私が報道の映像を簡単に信じない理由 -冷徹なファクトよりも「お気に入りのフィクション」- | 野良猫の目

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私はテレビのニュース番組などで報道される映像を、どこかに疑いの目をもって見ていることが多いのです。

そこに至るエピソードを書いてみました。

 

 

1.不安で駆けつけた親たちに注文を付けていた新聞社 

マスコミに対する不信感の原体験となった小学校時代の経験です。

私が通っていた小学校の校庭にアドバルーンが降りて(落ちて?)きました。そのアドバルーンに下校前の子どもが乗って遊んでしまったのです。何人もの子どもが乗って遊ぶことで生じた静電気火花がアドバルーンから漏れた水素に引火・爆発して、子どもたちが火傷、怪我を負いました(補注1)。その爆発音はすざましく、家の窓のガラスがビリビリと音を立てるほどでした。すぐに「小学校で爆発があったって」という話が広まり、まだ子どもが家に帰っていない親たちが学校に駆けつけました。私も近所の親たちに紛れて学校に戻りました。

そこで見たのは、子どもから見れば何とも奇妙な光景でした。来る親々に新聞社の人(…と思いますが)が「こちらです。」と誘導し、負傷した子どもの名前が書いてある大きな模造紙(学校が作ったのだと思います。)を差して「はい、こちらを見て!」と繰り返し“命令”して、脚立の上から親たちの姿を写真に収めていました。脇に立っていた学校の先生(いつも朝礼で号令を掛けていた先生)は呆然とした様子で立っていただけでした。そのようにして撮影された写真が翌日の朝刊に載っているのをみて、すんごく白けました。「新聞の写真ってこうやって作るんだ。」と、子どもながらに強烈な不信感が残りました。

 

 

2.「事故の悲惨さ」を伝えるよりも、“サマになる絵”を求めるテレビクルー

1980年に韓国の金浦空港で大韓航空機が着陸に失敗し、乗客が負傷、死亡する事故がありました。このフライトには日本人団体客が乗っていて、この団体が日本に帰国する時の到着ロビーに居合わせました(名古屋の小牧空港だったという記憶があるのですが、自信がありません。)。

そこではテレビクルーが到着ロビーに出てくる乗客を待ち構えていました。指示する人、カメラを持つ人、ライトを持つ人、マイクを持つ人、一チーム4人だったと思います。やがて到着ロビーに乗客がバラバラと出てきましたが、痛々しく包帯を巻いたおばちゃんが出てきてもクルーは一向に動く気配がありません。ところが、絆創膏を貼った程度の見目麗しい女性が出てくると、指示する人の手がサッと動き、どっとその人にクルーが移動するのです

 

この光景を「あっ、そう言う事ね。」と白けた気持ちで見ていました。つかこうへい原作の「熱海殺人事件」の舞台を観た後だけに、「美人でなければ被害者になる価値がないのか」などと不謹慎な言葉が頭に浮かびました(補注2)。

 

 

3.新橋のSL広場で嘆いていたテレビクルーたち -だったら仕込んじゃえ?-

30年近く通勤で新橋駅を利用していました。SL広場ではよく街頭インタビューの光景を目にしましたが、ある日、テレビクルーたちが「○○っていう人、いないじゃないかぁ。」みたいな感じで嘆いているのを耳にしました。

彼等は有るテーマについて、予め決められた台本に適うような人を街頭で探しているようでした。ところが、街頭で都合よくそういう人が現れなければ、時間は無駄に過ぎていくのでしょう。

 

 

上の3つは私の身近で起きた“映像”に関する出来事ですが、一見信用出来るはずの新聞やテレビも、一定の意図の下に記事が作られているものだと考えるようになりました。他にも捏造記事を書かかれたりした経験がありますが、今回は省略します。

 

 

4.アベノマスクにインタビューはヤラセではないのか?

上に書いたような経験をしてきた私には、河瀨直美がらみのNHKの「カネ貰って五輪反対デモに参加」の映像が捏造であったとしても、ちっとも不思議ではないように思えるのです。

最近では、アベノマスクについての街頭インタビューの動画を見たとき、「どうせ仕込んだんでしょう。」と勘繰ってしまいました。同じように考える人は他にもいたようです。

 

これに限らず、最近の街頭のインタビュイーには次のような傾向があるように思います。

○ 女性の二人組(二人とも似た雰囲気)のことが多い。

○ 年の頃20年代前半で、そこそこ絵になる外貌。

○ 小綺麗な服装をしている。

○ 生活臭や仕事臭がしない。

○ インタビュアーに逡巡なくハキハキと答える。

 

私の親族にテレビ番組の制作会社に勤めている者がいるのですが、NHKも含めて放送局の依頼を受けて番組を作っているとのことです(「○月○日のこの番組見てね」と電話がかかってくるのです。)。ときには「こんなところまで下請けに出しているの」と驚くようなものもありました。

 

インタビューなどでは、下請け会社が充分な対価を受けているのかどうか知りませんが、無駄なコストと時間を費やすより、エキストラを派遣してくれるプロアクションのようなものがあれば(そんなプロダクションがあるのかどうか知りませんが)、適当な人間を派遣してもらい絵を作ったほうが効率的でしょうね。一般論として、企業倫理などと言うのは、下請けを重ねるごとに希薄になっていくものです。

 

 

こうして「ノンフィクション」の世界で作られたはずのものが実際には演出されたフィクションであったり、フィクションとして作られた「新聞記者(NETFLIX版)」が、「事実に反する」などと批判する声が上がるという今の社会は何なのでしょう。

 

誰もが冷徹なファクトよりも演出された「お気に入りのフィクション」を求めているということなのでしょうか。

 

 

 

[補注]

1.この事故を切っ掛けに、アドバルーンに水素を使うことが禁止され、ヘリウムガスに置き替わったと聞いていました。

 

2.私が見た舞台は殺人事件の取調室だけを切り取って演じられたものです。事件関係者(容疑者、被害者)のプロフィールや殺人の動機があまりにも「ありきたり」であったことに腹を立てた刑事が、取調室で調書を“劇的な事件”に仕立て上げていきます。その過程で「美人でなければ殺される価値は無い」という意味のセリフが繰り返し出てきました(実際の劇中では美人でない女性を形容するもっと酷い言葉の数々が使われていましたが…。)。