父の急死後、すぐ母のがん発覚。家族の死と向かい合うための自分ブログ

父の急死後、すぐ母のがん発覚。家族の死と向かい合うための自分ブログ

突然の父の死後、100日を待たずに母のがんが発覚。
39歳からの不妊治療ブログでしたが、テーマを変更して現状を記録していきたいと思います。

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先日、父の一周忌を終えました。

あっという間の一年でした。

突然の父の死の知らせから、実感はなく

一年たった今の方が、父のいない淋しさを感じるようになりました。


 

 

#クリスマスの思い出は?

 

クリスマスカード画像

クリスマスの思い出・・・かぁ。

我が家では、あまりクリスマスプレゼントとか、もらった記憶はないのですが。

でも、クリスマスイブの夜、ケーキはいつもアイスクリームのケーキだったのが忘れられません。

アイスクリームのケーキは一年に一度だけの特別メニュー。

夕食の後、家族みんなでアイスケーキを食べる。

これが、まだ父も若く母も元気で3人きょうだいと5人家族でのクリスマスの思い出です。

 

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スキルス性進行胃がんと診断された母。
手術を受けて、転移が見られなかった事もあり、退院後、抗がん剤治療は行わなくて良い事になりました。

分割食は続きますが、今は少しづつ普通の生活が出来るようになってきたと言います。

一時は、死を覚悟して、父の遺品どころか自分の終活を進めて入院した母も、

結果としては、最悪の中からの1番良い形での復帰となったと思います。

母からの癌の知らせを聞いた時は、母はもちろん家族も覚悟をしました。

今は、5年生存を目指して、前向きに生活できるようになりました。

このブログも、一旦ここで、お休みにしたいと思います。

母は、手術前から目が腫れて、瞼が下がり見えづらい症状がありました。

痒くて痒くて、かいてしまう。
かいちゃだめだよ、と言っても我慢できずにかいてしまう。

また、腫れる。の繰り返し。

瞼が下がり見えづらい分は、瞼を持ち上げる手術をして改善しましたが、

また、悪化してかいて腫れて。

皮膚の色も赤黒くなってしまいました。
あまりにも酷くなり、顔半分がパンパンに腫れ上がってしまいました。

病院では、アレルギーだと言われ、痒み止めの薬が出されたそうです。

皮膚の方は皮膚科に行って、と言われたそうです。

アレルギーって・・・よく言われるけど結局、原因がはっきりせずに改善も難しいですよね。

良くなって欲しい。

母の退院が決まり、しばらく体力が戻るまで、食事の用意のお手伝いに行きました。

なんせ、1日6回の分割食。

3週間の入院生活で、体力も落ちているだろうし、味覚障害でそもそも食事をしたくない母の分割食。

1人では、大変だろうと。

実家で、母と過ごし色々おしゃべりしていると、母の入院前の覚悟が伝わってきました。

遺影の写真の準備。
なくなったら使う敷布団と掛け布団の準備

そして、家中の断捨離

結局は、手術も無事に済み、退院もでき、取り越し苦労ではあったけど。

私は、そこまでまだ考えていたと知って驚くばかり。

まだまだ、死んではダメだよ。母さん。

胃がん手術をうけて、約3週間後の日、母の退院が決まりました。


手術後は、分割食で、母いわく、食べてるか寝てるかの毎日だそうです。


味覚障害が治っていないので、食事は苦痛そうですが、仕事と思って頑張って食べているそう。


病院では、歩いたり、リハビリもしているそうです。


父もいなくなって一人暮らしの今、退院後は、身の回りの事や食事作り、お風呂の準備など1人でやらなくてはなりません。


心配した姉が、退院日から数日は実家へ戻り、お手伝いをするという計画でしたが、今はコロナが酷くなり実家への行き来が制限されています。


姉は対策をちゃんとすれば感染リスクは下げられると言いますが、母の方が、あらぬ事を言う人たちも居るだろうから、今回は来ないで、と断ったそうです。


私は姉と入れ替わりで、実家へ戻り手伝う事を検討していましたが、それも現状では無理そうです。


なにより、収まらないコロナが憎い。


母は、無理しないで頑張るから、心配しないでね、と言っていますが・・・


超高齢の母。心配しか無いよ。