新しいテーマ「誰がマンションの民主主義を殺したか」を立ち上げるにあたって | 野良猫の目

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~本当は寝ていたい~

私が住んでいるマンション「ボナール戸越」が40周年を迎えました。

 

私がこの新築マンションを買ったころは、「マンションは管理を買え!」とか「マンションの管理組合は民主主義の道場」とも言われたものでした。他方で一戸建てを売る不動産会社からは「マンションは10年後、20年後は必ずスラム化する。だから…」というセールストークが聞かれたのです。

 

私は、運悪く入居者説明会でくじに当たり理事と防火管理者を引き受けることになりましたが、幸い、一緒の時期に入居した区分所有者の方々の協力に恵まれ、なんとか理事として、そして防火管理者としてその在任中その役割を果たすことができたのでした。役員としての仕事をやる中で常に心にあったのは、「マンションの管理組合は民主主義の道場」という言葉であり、管理組合の民主的な運営に心を砕いたものでした。新築マンションであることから未整備の規則類もありましたが、理事以外の区分所有者の方も当事者意識が高く、規則を検討する委員会のメンバーに自ら志願してそれらの策定に参加などしてくれたものでした。

 

しかし、最近の総会に出て感じた役員の様子、総会への出席者数などを見ると、区分所有者に「区分所有者(管理組合の“組合員”)が管理の主体である。」との意識があるのかどうか疑わしく感じるのです。こういったことは、マンションに限らず事業者の組織、労働組合など他の共同体でも感じることがあります。むしろそのような社会的な風潮が区分所有マンションにも反映されていると言ってよいでしょう。それゆえに、これらの問題が、マンションの管理組組合だけの問題ではなく、広く共同体共通の問題だと考えるのです。

 

そして、この変化が、現在の政治の有様と重なっているように私には見えます。言葉を変えれば、安倍政権以降の政治・行政の民主主義、法治主義の劣化が、そのままマンションの管理組合での民主主義、法治主義の劣化に反映されているということです。しかし管理組合の劣化は、直ちに外から見えるものではありませんが、それは確実にマンションを蝕んでいきます。そしてかつては「民主主義の道場」といわれた管理組合も、いまや「民主主義の墓場」なっているように思います。こうしていつか、あるいはもう既に、私が住んでいるボナール戸越は「買ってはいけないマンション」になってしまったように感じます。

 

そこで、自分が住んでいるボナール戸越の管理組合という“共同体”で起きた事例を参考にしながら、共同体と民主主義の問題について考えていきたいと思いこのテーマを立ち上げました。