「『怪しい彼女』が大成功して、ありがたいことに賞もいただいて、たくさんの関心を浴び、私は成功しなきゃとばかり考えていた。
『サニー 永遠の仲間たち』もあるし、『王になった男』もあるし、それが自分を締め付けた。だから自分に合わない選択したのもある。
それがどの作品かはよくご存知だと思う。私が良くなかった。
それは認める。誰のせいでもなく、あのドラマは私が良くなかった。」
そのドラマこそ『のだめカンタービレ~ネイルカンタービレ』である。
第二回のテーマ『黒歴史編』
映画『少女は悪魔を待ちわびて』公開前後、シム・ウンギョンの赤裸々なインタビューがあちこちに掲載されている。
「『のだめ~』の)当時は辛かった。隠したくはない。私はあのドラマをしながら辛かったし、演技的にも混乱していて、自分はどうすればいいのか判断もできない状態だった。それが一生自分にとって毒になるだろう、人々にいつも批判されて、
黒歴史になるだろうと思っていた。未だにそういった声もある。
『怪しい彼女』で売れて、『のだめ~』で台無しになったと。
でも仕方ない。最初は認めたくなかった。褒め言葉ばかり頂いていたので、逃げようとした。信じたくなかった。」
とドラマを撮影した当時の心境を打ち明けた。*出典OSENインタビューKstyle
で、そうなるとシム・ウンギョンファンとしては考察しなければならない。
というのも、オレがシム・ウンギョンファンになる以前に『のだめカンタービレ』が韓国ドラマとしてリメイクされるのは知っていて興味もなかったからでもある。
そもそも『のだめ~』自体が二ノ宮知子の原作漫画と上野樹里・玉木宏の月九ドラマとして2006年に確立してしまった作品である。
韓国でもマンガもドラマも人気で、あえてそれをリメイクしようとした制作側のチャレンジはわかるが、そこからリスクはあったようだ。
上野樹里が作り上げたのだめのキャラクターをまずどうするのか?
キャスティングは二転三転して最後のギリギリまで決まらなかった。
シム・ウンギョンは早くから候補にされていたが正式に断っていて、最後はそれでもシム・ウンギョンしか出来ないからとキャスティングされたのが事実である。
Lesson11(第11話)でピアノの練習にトラウマのあるネイルがドラマの中で最初で最後の大泣きのシーンがあった。
「 いいチャンスなんて私はいりません。 いつも泣いて たたかれて 痛い思いをして 傷ついて・・・ それがピアニストとしての成功の道なら わたしはなりたくありません。 なぜみんな強制するの?」
なんかシム・ウンギョン本人の声に聞こえて切なかった。
自分で見てみて失敗の原因感じたのは演出のまずさではないかと思った。
日本の『のだめ』は上野樹里のキャラクター演技もそうだけど、登場人物全員がマンガを意識しコミカルで、なおかつマンガ的な演出が楽しかった。
日本は原作マンガをベースにドラマを作ったのに対し、韓国版はあきらかに日本のドラマベースで作ってると思う。特にLesson1(第一話)だ。
『ネイル~』の第一話で、オープニングからネイルの汚部屋に至るまでの流れとカット割りがほぼ日本版と同じ。まぁオマージュだからパクリとは言わない。
汚部屋が片付くと原作の二ノ宮知子が『ネイルの部屋広い!』と驚くぐらい広い部屋。それはいいとしてダメなのはこれ以降この部屋は汚部屋にならないのである。
原作でも日本のドラマでも三日目には同じ状態になるはずなのに。
このあたりも原作愛がないというかそれほどの『のだめ』ファンでもないオレにも気がついちゃう部分である。
総じて登場人物全員が普通のドラマの演技なので、変なテンションの演技のシム・ウンギョンが浮いてしまい、シム・ウンギョン自身もだんだん普通の演技になってきてる気がした。
このドラマでシム・ウンギョンが一番可哀想だと思う。
前作『怪しい彼女』では好評を得たシム・ウンギョンさえも演技力議論に巻き込まれ、ドラマを構成し、コンセプトを決める最初の設計段階から間違った設定をしてしまったなと思う。
日本版はドラマ全体にファンタジーの要素(マンガ的な要素)がある。
だから、その中にいるのだめ(上野樹里)は全く不自然ではなかったが、韓国版ではシム・ウンギョン、彼女一人だけがおかしい。ドラマの全体的な雰囲気に合わない。彼女一人で奮闘しながら悪口を言われているが、それは制作陣のせいだ。
Kstyleのドラマ評論で同意見な記事を見つけた。
さて次回はシム・ウンギョン本人が黒歴史と公言するようになった以上の事を踏まえた上で作品世界について考察していこうと思うます。
そんじゃアンニョン♪('∀`)ノ #심은경 #shimeunkyung