すい臓がんの母と食べる普通の夕食 -4ページ目

すい臓がんの母と食べる普通の夕食

【がん患者向レシピ等一切ありません】
ただ母と日々食べる晩ごはんの画像と日記を淡々と記録。食べられるものを食べさせるという状況のため、治療の参考になるメニューとかはないです。

4月に入ってからはほぼ飲み食いできなくなりました。そんな状態でも母は恐らく私のために頑張ってくれました。
それでもやがて著しく反応が低下し、看護師さんからもうあまり時間がない、本人の体力次第と言われました。

母と二人きりになって私は猛烈な疲労感に襲われました。母がここまで頑張ってくれたのは勿論ですが、私も頑張っていたんだなと実感しました。
母に抱きつき、泣きながら言いました。

お母さん、もう疲れたかい?ここまでよく頑張ってきたね。偉かったね。私のためにありがとうね。
何か…私も疲れちゃったな。私、今まで生きてきて初めて、自分を褒めてあげてもいいかなって思った。どう思う?
でもねお母さん。まだお母さんが頑張ってくれるなら私も頑張るからね。今までどおり、これからもずっと私たち一緒だよ。

翌朝。
母の呼吸や鼓動に安心し、おはよう!今日は霧が出てるよ、珍しいねと声を掛けました。
少し浮腫んだ手をマッサージしていると、喉が乾いたような咳払いみたいな音がしました。電動ベッドを起こし、水飲むかい?ちょっと待ってねと台所に行きました。
飲むといってもゴクンとすることはできません。いつものように口の中を湿らすためのスポンジを口に入れたのですがどこか違和感を覚えました。スポンジを取り出し、首筋を触り、胸を触り。
しんとしていました。
ほんの1、2分のできごとでした。
まだきっと聞こえるうちに。母を抱きしめて言いました。

お母さん、お別れなのかい?
よく頑張ったね。偉かったね。痛みからやっと解放されるね、よかったね。本当にお疲れ様。
ありがとうね。大好きだよ。最高のお母さん。
これからも私の中にお母さんはずっと生きてるよ。また一緒にどこか行こうね。これからは自由に、好きなだけ飲んで、お腹いっぱい美味しいもの食べようね。


一緒に食べると美味しいね!

母が晩年やけに気に入っていたジンギスカン。退院後の最初の晩ごはんもこれでした。
姿が変わって小さくなった母に向かって、どこにいても聞こえるように大きめの声で言いました。

美味しいねえ。あんた上手に作るねえ。お店で食べるより美味しいよ。

どうということのないおかず。レシピ通りに作っただけ。そんなものでも母は度々言ってくれました。それは単に味の評価ではなく、作ってくれた私への労いや感謝だったのでしょうね。

そんな母の優しさの証拠なのでしよう。
私からは全く頼まなかったのに、家からの出棺の時にたくさんのご近所さんたちが見送りをしてくれました。
病気をしてからは出歩く機会が減ったから、ご近所さんの母の記憶は数年前の元気だった頃の姿かもしれません。それならそれでありがたいことです。
葬儀屋さんによれば最近は自宅から見送りというのは少ないそうで、だからこんなに人が集まってこちらも驚いたと。
子供好きな母が可愛がっていた近所の子の姿も見えました。珍しい出棺の光景、最後の母の姿をこれからも憶えていてくれるでしょうか。

優しさ。思いやり。共感。幸せな時間。それらは決して当たり前でも永久でもなく、でも誰かに与えたり受け取ったり共有することで永久にもなり得る。
そんな気がします。

今夜は何を食べようか?お母さん。
お母さんが食べたいもの、何でも作るよ。
またいつかお母さんに褒めてもらえるといいな。