横浜ドリームランド跡は、いま | ハンター湘南の旅ブログ

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俣野での高校野球観戦の後は、横浜ドリームランド跡巡りへ

幼少期はすぐ近くの親戚宅をベースに年に何度も訪れた、思い出の場所。


そうだ、野球の試合中にベンチメンバーから「ヘイヘーイ!」と声がけしている人がいて、思わず、当地で人気だった「ヘイヘイおじさん」を思い出してしまった(高校生は知らないから、偶然だろうが)


そのヘイヘイおじさんが盛り上げていたアトラクションは「ミュージックエキスプレス」だった。


京急の7月下旬の風物詩だったミュージックトレインも脳裏に甦る


若い方は、ミュージックトレインと聞いて、ドレミファインバータを想像するでしょうが。

かつては三浦海岸の、1420RFラジオ関東音楽イベントに出場する歌手が同乗するという、今では考えられない企画だった。



京急の最後の「ドレミファインバータ」1033F



さて、それでは本題

横浜ドリームランド跡を一周してみる


「ドリームハイツ」行きバスは今でも多く、周辺住民に「夢」を残している?

 

 ドリームランド跡の北側部分は、俣野公園になった。


ドリームランド関連施設のあった南側部分は、横浜薬科大になり、当時のゲームセンターの建物が流用されている。

 

野球場内から北側を見る

照明灯に登れば、シンボル的な観覧車75mワンダーホイールのからの景色が再び見られる、かも。


バッターボックス辺りにメリーゴーラウンドがあったっけ。


いや、「ドリーム銀座」(ほぼシャッター銀座)だったか。

 

 ドリームランドに隣接の(相州)春日神社はポツンと残った。

奈良ドリームランド繋がりで創立したから、ある意味関連施設の名残が。


神鹿苑は健在


幼少期、毎年正月に来ていた神社だけに感慨深い

 

多分、この辺りに「シャトルループ」があった。

地図的に見ると、左右のわずかな直線移動だけでつまらないと言う理由で、身長120cmを超えても、乗車は拒否し続けた。

 

この池は新しく造ったのだろうが、潜水艦やジャングル探検船がやって来そうな気がした。

 

ボブスレーのあった辺りは、墓地に変わった

こちらは大好きで何度か乗り、設備の老朽化による摩擦で、軌道上臨時停車(おそらく体重オーバーも原因)も普通に体験した。

 

北側、大海賊や空中ブランコがあったかな?

 

 さらに昔は、ドリームハイツの敷地内まで遊園地が拡がっていたが、モノレールの休止等による来園者減で、縮小された

とのこと。


この日は、当たり前に生活の中に存在し続けた物や音が、時代の流れに逆らえず、突然消えるという、やりきれない思いで、実にセンチメンタルな一日だった。


ただ、帰りのバス(昔は、何台か見送って、ペンギンのヘッドマーク付きの冷房車が来るのを待ったなあ)で、幼少期に刷り込まれた原宿交差点の渋滞が無くなっていて、ベルリンの壁が崩壊したような清々しい気分だった。