娘さん一人ではかなり大変ですよ、病院から出るならホスピスにした方がいいと先生は言いました。それほど母の状態は厳しく、また、膵臓がんの最期も厳しいと一般的にいわれていますから、先生の思いやりだったと推察します。
でも私は家に帰りたいという母の希望を叶えたかったし、花が大好きな母に花を見せてあげたかったし、母と一緒にごはんを食べたかったのです。
その数日前の外出許可で一時帰宅した時、体調が悪く、飾った花にも無反応、ごはんもほとんど食べてもらえませんでした。その虚しさや悲しみは途轍もないものでした。
次の外出許可の日は朝から高熱で外出すらできず、先生からはもう外出はできないだろうと言われました。その時、それなら退院させることはできるかと尋ねて冒頭のやり取りになりました。
母と私の希望を叶えるには迷っている猶予はありませんでした。その翌日に改めて、まずはソーシャルワーカーさんに退院の意思を伝えました(母がどのような最期を望んでいるかソーシャルワーカーさんから聞かれていたので)。
先生もそれならとご尽力くださいました。病院の方々が母の退院に向けて動いてくださいました。退院後のためケアマネさん、訪問看護師さん、訪問のお医者さん、介護用品担当の方も含め、私も同席したカンファレンスには部屋がぎっしりになるくらいの方々が参加されました。
私が考えていたよりもずっとたくさんの方々が関わっているのだと気づくとともに、母が退院するのはこれほど大変なことなのかと驚きもしました。正直ちょっとビビりました(笑)
皆さんそれぞれプロフェッショナルです。
そんな皆さんにご協力頂きつつ、私は私のできること、食事や会話、笑顔で母の力になろうと思いました。
しかし退院後、徐々に母が食べられなくなり、眠っている時間が増えて会話ができなくなり、それでも話し掛けるのですがはじめは笑顔でもだんだん泣けてきました。
母のために何もしてあげられない。やはり病院の方が母にはよかったのではないだろうか。そう思う日もありました。
それでも時々目覚めた母が「あんたがいてくれてよかった、あんたは命の綱だ」「帰ってきてよかったに決まってるよ」「最高の娘だ」なんて時々言ってくれるのが嬉しくて。