生を終えるほかない、人の<死>のイメージを見たという。

それは悲観的な印象ではなく、天の光が明るく照らす慰めに満ちたものであって、

混沌と不安にみちた世界の中に救いや癒しをもたらす、楽園のようなものの象徴だと。

 

今年なんか特に混沌と不安に満ちてて、呪いの年と呼ばれてもおかしくない。

戦争は始まるわ、物価は上がるわ、ビットコインや株が暴落し50万くらい損するわ、

異常な酷暑が始まったと思えば、元首相は暗殺されるわで。

まるで先の暗い未来をぬくぬくとなぞる日本で、刈り取られるのを待っているみたい。

それでも人は、闇に沈んでも光を目指してもがく。陽は沈みまた昇るのだ。

虚しさと癒しが入り交じった何とも言えない気分で、

BUMPライブに行けず、リア充カップルの横でじーんと見入るアラサー男なのであった。(遠い目

 

あと「ヴァニタス」ってキーワードも印象的で。

人生の虚しさ、無常観を意味するらしく、これを芸術に昇華してる作品に惹かれた。

だいたい骸骨が描かれてるんですけど、なんか落ち着くんですよね。

「どうせ人は死ぬんだ」って不安になる要素がありつつも、慰められてる気もしていて。

この世に芸術が無かったら人間はどうなってたんだろう。芸術は慰めだとつくづく思う。

 

ちなみにこういう壮絶な時代から生まれた絵とかに触れてから、

商業的なアート展とか行くと、キラキラしたものばっかで嫌になっちゃうなぁって思っちゃう。

「わぁー綺麗~」ってわかりやすく良さげなものが並んでいるのが嫌になるというか。
綺麗だけど空っぽに見えるというか。(mochaさんあたり…ほんと良いイラストなんだけども!

捻くれると「綺麗な背景に女の子を立たせとけばええやろ」って意図が透けて見える気がする。。
んでこうした批判すると芸術を知った気になれて、そんなマウント取ってる自分を俯瞰して、
それが愚かに見えて、これまた自己嫌悪ってゴールに行き着いちゃうわけで。

はーぁ、素直になりたい。この息苦しさ芸術に昇華できんかなぁ。

 

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美術館を出ると、地獄の門が置いてあった。

”創作の世界は地獄だ。”

なんかそういうメッセージ性を感じた。

 

上野にも好きな油そば屋があったので、帰り際にバースデー油そばを頂き、取り急ぎ満足した。

 

何はともあれ、無事に26歳を迎えられて良かったな。

久々に連絡くれた人もいて地味に嬉しかったし。一言だけくれた人にも感謝したい。

俺とか面倒で滅多に人の誕生日とか祝わないから、より思う。

一瞬でも俺の事を思い出して、コンタクト取ってくれただけでも有難いことだ。

 

〇人として見てくれる人

んでもって26歳はじめての週末は、前々職の上司(おじさん)と水族館に行って野球行きました。

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ペンギンに夢中おじさん

 

退職後も付き合ってくれる上司って感謝しかないですよ。

いや多少の面倒はあるけど、そんな面倒はどうでもよくなる。

会社の人間としてだけでなく、一人の人間として向き合ってくれて、嬉しい。

夜は飲みに行って「楽な方に流れちゃうんですよ~」とぼやいて、
「30歳までにしっかり経験積んどけよ」とか説得力持ってガツンと言ってくれる人なかなか居ない。
でもずっと居てくれるわけじゃないから、居てくれる間にちゃんと前向かなきゃな。
あと奢り合いって気持ち良いな。持ちつ持たれつの関係性というか。
上司に対してはちょっと多めに出してもらうくらいがちょうど良い。全部出してもらうより圧倒的に。

 

ちなみに初めての野球観戦は完封負けでした。
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上司が西武線沿い出身だったということもあり、

この日は西部ライオンズを応援していたところ、完敗です。手も足も出てなかったwww

九州出身ということでソフトバンク支持者でしたけど、この日で嫌いになりました。

あの上司のくそデカため息は忘れんぜ…(´_ゝ`)

 

〇残酷な選挙のテーゼ

今回の参議院選挙はいろんな虚しさに包まれましたね…。

若者が全員行っても団塊世代には敵わないっていう虚しさ。

自公が圧勝する虚しさ、そして安倍元総理が殺されたという虚しさ…

 

>若者が全員行っても団塊世代には敵わないっていう虚しさ

これに関しては、余命投票制度とか、世代別選挙区制とか新時代の制度で調整おねしゃす。

 

>自公が圧勝する虚しさ

なんでこんなに自公の支持率が高いのか解せぬ…

 

>安倍元総理が殺されたという虚しさ

そりゃ態度や教会に不満があったにせよ、殺しちゃならん。

殺したもん勝ちの世の中じゃあ、人は豊かには暮らせまい。。

恐怖が支配する世界は結局破滅するんだぞ、ウォーキングデッドがそうだったよ。。。

とか言えるのは恵まれてる側の人が言えるのであって、

当事者にはそんな論理、通用しないんだよな、やるせないことに。

仮にライフイズストレンジみたいに時を巻き戻せたとして、

安倍さんを救ったとしても別の誰かが死んでた気がするんだよなぁ。

容疑者の恨みつらみはどこかで暴発してたんじゃかろうか、、やるせないことに。。

 

それはそうと、世界の敵みたいになりつつあるプーチン氏までもが追悼コメントしてたし、

偉大な人だったんだなぁと実感する。亡くなったから美化されてる部分もあるにせよ。

一方でSNSはぐちゃぐちゃになってた。哀しむ人はもちろんのこと、

安倍氏ね言ってた人がちょっと反省してたと思えば、煽る人もいて、

好奇の目で事件を見てコメントすると、不謹慎警察が噛みついて。

政治家が暗殺の話振られたら、すぐ民主主義の話に繋げる。

とにかく違和感に満ちた選挙だった。ガーシー当選もそうだ。

でもそんな悲劇や変化を、内心で面白がってる自分もいる。

 

「暇と退屈の倫理学」という本で、人は退屈に耐えられないから、いつも事件を欲していて、
ネガティブなことでさえも人は望んでしまうという話があった。

夕立は怖くて嫌。でもどこかワクワクする。そんな非日常を楽しんでいる感覚みたいなものか。

悲劇が気晴らしになってるなんて認めたくないけれど、

そんな感覚が今回の件に関してもある気がする。人間ってほんと矛盾だらけで厄介だな。

この世すべての問題が解決しても、人はまたわざわざ事件を作り出すんじゃなかろうか。

ちょっと神様、世界を複雑に作り過ぎたんじゃないんですかね。


〇ヤバTは現代を表している

まぁ人がエゴを持ってる限り、全ての問題なんて解決することは無いんだろうな~。

そんなことを思って息詰まったらヤバTを聴くと良き。

この曲なんかは「税金ばり高い、笑えんマジやばーい」とか、

共感できる愚痴というか歌詞を、笑い飛ばすような曲調内容でひたすら愚痴るんだが、
そうやって今をやり過ごすっきゃない、っていうやるせない現代の状況が詰まってる気がしてきた。
日本のリーダーが殺されたとか、未来の日本がなんだとか戦争がなんだとか、
明日の仕事だとか、SNSで話題のあれこれだとか。
情報過多な世の中を、軽快なメロディで吹き飛ばしてくれる。これが気持ちよくてたまらない。
抗議するわけでもなく共感を歌って、浄化される。平和的。

だけどなんも変わらん。それもまた日本的。
ほんま所得税とか住民税とかええかげんせえ!ホントええかげんに…せぇ。。。
 

〇しんどいけどやるしかなしに

何かと疑問だが、疑問をかかえて進むしかないんだよな。

ウツ娘プロジェクトを立ち上げて早一年…進まん!半年で作れると思ってたとかアホか!

時間はあるはずなんだが吸い取られる。気晴らしの娯楽の海に溺れる。

 

ウツ娘PJを共有した友人に、編集者のように喝を入れてもらって、シナリオを書いてるんだけど、

浮き輪を投げて貰うんだけど…進まん(。-∀-)

YouTubeという娯楽の波に飲まれる…助けて。
もうハンバートハンバートの「虎」のような気持ち。

 

 

創作に向かっても「あぁ、今日も時間を無駄にした何も出なかった。」となる日はざら。

何も生まれなかったこの時間で、気になってた映画や動画も見れたし本も読めた。

ゲームだって出来たのになぁってなる。

娯楽が溢れすぎて、毎日が機会損失まみれのようで、得たものがあるはずなのに失った気分になる。

時間という財産を握りしめて逃げ込んだ先は、消費期限が今日限り、いや数分と持たないの悦楽。

この罠から抜けたいけど抜けられない。気づけば現実逃避する場所だらけ過ぎんか。。w

「俺の敵は だいたい俺です。

自分の宇宙へ行きたいっていう夢をさんざん邪魔して、

足を引っ張り続けていたのは 結局 俺でした」

宇宙兄弟のムッタの言葉にもシンパシーを感じる。これなのです。

結局何も出来なかった日々に対して、「あぁやっぱり向いて無いんだ」と納得させてしまう癖。

ホント足引っ張り過ぎよ俺。ええかげんにせえよ…!

 

過去のブログ記事見ると、えっこれホントに自分が書いたの!?って自分でも驚く。

オンラインサロン始めようかしらとか、俺はアーティストになる!って豪語してんだから。

クリエイティブ怖いの状態になってる今、恥ずかしくて見てられん。。w

 

選択肢の海に溺れる覚悟を持つ、とある脚本家が言っていたけど、

この覚悟がまだ無いんだな、、そう思い知る26の明け方です。

希望に満ち溢れていた去年の誕生日から1年が経ち、

渡り鳥のように東京まで来たけれど、今ではブログ記事タイトルに感嘆符を付ける自信がなく、、。

まぁ、怖くても何か生み出さなきゃな。そうやって人生の迷路を進むっきゃない。

そう自分に言い聞かせながら、明日は明日こそはと毎日思いながら眠りにつく。

 

来月はロッキンが待っている。

ロッキンもBUMP日を避けるという悪手をやっちまったが、

ネクライトーキーほかがこの気持ちを埋め合わせてくれますよう。

それではそのうち人生の曲がり角で。ほな、また…(。-∀-)ノシ

ども、相変わらずジブリ沼にどっぷりのふんてるです。

先月は宮崎駿作品を中心に観ていましたが、今月は高畑勲作品を中心に見漁っておりました。

ちとジブリ作品について、語ってもよろしいですかな?(長くなりますぞ

 

ファンタジーとリアリズムの王国

宮崎作品はファンタジー色が強いが、高畑作品はその逆だ。

細かい日常のあれこれを切り取って、丁寧になぞって魅せる。

ファンタジー要素が強い作品でさえ、随所にリアリズムが散りばめられている。

子供の頃はやはり宮崎作品が好きだった。でも今なら高畑作品の魅力が分かる気がした。

 

◆火垂るの墓

成仏できずにいる4歳と14歳のお話。まぁ、言わずもがなですな。

こっちは学生の頃は火葬シーンで泣いてたけど、おもぽろとは対照的に泣けなくなってた。

岡田斗司夫氏の解説を見聞きしたせいかもしれない。

”蛍”ではなく”火垂る”というところにこの映画の真髄がある。

子供の無邪気さと戦争の残酷さが入り交じり、この世界のやるせなさが漂う。

そして海軍の息子というプライドが、生きることを更に難しくしていく。

あの親戚の言い分も判るもんな、今となっては。あれがリアルだよ。

後半の清太は節子を生かす為に盗みを働き、火事場泥棒として空襲をも歓迎した。

清太は生きようと思えば生きれたはず。しかし節子が居たからこそ死を選ぶことになった。

節子との心中モノと捉えたらもう、切ないどころの話じゃない。

なんてこの世は複雑なんだと打ちのめされた気分になる。視聴を避ける人が居るのも無理はない。。

でも目を逸らしちゃいけない気もする名作だよなぁ。

 

◆おもひでぽろぽろ

”おもぽろ”ではノスタルジーに浸り、思春期のやり場のない葛藤に思いを馳せた。

食べるの楽しみにしてたパインアップルが渋くても頑張って食べる所とか、

家族と出かけたいけど姉と上手くいってなくて行けずに拗ねてる場面とか、

いちいちどこか思い当たる描写が出てくる。

学生の頃はおもんないと思ってたけど、大きくなって大化けした。

というか主人公の大人Verと同世代になってておっどろき。

いい子ぶってたって回想して泣くくだりがジーンとくるんだよなぁ。重なるんよなぁ。。

ED曲もじんわり染み入るのだよなぁ。(´;ω;`)ブワッ

 

◆平成狸合戦ぽんぽこ

人間の愚かさと傲慢さを描いて自然回帰を促す作品かと思っていたけど、

岡田斗司夫氏曰く、狸合戦はファンタジーの無力や功罪を描いているという。

「世の中のみんな痩せててひもじかった頃には、砂糖や甘い物がよかったかもわからないけども、今さら砂糖をドカドカ入れたものをこんなに作ってどうするんだ?」と。

でも、もう、甘い物中毒になっちゃってるみんなは、「甘い物、甘い物! ファンタジー、ファンタジー!」って求めてしまう。

ー中略ー

狸にとっては「この妖怪大作戦をすることで、人間たちが多摩ニュータウンを作るのを止めるはずだ」と期待してたんだけども、そうじゃなくて、ただ単に人間に「面白いね」と言われるだけだった、と。

 これは「社会を変えよう!」を合言葉にアニメを作ってきた宮崎駿、高畑勲自身や、東映動画と、その血をまともに受け継いでいるスタジオ・ジブリの全否定なんだよね。

 

~岡田斗司夫の毎日ブロマガ「【『平成狸合戦ぽんぽこ』解説 1 】より~

狸が化けるというのは、ファンタジーを世に送り出すジブリの姿であり、

化けて人間の行動を変えようとするも儚く散る狸たちは、これまたジブリの姿のようにも見える。

狸たちのコミカルさだったり、ED曲が純粋に良かったりして、厚いオブラートに包んであるけど、

途方もない諦めに満ちた作品だ。こういう文脈を読めると更に面白いね。。←

 

◆となりの山田くん

4コマ漫画が元ネタで、”適当”がテーマの本作。ちなみに”となりのトトロ”とは一切関係ない。

素朴な水彩画タッチに日常が描かれ、見てると心が温まり慰められるようだ。

個人的に婆ちゃんが暴走族を上手いことたしなめる話が好き。(同伴した父は何も言えないとこも含め…

あと印象に残る台詞としては、買い物中に置いてけぼりにされた娘がふと呟くこの一言。

「大人の迷子が流行ってるんだな」

状況的には自分が迷子なのに、構造を逆に捉え、親を迷子とすることで、

こんなにも客観視できて心にゆとりができるのかと感心しざるを得ない。

んで自分探しなどする良いオトナや、俺みたいな人生迷子に向けた皮肉にも聞こえたw

そして極めつけは「生きろ。」という張り詰めたメッセージ性を持つ「もののけ姫」に対して、

「もっとラクに生きたら」という宮崎駿ファンタジーに対するアンチテーゼだ。ブレないなあ。

しかし適当と謳っておきながら、制作は非常に大変だった(作画が通常の3倍)という矛盾が裏にある。

それでもケセラセラ。なるようになる。混沌の時代に必要な考え方かもしれない。

説得力があるんだか無いんだか。。w

 

◆かぐや姫の物語

高畑監督の遺作。日本最古のファンタジーを、日本画風に描いている。

かぐや姫が地上での記憶消えたはずなのに、月で涙流してるってラストが良いんだけど、

それに勝るとも劣らず、お爺さんがなんとも良いキャラしている。

口では「かぐや姫の幸せを想って…!」と言いつつ、富や権力に目が眩んで、

姫とすれ違う様が、実に矛盾を生きる人間らしい。

いや、お婆さんのように姫に寄り添う存在でありたいんだよ、

でもなかなか富や権力には抗えない。。

それでも最後まで姫の幸せを本気で想ってるのがまた切なく、

最後まで月に返すまいと奔走し、そして姫を失って泣き悲しむわけだ。

これもかぐや姫が美しかったが故に起きた悲劇であり、罪と罰なのか。

その辺をおもしろおかしく解説してくれるのが岡田斗司夫ゼミ。最高かよ。

 

んでもってあの日本画表現をやるのってホント手間暇かかるよなぁと思うわけですよ。

企画から8年かけて50億もかかってるのだから。

”夢と狂気の王国”というドキュメンタリー映画では、鈴木敏夫Pもお手上げになるほど、

ただただ非常に厄介な監督だという印象が先行していたけど、

最後までこだわり抜けることが凄いと思う。

 

主題歌の”いのちの記憶”は、高畑監督が残した作品群のことを歌っているようにも思えてならない。

高畑作品を一通り見てからこれを聴くと、命や創作の尊さがじーんと染み入るように感じる。。

 

高畑作品はアート要素が強く、アートは鑑賞者が寄り添うことで真価を感じることができるという。

岡田斗司夫氏などの力を借りてなんとか読み取れるが、そのうち自ら、寄り添えるようになりたい。。

 

情熱に耳をすませば

あとジブリ作品は”紅の豚”とか、漫画版の”風の谷のナウシカ”とか、

絵コンテだけど”耳をすませば”とか見てました。

そういや学生ん時ずっとカントリーロードばっか聴いてた時期あったなぁ…とか思いを馳せながらね。

 

↑これが流れる冒頭OPは至高だと思う。

 

”耳をすませば”に関しては、これまた主人公の雫と重なる部分を感じていて。

聖司のバイオリン修行のイメージが強く残ってたけど、

雫も感化されて物語を書くんだったな。(てかむしろそこ主題っぽかった主人公の大きな変化じゃまいか俺は一体今まで何を見てたんだ←

書きたいけど、思うように書けない。故郷に帰りたいけど、帰れない。

自己矛盾だらけでも拙くても、書きぬく尊さを綴ったお話。

俺も頑張ってみようと思える良い話。。(しかし頑張れないのだ、何なんだ

 

宮崎五郎監督の”コクリコ坂から”制作ドキュメンタリーとかも見たけど、これまた見てて苦しかった。

「やりたいのとやれるのは違う」

親父(宮崎駿)にこうコメントされつつ現場に翻弄される五郎監督を観ながら、

おこがましいけど自分にも重なってきて苦しくなった。

駿の頭の中を覗こうとする時、自分の頭の中を覗かれている気がする。

「情熱には苦悩がつきものだが、君には覚悟があるのか?」とか脳に語りかけてくる。

どこまで自分を追い込むことができるか、身を焼くような生みの苦しみ。

創作はこれに耐えられるかなのだと、ドキュメンタリーを見ながら思い知らされるのだった。

 

その一方で、最初からそんなこと真剣に考えても何も生み出せないよな、とも思う。

いわば勇者レベル1で魔王に立ち向かっているような状態では無謀だろうと。

そもそも偉大な作品群によって美化されがちだが、過酷な現場によって死屍累々のジブリだ。

割とブラックな職場であることを念頭に置いて、引いて見る視点も持っておきたい。

まぁ苦しみが情熱の種であることはどうやら事実な気がする。

満たされてないからこそ何かを生み出したくなるのだから。

しかしメンタルヘルスを気にすると「足るを知れ」的なところに行き着き、

矛盾を感じて迷うんすよなぁ。いや~滑稽滑稽。

創作の情熱とメンタルヘルスはトレードオフなのか…。はて、、また迷子になってきました( ;∀;)

 

◆岡田斗司夫考察が面白すぎる問題

それはそうと、ちょくちょく名前が出てたが岡田斗司夫氏の考察が面白過ぎるっ。

メンバーシップ入ってもうたですぞw

特に下記の作品解説は面白かった。目鱗だった考察を一部抜粋したいと思う。

 

○千と千尋の神隠し

・ハクは、亡くなった千尋の兄説 

 ┗千尋が川に溺れる回想シーンでハクと思しき手が映り込んでおり、

   兄弟だった頃の記憶と読み取れる。 また、母が千尋に冷たい理由にもなっている。

 ・油屋の組織構造はスタジオジブリそのもの 

 ┗宮崎監督が仲良くしている友人の娘さんが、理不尽で重労働なジブリの職場に迷い込んだ、

   という設定がベースにある

 

更に踏み込むと知恵袋にこういうのもありました。民俗学や言語学も面白。。

 

○魔女の宅急便

・キキの赤くて大きなリボンは、思春期特有の過剰な自意識や不安を表している 

 ┗思春期というのは頭の上にでかい何かが乗っていて、重くて、自分ではどうにもならない、

   というのを大きなリボンで表現した。 

・ジジが喋る台詞は、キキの言えない本音を表している 

 ┗ジジはキキの本音(認めたくない暗黒面)を喋っている。 

   ジジが途中で喋らなくなったのは、キキがトンボへの嫉妬で、

   自分の本音を自覚したから…という解釈もできる。

 

ジブリは普通に観ても面白いけど、こういった緻密な考察から来る解釈を交えると更に面白い…っ!

 

◆風立ちぬもジブリの話に見えてくる

”風立ちぬ”を最初観た時は言うほど面白くないな、、だったんだけど。

ジブリの裏側を知ると、途端にすごい作品に見えてくるのですよ。

”千と千尋の神隠し”がジブリの構図で説明がついたように、風立ちぬも似たようなことになっている。

 

まず堀越二郎と菜穂子の構図は、宮崎駿と高畑勲の関係にも見えてくる。

ラストシーンの菜穂子が「来て…」という死を暗示した台詞を言うのだけど、

制作の最後の最後に「生きて…」という台詞に変わった。

これに対して私は、高畑勲が宮崎駿に「まだ作品を作って…」と言ってるような解釈をしちゃいました。

すると宮崎駿は風立ちぬ制作後、監督引退会見までしていたのだが、

”君たちはどう生きるか”という映画を作り始める。この流れがもう…ね!ね!

宮崎駿との人生が、生き様が、作品の一部になっていて。

ジブリ自体が一つの作品みたいになってるようで、もう超大作過ぎるんすよw

そしたらさらにカプローニって鈴木敏夫じゃね?って思えてくるのですよ。

宮崎駿に映画を作るきっかけをどんどん与えてきたって意味では。

ジブリは泥沼ですよwいやーホント面白い。

これが文脈を読むことなのか、と、思った次第です。

 

また、”風立ちぬ”本編としては、1920年代の戦争に向かっていく日本を描いてるのですが、

100年後の今、2020年代と重なって他人事で観れなくなってるのが気がかりなんですよね。

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物質的に確実に豊かになってるとは思うのに、なぜこうも生きるのはまだ辛いのか。。

ブログ終盤にまたその辺は触れます。(ジブリのくだり長くなり過ぎたw

 

3年越しのJAPAN JAM

今更GWの話するのか…と自分でも思いつつ、でも良いフェスだったので書き残しておきたい。

まずはアーティストの前に、運営さんのお仕事、、特に前方エリア抽選システムが素晴らしかった。

前で見たいアーティストを事前に優先順位つけて応募するのだけど、

ちゃんと優先順位を見て、高ければ前の方を確保してくれるし、

イスがあるのでモッシュのような危険行為を抑止できる。

あとわりと結構な確率で当たってくれるので嬉しい。(7割くらいの確立で当たってた

疲れて前に行きにくかったら後ろで自由に楽しむのも良いし、

コロナ禍においてベストとも思える良いアイデアだなーと思いやした。

 

◆go!go!vanilas

リハから”マジック”に”アメイジングレース”と来て、

”平成ペイン”に終わる。良いセトリだった。

ロックでノリが良いメロの中に、どこかアメリカ西部を彷彿とさせるものがある。

昼間のフェスに持ってこいだよこの人たちは…!

”カウンターアクション”を聴いた時は、

仕事に忙殺され会社に対し反骨精神を抱き始めた頃を思い出したなぁ。

 

◆BiSH

今回のフェス大本命。目の前でメンバーの御尊顔を拝むことが出来た。(運営さんネ申です…っ!

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アイナとアユニと目が合ったりして、生ライブの醍醐味を今まで以上に堪能しましたね(。-∀-)

みんな可愛かったな…尊いという感情をこれまでになく実感として味わった気がする。

特に印象的だったのは”beautifulさ”で、目の前で一緒に踊るメンバーを目に焼き付けつつ、

ずり落ちていくウエストポーチを気にしながらトゲトゲダンスを踊ってる時。

あの時はまったく嫌なことを忘れてメンバーと一緒に跳ねてて、ホント純粋な幸福感に包まれてた。

後からこれがマインドフルネスってやつか…!と思った。(まさしく”今ここ”にしか集中してなかった

 

◆UVER BEAVER

・UVERworld

「無謀な思想が希望に変わる」という歌詞に始まり、

溢れるMCのユーモアと、歌詞のアツさに圧倒されてこの一夜でホレた。

正直今まであまりUVERworldのこと知らなかったけどホレた。そして泣いた。

 

「声を出すことを禁止されてるけど、ジャンプは禁止されてねえ!」と言って、

”IMPACT”という曲で「You can't fly? Come on!」と煽って来る。

この展開で飛ばないはずがない。これで飛ばない人は、ただの豚だ。(さすがに言い過ぎだ

 

「よくインタビューとかでランニングの人って思われてるけど、

ダイエットでも健康のために走ってるんじゃない、

このライブを悔いなくやり切るためにやってんだ!!」

と言って”PRAYING RUN”という曲を歌い出す。

>>全部やって確かめりゃいいだろ<<

の一点張りなのホントすごい。途中から溢れるチャラ歌詞までカッコよく聞こえるのすごい。

これがただのポジティブな曲ではなく、ネガティブをぶち抜いて来るほどアツい歌詞でマジですごい。

 

そんなアツい曲やった後、セトリが予定と逆転しててちょけたりするんだからパない。

「スマホライトを掲げてくれ~」と光の演出を作った後に、

「この綺麗な景色を後ろにも見せたいからスマホひっくり返してみて!」って、

サービス精神旺盛で、厳しい制限下でいろんなフェスの楽しみ方を提案してくれた。

 

「コロナがあったけど、苦しかったけどこれが数年後には意味があった時期だったと言いたい」

と述べてからの、”EN”という曲に至っては泣きましたもの。

 

そして最後には、

「ホントはもう2曲やりたいけど、運営が好きだし、次出番のバンドも好きだから、

ルールはちゃんと守りたい」と言って、きちっと時間通りに去る…

いやこんなん…こんなんっ、、惚れてまうやろぉっほおぉおおっほおぉぉんん!!

あと歌詞出してくれるのがすっげー紳士なの。

せっかくのアツい歌詞も、初見には伝わりずらいからね…もうネ申ですわ。

 

>SUPER BEAVER

そして〆ビーバーですよ。

ここもアツいMCするんすよねぇぇぇ。涙腺ダム決壊してましたわ。

 

もう前のUVERとBEAVERのMCで感動してぐちゃっとなってたのでほぼ内容覚えてませんが、、

「音楽の力ではなく、結局は音楽を聴く人の力を信じてるんだ」

「人は絶対に死ぬんだ、伝えたいことは伝えときな」

みたいなことを言っていた気がする。そして行き着く曲は、”ありがとう”だ。

この後すぐ衝動に駆られて母親にLINEした。

見返すと恥ずかしいけど、その恥ずかしさは誇らしさにも感じられた。

「来て良かったフェスではなく、来るべきだったフェスにするんです」

有言実行してたよ。

もしこの日のDVDが売られるなら、10万でも買いたいまである。

それくらい良いフェスでした。

 

●2年越しのカラオケオール

もうこの勢いで友人と朝方までカラオケでした。しかも2年越しくらいのカラオケでw

1日間明けてもう1日フェス参戦するってことで、この曲来そうだぞというのを歌ったり、

コロナ禍前によく聴いていた曲、歌ってた曲を解放したのだった。

中でも特に、歌いたいのが溜まりに溜まってたのがヨルシカだ。

んでもって歌いながら思った。こりゃあまるで覚醒剤みたいなアーティストだなと。

聞いたり歌った時、ネガティブな黒い感情が浄化されるようで気持ち良いんだけど、

歌ってることUVERworldの逆で、前向きになれないのよ。。

いやヨルシカ全部がそうではないし、そういう曲を否定するつもりは無いのだが、

歌いながら救いがないなと…(´・ω・`)

ちょっとヨルシカ聴くのしばらく控えようと思いつつ、朝焼けを横目に始発に乗り込むのであった。。

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ちょっとブログが肥大化し過ぎ(1万字を余裕で越えようとしている…)なんで、

フェス2日目の振り返りは駆け足で参るますε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

 

◆打首

相変わらず単純なあるある曲に、しょーもない曲ばっかだなぁ、

とか思っちゃったりしつつも、これが逆に尖ってるなぁと感じてくるから不思議w

仕事だるいあるあるや、コロナ禍フェスあるあるとか。

ひたすらド直球ストレート球ばっか投げて寄り添ってくるので泣けてくる。

あぁフェスに来たんだなァ…こんな日常があったな…といった実感を踏まえて泣けてくる。。

 

◆マイファス

アンダーグラウンドは良曲。歌詞出してくれるバンドすき。

あとMC達者。さすがワイドナショー出るだけの事はあるっすTakaの弟さん!!

リハの”恋のメガラバ”が一番最高でした。()

 

◆サンボマスター

ウクライナ情勢を想うと、ラブ&ピース直球がウザく感じてしまってきていた。

ただ、”孤独とランデブー”は響いた。

この世界はちょっと悲しくて 僕は心をなくしちまう

この世界はちょっとどころか超悲しい。

悲しみで花が咲くものか

これもほんとそう。”世界はそれを愛と呼ぶんだぜ”より。

 

◆フォーリミ

今回のセトリ、不完全燃焼感がすごかった。”Swim”か”Squall”がお預けで…。

”Terminal”で〆はさすがに控えめ過ぎでは。。

でも”Terminal”の歌詞に、ちょっとサンボマスターと孤独のシンパシーを感じた。

 

◆ホルモン

ナヲさんめっちゃはしゃいでて見てるだけで楽しい。

MCでの後輩弄りも面白くてw(マイファスがメガラバやっちゃってた件について

しかしまぁ”my girl"での膣ジャンプは複雑なものだ。スペルマなら全力でやるけど。

 

◆ユニゾン

この日の本命である。

愛が世界救うだなんて僕は信じちゃいないけどね

サンボマスターと同じステージでこれ歌ってて、すごいカタルシスが生まれた。

どっちも正だし正じゃない。一つの多様性の行く末を見た気がする。

どこかで戦争してれば、どこかでフェスやってる。そんなもんだって。この世は矛盾だらけだって。

これを通してフェスに行ってる罪悪感みたいなものが、少しほぐれていくのを感じた。

 

そして”フルカラープログラム”で〆だ。

ふざけろ!「いつか終わる 悲しみは」

どうか忘れないでよ

昨年末のCDJでもラストを飾ったこの曲。

あの頃とだいぶ文脈が変わったなあ。痛切な願いよ。

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前日のカラオケで歌いたかった曲が、わーっと湧いてきた2日目だった。

今回のユニゾン、良かったはずなんだけど、どこか楽しみきれない自分がいた。

たぶん、「この曲(君の瞳に恋してない)が来る!」って友人に対してセトリ予想していて、

内心「あの曲来い!来い!」ってライブに集中できてなかったからだなと。

(フォーリミの時も然り。マインドレスネスだ、BiSHん時と逆だ…)

 

雑念を生み出したこの決めつけを反省し、どの曲が来ても受け止める姿勢を貫くのだと誓った。

そういや昔、会社の先輩とライブ行った時、話題に困って

セトリどう来ると思うか先輩に聞いたが同じようなことを言っていたのを思い出した。

今なら理解できる。理解するのが遅すぎる。。w

あとちょっと1日目がネ申すぎて、2日目が色褪せた感もある。

 

後悔や反省も一部あるけど、内容濃くてコロナにも罹患しなかったし良いフェスでした。

そして改めてフェスの醍醐味を考えてみると、

いつも聴いてる曲に新たな文脈を加えることができる点にあるのかなと思った。

MCであったり、空間の思い出であったり、同行者と交わした会話であったり。

もちろん知らなかった曲にも出会えるのも魅力だが、

既知の曲に豊かさを加えてるんだと考えると、よりフェスが楽しめるかもです!

 

娯楽の洪水に流される感動たち

とはいえ前のフェスの感動は、いくら思い出そうとしても実感としてはやはり思い出せない。

忘れていく儚さもありますね。。

 

あのUVERで泣いたMCも、BiSHで跳ねたあの瞬間も、この感情しっかり忘れずにいよう…!

と思ったのは確かなのですが。日常に埋もれていく…

あの時、創作頑張ろう、物語書こうと奮い立ったはず。。なのだが。。。

 

どうも創作のエネルギーが娯楽に奪われている気がする。

感動を思い出すにしても、創作するにしても、暇すなわち余白が必要だ。

頭の余白を増やすつもりで、最近はTwitterに触れるのを控えた。たまにトレンド見に行くぐらいにして。

あと目の前のいいねより、仮想のいいねを追いかけている気がして嫌になったのもある。

 

それでも時間が足りないと嘆いている。(なんでやねん!

時間の使い方を振り返ると、多くの時間をオーバーウォッチに費やしていた。

時間の余白があったらオーバーウォッチ。

そしてYouTubeだ。(お前は許さねえ(いやいつもお世話になっております((

Twitterを控えた分、YouTubeの利用時間増えてるから、プラマイゼロ、むしろマ~イなんよ。

このブログを書くのだってそうだ、YouTube見て何日うpを延期したことか……

記事にちょくちょくYouTube貼ってるじゃないですか。

これ探しに行くたびに、オーバーウォッチの動画とかおすすめに来るから、見ちゃうんすよ。

まぁ所詮、意思弱の言い訳に過ぎないんだけど、

過剰な娯楽に溢れてるから、なかなかやりたいことがやれないっというね。

我ながら贅沢だと思うけど切実な悩みだ。

 

穏やかに生きたいのに、刺激が欲しい。という自己矛盾。

足るを知ることはできないのか。

YouTubeを見て、食って寝て、たまにゲームしたり映画観たり。

情報や娯楽の洪水に溺れて流されて俺は一体どこへ行こうというのか。

そうしてる間に、”若さ”という強みも使えなくなっていく。もうあと約1ヶ月で26歳だ。

周りは焦るなというが、焦っちゃうもんよォ。もはやケセラセラとは言ってられない世の中だ。

上がり調子の昭和から、下りの平成、そして混沌の令和。乗り切れねぇよこんなビックウェーブ。

 

上島龍平さんの自殺に関してもさ、世間に衝撃と哀しみの波が押し寄せて、

YouTubeでもたくさんの追悼動画が上がってたけど、次の波が来て忘れられるんだよなぁ。

諸行無常というか虚しいというか。

こんなことを考えてる間に、今を生きて無いなぁ、と思っては自己嫌悪の罠にハマる。

もうFF10の狂気的な盛り上がりに乗っている方が幸せなのかな。

てかFF10が大衆ウケするほど哀しい気分になる。

一番好きなゲームですとかもう言えねぇよ、「おとワッカ」は悪ふざけが過ぎるわぁ。

そりゃあ面白さは認めるけどさぁ…あれで笑った後の虚しさたるや……。

おっ、なんか満たされなさが出てきたな、何かが生まれるかしら…。

その前に空が明るくなってきてるからとりあえず寝よ。

(ブログ長過ぎ。もっと小分けせぇ!)ほな、また…(。-∀-)ノシ

ども、人生の迷い人、ふんてるです。

仕事では淡々とデータ作ってるだけだし、シナリオのシの字も書けないし、

ゲームクリエイターを名乗ることがおこがましくて仕方がなくなってきましたので、

しばらくサブタイの定型は「人生の迷い人」でいきたいと思います。(あと語呂が良いので後ろへ

「こいついっつも迷ってんな、4月の寒暖差くらい迷ってんな」くらいに思っといてください。

地元のメルマガで、高齢者の迷い人のお知らせが来たりしますけど、、まぁそんな感覚ですわ。

ただ、そういった高齢者は大概が次の日には見つかるものの、、、

こっちはなかなか見つからんとですばい。(唐突熊本弁)

 

自分の言葉が分からない

というのも、最近の切実な悩みが、、自分の言葉で文章を書くことができない、、ということ。

会社のオウンドメディアで記事っぽい何かを書こうとしていて、

ゲーム関連の歴史や書籍とかそういうのを、そこそこ調べてなんとか形にしようとするんです。

それっぽいこと書くんです。でもそれ、だいたい既にネットに転がってんです。

ほなら、わざわざ書く意味ないよねと。

じゃあ、調べた上で感じたことを書こうじゃないかと。なるんですけども、なんだか薄っぺらい。

どっかで見聞きした言葉のパッチワークのような、面白くない文章が出来上がってしまうんですね。

 

あと先輩に口酸っぱく言われるのが、

嘘を書かないこと、過言を書かないこと、言葉に対し真摯であれ。

そういった助言を受けて、文章へのハードルがかなり上がっているのも苦しみの要因だった。

気づいたら「良いこと書かなきゃ」と食ってかかる自分が居た。こいつとの葛藤も苦しみだ。

その”良いこと”は本心ではないのに、自分を殺して”良いこと”を取り繕う。

人の心を動かすのは”良いこと”ばかりではない。

まぁおかげ様で普段、めっちゃ過言というか嘘というか、

思ってもないことを書いているのに気付けた訳だけど、

そんな助言が自分には、脅迫に聞こえることもあるのだった。

 

そして「こんなんじゃゲームシナリオなんか書けっこねぇよ…」

とか思ったりして、辛さに拍車がかかってるという感じです。

ついさっき「こんなんじゃクリエイターとしてやってけねーよ…」まで来て、

今ちょっと「こんなんじゃ社会人としてやってけねーよ…」に差し掛かろうとしているところです。

行き着く先は「こんなんじゃ人間としてやってけねーよ…(死)」なので、

それはどうにか避けたいとですばいた。(無理矢理熊本弁)

 

なんかもう、ホント今まで自分の頭で考えてこなかったなって絶望してるんですよね。

本をたくさん読むようになったこと自体は良いことなんですが、

読めば本が解決してくれるだろうという、浅はかな感覚にすがりついていた気がしていてならない。

絵が上手くなる本を読んでも、絵を描かなきゃ絵は上手くならない。

そのような当たり前な事をおざなりにして、少しばかり本を読んで分かったつもりになっていた。

学生時代を振り返ると、問題集の答えをすぐ見て、暗記で乗り越えたことが多かった気がする。

すぐ外に答えを探しに行って、考える筋力を使わなかった。

YouTubeとかもそう。良い情報を得たぞと一時は満足。その時は救われる。

でも少し時間が経てば元通り。自分の頭で考えることを、放棄していた節があった。

これらに気付いて、地頭が弱くなっていることを実感して、後悔の中で派手に苦悩している。

もう、国語得意じゃなかったからとか、ADHDだからとかそんなレベルじゃねぇべ。

 

”分かったつもり”という病

”分かったつもり”になっちゃうのが嫌なんだけどなー。

”分かってない”という不安定な状況に耐えられず、”分かったつもり”になっちゃうんよな~。

職場でレクチャーを受けてて「質問ない?」とか言われた時、

「いったん大丈夫そうです~」ってその場を早めに逃れたり、

同僚が知らないゲームの話をしている時の、「あぁあれ面白いよね~」って相槌だったり。

”分かったつもり”は、「なぜ?」という問いに繋がらないんですよね。

思考も話も深まらないで止まっちゃう。その場は楽になるが、後が辛いのだ。

前述の例でいうと、もう少し粘ってたら気になるとこを聞けたかもしれないし、

知ったかぶりしてなかったら、同僚はそのゲームを貸してくれたかもしれない。

(ちなみに私は、返す時のコミュニケーションコストや、お礼を考えるコストのせいで借りられない)

 

自分はダメなやつだ…ってのも一種の”分かったふり”で、

【ダメな自分】というレッテルを自分に貼って、ダメな現状を納得させてるとも言える。その方が楽だから。

”分かってない”状態に耐えうる力、問い続ける忍耐力が大事なのだろう。

(やっぱ行き着く先はネガティブケイパビリティか~)

 

とはいえ、”分かったふり”が出来ないと、それはそれで辛いのも事実。

ネットに溢れる情報をなんでも完璧に理解しようとするとキリがないし、

それこそ質問責めするのも煙たがられるし、、あぁもうバランスが難しいわクッソー。

 

「なぜ?」と問うことをやめたら、思考停止になり好奇心が枯れる。

そうはなりたくないんだけど、毎日大量に浴びる情報のせいで麻痺しちゃってるのかもしれないな。

情報ダイエットしなくちゃかもな。余白が大事だよなー。

一気にいろいろやろうとすると辛いし、一つ一つをこなしていきたい。(毎回言ってる気がする)

あれやらなきゃこれやらなきゃだと、他人を思う余白なんて生まれない。

まーいろいろ書きましたが、

SNSやらない勇気と、問い続ける勇気を持つこと。

その辺が課題なのだろうなと思ったのでした。(パッとしねぇ!!!)

 

アカデミー作品賞を観に行った件

話題はガラッと変わりまして、今月はそういやアカデミー賞の授賞式がありましたね。

すっかりウィル・スミス劇場になって、なんだか作品賞が陰に隠れてしまいましたが、

作品賞を獲った「コーダ あいのうた」が分かりやすく良い作品で良きでしたよ~。

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岡田斗司夫氏が激推ししていたので、これは間違いないなと思ってたら間違いなかったですね。()

設定の妙というか。主人公の娘以外が耳が聞こえなくて、生まれてからずっと通訳者っていう。

その中で主人公に増えていく重荷、家族の健常者に対する敵意、家族間での分かり合えなさ、

歌が好きで音大を目指すことになるも、家族に認めて貰えようがないという葛藤。。。

これが最後には良い感じになるんすよ…。そう来たかーーーーって。

最後には愛してるの手話サインよ。そら泣いちゃうでしょ。

 

終盤に来る演出がこれまた素晴らしい、視聴者が聴覚障害者の側になる演出。

んでもって「(健常者と障がい者の)両側から見る」っていう劇中歌があるんだけど、

これがまさに映画の主題であろう。

このメッセージ性が、偏った情報社会には必要なのだろうなと、観ながら思った。

 

なんでもウクライナ問題に繋げるのは気持ちが良くないけれども、

ウクライナ視点もロシア視点も、両側見るのが大事だと思った。

ウクライナが降伏すれば犠牲者が減ると短絡的に考えてしまうけど、

過去にホロモドールという大虐殺があった歴史があるので、

もう生きるために戦うしかない状況であり、戦う姿勢自体が抑止力となっているという。

一方でロシアは、欧米諸国が率いる軍事同盟NATOの脅威を止めたかった。

正当防衛だと言われれば筋は通って無くもない。外から見ると卑劣な行為に見えるけどね。

つまり問題は複雑なのだ。世界平和なんて無いんや…。

まぁ話は少し逸れましたが…

何事もすぐ単純化してしまわないようにと、そんなことを思える作品でしたね。

割と下ネタがマシマシなのでそこだけ注意ってくらいかな。

仏映画の下ネタは挨拶代わりだと聞いたことあるけど、そこもリメイクでしっかり受け継いでいるw


ちなみに、本作は元ネタがありまして、仏画の「エール!」のリメイクなんですね。

なので元ネタとの差分を比べてみるって楽しみ方もあります。

パッと見で違う点としては、家族の職種と、兄弟の家族構成。

仏版は農業で弟がいるのに対し、米版は漁業で兄となっている。

そんでもって本作では、この兄貴が良い味出してくるんすよぉぉぉ。

仏版の弟はちょい役だったけど、米版の兄貴は出番多くてキャラが立ってる。

兄貴は横暴でトラブルメーカー。仕事の付き合いで飲み会に行くけど、

耳が聞こえないから仲間の話わからんつらいっていう共感描写がしっかりありつつ、

何かトラブルがあっても言い争いが出来ないから、拳で解決しに行くしかないって悔しさがあったり。

そして肝心な時にちょっと優しかったりする。

でもこの優しさは本当の優しさなのか、兄貴のエゴなのか分からない…そういうところがまた( ・∀・)イイ!!

 

あとなんか主人公の恋仲、どっかで見たことあるなと思ったら…シングストリートの主人公だった!

あの少年が青年になってて…これまた感慨深( ・∀・)イイ!!

リメイク版の良さは兄貴にもキャスティングにもありますゆえ、ぜひ注目してみてくださ( ・∀・)イイ!!

 

ジブリ沼にハマった件

シナリオのお勉強として、千と千尋の神隠しの脚本写経していたら、

ジブリ映画の奥深さに魅せられ、ジブリの呪いにかかってしまいました。

(今住んでるのがトトロの聖地だからというのもあるのかもしれない)

どういうふうに作品および情熱が生まれてるのかが気になっていて、

現在たくさんのジブリ関連書籍を図書館から借りたり、買い漁っては作品を観たりしております。

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特に宮崎作品って主題から逸れた所が面白いんですよね。

子供が違和感なく入りこめる本筋の裏に、濃密な設定があって、切実な想いがあって。

ささやかながらも強いメッセージが、普遍的な寓話が潜んでいて奥が深い。
 

例えば、「千と千尋の神隠し」におけるメッセージとしては、以下のようなものがある。

不思議の町の千尋 この映画のねらい

 

かこわれ、守られ、遠ざけられて、生きることがうすぼんやりにしか感じられない日常の中で、子供達はひよわな自我を肥大化させるしかない。

(中略)

けれども、現実がくっきりし、抜きさしならない関係の中で危機に直面した時、本人も気づかなかった適応力や忍耐力が湧き出し、果断な判断力や行動力を発揮する生命を、自分がかかえていることに気づくはずだ。

(中略)

困難な世間の中で、千尋はむしろいきいきとしていく。ぶちゃむくれのだるそうなキャラクターは、映画の大団円にはハッとするような魅力的な表情を持つようになるだろう。世の中の本質は、今も少しも変わっていない。言葉は意志であり、自分であり、力なのだということを、この映画は説得力を持って訴えるつもりである。

 

~折り返し点(230P) 宮崎駿~より

これを見て自分が発してきた言葉の軽さを内省した。(そうすぐには変わらないが…

 

また、これは自分の考察なんだけども、

湯屋は欲望のモチーフで、欲望に飲み込まれるカオナシの話でもあるのだろうなと思うのです。

金欲、食欲、承認欲、(描かれてないけど)性欲、etc…

自分の軸というものが分からなくて、欲に溺れてってしまう。

やがて千尋を手に入れようとするも、「そんなものは要らない」と拒否られて自暴自棄になる。

そんなカオナシでも、最終的には千尋に導かれて居場所を見つけるんですね。

そういった欲望に依存しないで生きていく力というものを、

監督は表現したかったのかな、とも考えたりするのでした。

(大人になってみて、こんなにカオナシに共感しちゃうものなのかと切なくなりました)

 

もののけ姫に関しても、現代のカオスな状況に通ずる企画意図があった。

荒ぶる神々と人間の戦い この映画のねらい

 

二十一世紀の混沌の時代にむかって、この作品をつくる意味はそこにある。

世界全体の問題を解決しようとしうのではない。荒ぶる神々と人間との戦いにハッピーエンドはあり得ないからだ。しかし、憎悪と殺戮のさ中にあっても、生きるにあたいする事はある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る。

憎悪を描くが、それはもっと大切なものがある事を描くためである。

呪縛を描くのは解放の喜びを描くためである。

描くべきは、少年の少女への理解であり、少女が、少年に心を開いていく過程である。

少女は、最後に少年に言うだろう。

「アシタカは好きだ、でも人間を許すことはできない」と。

少年は微笑みながら言うはずだ。

「それでもいい。私と共に生きてくれ」と。

 

そういう映画を作りたいのである。

 

~折り返し点(12P) 宮崎駿~より

21世紀の混沌は計り知れないスピードで加速するが、

それでもなお必ず、生きるにあたいする事はあると。

そんなことを感じさせてくれるような作品になっていた。

 

この記事を書いている頃、ちょうど金曜ロードショーで「魔女の宅急便」が放送されていた。

公式Twitterの豆知識が良い引用で補足してて素晴らしい!

 

(ちなみに後に読んだ鈴木P著書の「天才の思考」が引用元っぽいので詳細気になったらそちらをば)

 

魔女宅も、大人になってから観るとだいぶ視点が変わってて面白い。

頑張って土砂降りの中で配達したのに、散々の言われようだったり、(仕事の辛さ、理不尽さ)

トンボのあの自転車、子供の頃は普通に飛べると思ってたけど、

オトナになって見ると、そんなんじゃ飛べねえだろって正論かましてる自分が居た…

道中で大笑いしてた太っちょ男性の気持ちも分かるしなぁw(分かりたくないんだけど)

そして終盤前の挫折ね、、魔法が使えなくなって箒が折れて、友達がデリカシーなくて…どん底。

そんな時に来るおねーさんが神。(ユーミンも神)

キキ「魔法が使えない、飛べないようになっちゃった…」

お姉「そんなときはジタバタするしかないよ」

この掛け合いは今になって響いて来る。数十年の時を超えて響いて来るシーンだ。

ジタバタしなきゃ、自分の言葉が出ないのなんて当たり前だと。そう気付かせてくれる。

ジブリ作品は人生の酸いも甘いも、味わい深く詰め込んでいる。本当にすごい仕事だ。

 

この流れに乗じて「夢と狂気の王国」なんてジブリドキュメンタリー映画を観たら、

感情がぐちゃぐちゃっとなった。

天才たちの情熱を見ては、こんなの俺には出来ないと落ち込んでます。

 

落ち込むなら見なきゃいいのにww比較対象がおかしいってww

そう気付きながらも狂気に吞まれてますた。

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懲りずに見ちゃうんだなーこれがw

夢は夢でも悪夢だよこれは。でも惹かれるところがあって…

「風立ちぬ」のキャスティングで、庵野さんに決まった時のくだりがまた印象的。

(宮崎)もうちょっと やんなっちゃったんですよ 色々

(庵野)役者さんですか?

(宮崎)うん 役者さんが

     その 声優じゃないんだけど

     なんかね みんな同じような感じで

     喋ってるんだよね

     相手の心を おもんばかってばかりいてね

     ばかってるふりをして

     そんで感じを出して

     感じが出てる僕っていうね

~夢と狂気の王国 より~

ドキュメンタリー観ながら「あっせぇあっせぇあっせぇわ」とずっと言われてるみたいだ。

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そしてこのカットが怖い。

こういう人と仕事をするのは、ジブリ作品を作るのは、いかに大変かが集約されてる気がする。

ひどく堅物な爺さんだな~と思えば、

「なんか全部焼け野原になれとか色々思うじゃない?

 子どもの顔見ると そういうことは言えないんですよ

 ね それ大事なことなんですよ

 この世をつなぎ止めてるのは 子どもなんですよ」

とか言う。続けて何かを語りだしたかと思えば、

「無限の可能性を持って 子どもは生まれて来るんだけど

 その可能性を次々と諦めていくことなんですよ

 何かを選ぶってことは 他のことを諦めることにつながるから

 それはもうしょうがないです 人間の存在そのものがそういうものなんだから」

と、含蓄で殴ってきてもう憎めないんです。そういう監督の魅惑というか、魅力なのでしょう。

戦争は嫌いだけど、戦争に使われる飛行機は大好きっていう矛盾性を描いた、「風立ちぬ」。

監督自身も様々な心的矛盾や葛藤を超えたからこそ、魅力ある作品になったのだろう。

passionの語源に”苦しみ”というニュアンスが含まれているように、

向き合わざるを得ない”苦しみ”が過去にあったんだろうなと想像する。

 

「逃げて良いんだよ」という言葉が蔓延る世の中。

この言葉で救われたことも多い。逃げ道は確かに大事だ。

ただ逃げてばかりいると、やがて行き止まりになって、

逃げたくても逃げられない状況に陥るだろう。

そんなはっきりとしない不安と戦っている。

 

恐らく本当に宮崎駿監督最後の作品になるであろう、「君たちはどう生きるか」。

鈴木P著の「天才の思考」のあとがきを読む限りでは、2022年夏公開と書いてあったけれど、

コロナもあったし来年公開になるのだろうか…。ホントもう80歳を超えたので命がけで作ってると思う。

まぁ如何に遅れようとも、どういう形で着地するのか、期待して見届けたい。

そして加速する現代の不安を、切り抜ける、生き抜けるヒントに成り得ると良いなと思う。

 

才能はない、根性もない、それでも何かを創りたい

ジブリやゲーム開発者たちの情熱に圧倒されながらも、

まだ微かな希望を持って机に向かっている。(それでも全然個人ゲーム開発は進まんけど)

そんな中でのちょっとしたマイブームは”ネクライトーキー”だ。特にこのバンド名の由来が好きだ。

根暗+Cry(泣く)+ライト+トーキー(話し手)

根暗が頑張って、心で泣きながら、明るい話をする姿を連想してしまう。

それって卑屈にも見えるけど、すっごいカッコいい姿だとも思う。

BUMP OF CHICKEN(弱者の反撃)と通ずるものも感じる。

 

それはそうと、マイブームのきっかけとしてはこの記事でして。

ここで紹介されている「オシャレ大作戦」の歌詞が、25を越えた人生の迷い人に沁みるっ…!

お金もない。努力もしない。25を越えたら死ぬしかない。

形のない恐れだけが……「さぁ!」

お金はない。逃げ道もない。25を過ぎても生きていたい。

やるしかない。ここまできた。「さぁ!」

1番では根暗の象徴のような歌詞なんだけれども、

2番では腹を決めて光を見出そうとする姿勢に変わってる。

ここに自己を投影するんですよね。

 

こんな自己憐憫の塊のようなブログを書いてるけど、

わざわざ東京まで来たんだ、やるしかない、さぁ!って奮い立たせてくれる。

才能はない、根性もない、それでも何かを創りたい。と。

努力はせなんけど、ジブリのようなモーレツさはない。それでも何かを創りたい。

ネガティブ思考に呑まれて、くすぶった創作欲を引き戻してくれるホンマ良い曲!!

 

 

思えば、ずっとトンネルの中を歩いていたような気分だった。

トンネルを抜けた先には何が待っているのか。

それは自分にとってはゲーム業界だったのかもしれない。

ゲーム業界という少し変わった世界で、果たして「生きる力」は見出せるのか。

今の自分では心許ない。

だったらハクのような恩人に出会えれば救われるのか。

現実はそう上手く良い人に出会えるとは限らない。でも、ジタバタとあがくことはできるはずだ。

そもそもゲームは本当に幸せをもたらしているのか。

ポケモンGOやドラクエウォークとかに夢中になってるポツポツと立ってる人を見ると、

時折、不安になったりする。でも、ゲームで救われている面もあるはず。

そうやって問い続けることが、生きていくことなのかもしれない。

これからまたトンネルに入るかもしれない。帰ってこれないかもしれない。

それでも振り返らないで、前に進むしかない。

 

GW中盤にはフェスが待ち構えている。

ネクライトーキーは来ないが、昔聴きまくっていたバンドが来る。

全身を音楽に浸らせて、生きる活力に繋げるんだ!!ほな、また…(。-∀-)ノシ