「経済が大事」という人たちの言う「経済」とは? -加速する日本の植民地型経済- | 野良猫の目

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~本当は寝ていたい~

 

テレビなどのインタビューで「経済が良くならなければ」、「経済が大事」と応えているのをよく聞きます。インタビューの回答だけしか流されないので、実際にどのような質問に対して回答されたものか分からないのですが、そのたびに、「この人の言っている経済とはどういうものなのだろうか。」と疑問が湧きます。

 

政治家(自民等)や経済界が「経済が……」という場合と市井の人がいう「経済が……」とは、経済の意味する範囲が違うのではないかと思うのです。またそれも時代と共に変わってきたように思います。

 

 

下に、古き良き時代の「内需依存型経済」の模式図を描いてみました。

このような経済構造では、労働で稼いだカネが消費市場に流れ込み、それによって企業も売り上げをあげるという経済循環が実現できました。また、自分の生活圏の延長が、国の経済の姿でもあったような気がします。このようなモデルでは誰もが「経済が大事」というのは頷けます。

 

 

しかし、今日の新自由主義下の輸出依存型の経済を極端に単純化すれば、次のような模式図になるでしょう。

 

ここでは消費が海外で行われますので、労働市場に流れた資金をマーケットに環流させる必要がないわけです。となれば、賃金を初めとする労働コストは安ければ安いほど良い雇用リスクは低ければ低いほどよいことになります。

同じように、海外の投資家が少しでも多くの配当を本国に回収するには、法人税は安ければ安いほど良い高額の報酬を受ける取締役(外国人を含む。)が支払う所得税は安ければ安いほどよい株主配当に掛かる税率は低ければ低いほどよい、ということになります。

これってアベノミクスでやってきたことそのものではないですか。

 

 

私の記憶の範囲では、中曽根政権以降、このような方向に日本の政治が舵を切り、派遣法施行以降、労働者がどんどん貧しくなって来たように思います。そして今、働く者が全てのリスクを負う業務請負が経済界によって推し進められ、またギグワークまでアメリカから輸入されました

更に自民党政権は、法人税の減税、富裕者層向けの減税(物品税の廃止を含む。)などの税制の他、旧商法で禁止されていた持ち株会社を解禁し、また株式会社の最低資本金制度を廃止するなど、外国資本などが日本に投資しやすい環境を作り上げてきました。他方で、消費税を引き上げるなど、庶民を圧迫するような税制を導入し、ことあるごとにその税率を引き上げてきました

 

上のⅡのような、経済構造を別名「植民地型経済」とも言いますが、こうして書き出してみると、自民党政権がやってきたことは、日本の経済の植民地化を推し進める政策であり、そして、アベノミクスの「世界で一番企業が活動しやすいビジネス環境を整備する。」といった政策は完成の域に達したのではないかと思うのです。

 

 

実際の経済構造は下の模式図のようにⅠとⅡとが混在したものになります。


 上の模式図の海外からの原材料輸入は安ければ安いほど良いわけで、また「国内消費市場」は、生活に必要な物を海外からの輸入に頼るようになってきているので、輸入品は安ければ安いほど良いことになります。輸出国の経済状況(原料や消費財がどのような労働環境の下で作られたのか)などに頓着する余裕もありません。こうして、国際的な低賃金労働のスパイラルが作り上げられていきます

 

 

話を元に戻しまして……

市井のインタビューなどで「経済が……」と言うときにはⅠの国内循環型の経済を前提にしているのではないかと感じることもあります(あるいは、誰かが「経済が……」と言うのを聞いてオウム返しにしているだけなのかも?)。

しかし、Ⅱの日本の植民地型の経済状況下では、「経済が良くなる」ことは必ずしも「庶民の生活が良くなる」ことを意味しません。自民党政権で「経済が良くなる」ということは、企業の利益が上がり株主の配当が増えることを意味しているに過ぎません。しかもその配当の然るべき割合が外国の投資家に支払われるのです。そして、そのために、労働者の雇用を流動化し(そこへの過程としての失業者を量産し)、非正規化、非労働契約化を推し進め、他方で中小企業の再編成(倒産/買収→大手資本によるチェーン店化)が進められているように思います(←長いこと地元の商店街を見ていての実感です。)。更には、新型コロナウイルス禍を巡るアベ・スガ政権の、一見して無策に思える対応も、これを奇貨として上のような政策を更に推し進めようとしているのではないかと勘ぐってしまいます。

 

 下は5年半前に腹いせ紛れに描いたブログです。

何か現実味を帯びてきたなぁ……