「労働力の流動化」が菅首相の“コロナ無策”の目的か! -再び死なない為の労働運動の時代が来た- | 野良猫の目

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○ アベ・スガ政権のコロナ無策の目的には、失業者の量産がある。

3月5日のスガ首相の記者会見を聴いていて本当に腹が立ちました。馬鹿正直というか、口が滑ったというか、若手官僚の退職が増えていることを踏まえて、江川紹子氏が行った「官邸と官僚の関係について、第三者を入れて在り方の検討をするというような考えはないのか」との趣旨の質問に、「一旦退職して、また元の省に帰ってくる人もいるということも事実です。いずれにしろ労働力の流動化、そうしたことがやはり大事かなというふうに思います。」と言ってのけたのです。しかし、残念ながらこの部分に着目した報道記事をみることは出来ませんでした。

 

前回(3月4日)のブログで、「新型コロナウイルス禍を奇貨として、労働者の雇用を流動化し(そこへの過程としての失業者を量産し)、非正規化、非労働契約化を推し進め」ようとしていると勘ぐっている旨を書いたばかりだったので、呆れてものが言えません。

 

普段考えていないことが咄嗟に口から出るわけがないのですから、公務員の“非正規化(おそらく派遣社員への置き換え)”も、誰かに吹き込まれて脳に染み込んでいるのではないかと思います。

 

これで“勘ぐり”が“確信”にかわりました。

スガ首相が言う「国民の命と暮らしを守る」の“国民”には上級国民以外の庶民は入っていません

 

 

○ 再び、死なない為の労働運動の時代がきた。

新型コロナウイルス禍による失業、経済的困窮、自殺など報道に接するにつけ、昔読んだ「女工哀史」の中の記述が思い出されます。

 

紡績業や製糸業が始まったころはそれなりの待遇で迎え、福利厚生もそれないなりに整えられた工場もあったようですが、やがて紡績業が盛んになると、阿漕な方法で女工を募集して上前を跳ねる仲介者や、悪質な労働環境・労働条件の下で働かせる経営者が出てきました。

 

そして、この本にある女工を募集する阿漕な仲介業者は、私の頭の中では、労働者派遣事業やギグワークなどのプラットフォームの事業者(いずれもアメリカから導入されたもの)と重なるのです。また、女工(工場労働者)と事務部門労働者の処遇の違いなどは、非正規雇用(派遣労働者、契約社員)と正規雇用(正社員)との待遇の違いと重なります。

 

昭和40年代の私が就職した頃には、「かつては“死なない為の労働運動”だった。これからは人間らしい生活を確保するための労働運動。」という話を聞かされました。その話の中で、悪質な労働条件の例として出されたのがこの「女工哀史」や小説の「蟹工船」でした。

 

私の実感からすれば、労働者の労働条件は、中曽根政権の1985年頃から悪化の一途をたどり、ついに「女工哀史」のレベルまで逆行したのではないかと疑いたくなります。近年の労働法制の改悪、働く者の労働条件の劣化には、目を背けたくなるようなものがありました。

 

そして、新型コロナウイルス禍でそれが顕在化しました。小規模事業者や個人事業者の廃業、非正規労働者の首切り、それによる生活苦、自殺……。正に国家による“意図的な無策”により国民が殺されていきます

 

軍こそ出てきませんが自民党政権がやっていることは、ミャンマーの軍事政権のやっていることと同一線上にあるように見えます。自分たちの政策に従わない者は死んでも良い、と言う考え方です。

 

 

選挙は大事ですが、それだけでは自分たちの命を守ることは出来ないでしょう。自分たちが働く場で、自分たちの命と権利を守るための行動を起こさなければなりません。また、日常生活の中でも自分達が住む場所で自分たちの生活を守るための行動eg. 水道民営化、教職員の変形労働時間制など)を起こさなければなりません

今、再び「死なない為の労働運動の時代が来た。」というのが実感です。それは10年、20年掛けても推し進め続けなければならない運動です。