安倍首相の行動指針は、日米安全保障条約だった? -アメリカ資本の走狗になり果てた政治家- | 野良猫の目

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アベ首相が辞意を表明したことで、世間では次期自民党総裁に注目が集まっていますが、私がアベ首相に感じていたことの一つに、「アベ首相は日米安全保障条約に忠実だった。」というものがあります。

そして、あまり注目されていませんが、条約にある「経済協力条項」こそ、軍事以外の分野での歴代政権の対米隷属外交の原点ではないかと考えています。

 

 

1.知られていない? 日米安全保障条約の経済協力条項

日米安全保障条約は、国内ではいわゆる軍事同盟のように受け止められていますが、その第2条には次のような条項があります。

 

第2条

締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長することによつて、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する

 

この経済協力条項を私なりに読めば、次の2点を日本に迫る内容に解釈できます(注:解釈にあたっては条約の英文も参考にしました。)。

 

 「自由な諸制度を強化する」 

 (福祉分野も含め)日本の諸規制を排除して、自由主義に基づく経済活動を促進する。

 「国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め」

 日本の経済に係る諸制度をアメリカのものに一致させる

 

条約の条文そのものは双方の義務という対等な立場で書かれていますが、規制の多い日本と規制の少ない米国との違い、また、日本が軍事的に米国に占領されている状態にあることを考えれば、第2条が日本に一方的に譲歩を迫るための条項であることは容易に理解出来ます。

 

これに基づいてアメリカからは、「年次改革要望書」あるいは「対日経済要求項目」のような形で規制緩和を要求されるなどしましたし、現在もなおされています。他方で、例えば会社法や労働法制のように、日本の法制を米国のものに合わせることで、米国会社が日本に進出しやすくする為の法改正も行われました。また、日本の法律に定めはないものの、執行役員制度のようにアメリカの会社法と同様の執行体制を導入した企業もあります。

そして、これらは国内向けには「構造改革」などの名前を冠して、あたかも日本政府の自前の政策のように装って推し進められました。日本政府は、これらのアメリカからの要求された政策を日本向けの包装紙に包み替えていただけなのです(この中身について興味のある方は、「日米安全保障条約 日米経済協力 年次改革要望書 構造改革 対日経済要求項目」などから適当なキーワードで検索してみてください。)。

 

アメリカ(=アメリカ資本)からの要求は、日本の国民に、雇用の流動化や、それによって引き起こされる賃金・労働条件の低下、食品の安全など日々の生活の安全を脅かすなどの不安の増大、公的サービスから民間サービスの移行による負担の増加やサービスの低下、医療・福祉分野制度の民営化による福祉の低下などをもたらしますが、同時に日本の独占資本にも大きなメリットをもたらします。このため、日本の財界は積極的に米国に加担し、国民の生活を不安定なものとしています。正にアメリカ資本と一緒になって国民を犠牲にした構造改革を推進しているといって良いでしょう。

 

ところで、この第2条について、外務省はウェブサイトの中で次のような説明をしています。

○「この規定は、安全保障条約を締結するに当たり、両国が当然のことながら相互信頼関係の基礎の上に立ち、政治、経済、社会の各分野において同じ自由主義の立場から緊密に連絡していくことを確認したものである。」

 

具体的に何のことを言っているのか分かりません。

私は外務省の翻訳はいつも疑いながらが読んでいます。今までにもブログで書いていますが、外務省の翻訳やその解説には「意図的な誤訳」としか思えないところが見つかることがありますし、「仮訳(抄)」として都合の悪いと思われるようなところは翻訳をしてないことがあります。最近では、日米間のFTAを「TAG」などと、高校生でも分かる意図的な誤訳(嘘訳)を使っていました。上の外務省の説明も、そんな部類のものだと思っています。いっそのこと、「政治、経済、社会の各分野において米国の言いなりになる」と書いて欲しかったと思います。

 

 

2.日本はアメリカを初めとする外国資本の草刈場に! その最大の戦犯がアベ首相

安全保障条約にこの条項が入ったのは岸信介政権下の1960年。私が就職したのが昭和40年代でしたが、そのころには「良いから買います国産品」と言う標語を街で目にしたものです。今になって思えば、このような標語が出回ったのは、外国為替貿易に係る規制が緩和され、輸入品が出回り始めた頃でもありました。特に農産物の輸入規制が緩和され、穀物、野菜・果物など国民が直接口にする農産物(ものによっては防カビ剤をまぶされたもの)ばかりでなく、家畜の餌まで輸入依存が増えたとの報道されていたのを思い出します。結局は、米国からの輸入が止まれば、家畜(ブロイラーを含む。)も育たなくなるということです。

更に、外為法が「原則禁止・例外許可」の考え方から「原則自由・例外禁止」の方向に変更されたことに伴い、「優良外資を導入して……」と一定の制限の下に認められていた内国投資規制も大きく緩和されました。そして、日本への資本進出の阻害要因のひとつとなっていた労働法制が緩和されたことと相まって、今や日本が米国ばかりでなく外国資本の草刈場になっている感がします。

 

私の頭の中では、中曽根(派遣法・国鉄民営化)、小泉(郵政民営化)、そしてアベ首相(集団的自衛権その他諸々)が日本を売り飛ばした三大戦犯です。しかし、この3人のうちで、アベ首相ほど、日本の為政者としての見識も自尊心もなく、アメリカ資本の走狗になった政治家はいなかったのではないかと感じています。

 

 

3.結局は地道な運動で権利を取り戻すしかない!

何年か前、大学教授の方が憲法についての講演会で、一言「実は、日本国憲法の上位の法規範として日米安全保障条約がある。」という意味のことを口にしたですが、それ以上の言及はありませんでした。

軍事のみならず、民間の経済まで米国の要求に唯々諾々と従う歴代の自民党政権の姿を見れば、この先生のこの言葉が、単に軍事の問題のみならず、日本の経済政策全般にも及んでいるのではないかと思えてくるのです(違っているかも知れませんが……)。

 

昨日、自民党の総裁候補者が出そろいましたが、日米安全保障条約によって、米国からトップダウンで政策が降りてくる限り、そして財界がその尻馬に乗っていわゆる構造改革を推し進める限り、誰が首相になっても、程度の差こそあれ、自民党の政策がかわることはないでしょう。所詮は看板の掛け替え”でしかありません。

 

このような米国からの“トップダウン”政策に対抗するには、結局は働く者と生活者がその都度声を上げ、その力を結集して可視化するしか方法がないのではないかと思います。政権が米国政府に対して「そんなことをしたら、国民がだまっていません。政権が持ちません。」と言わざるを得ないだけの状態を国民が作り上げなければならないのだと思います。

例えば派遣法のように、成立時の1985年には「政令13業務」と呼ばれていた対象業務が順次拡大し、1999年には「原則すべての業務、例外××」と原則自由とされました。その後行き過ぎた規制緩和を修正する方向に転じましたが、現在なお、雇用の調整弁として使われ、働く者とその家族の生活を不安定なものとしています。このように35年かかって作られた制度を一朝一夕に変えることは出来ないでしょう。逆を言えば、働く者のための労働法制を取り戻すためには、同じように20年、30年先を見据えた運動が必要なのだということだと思います。

その為には働く者や生活者の力を束ねることができる政党が、長期的な政策を打ち出し、コツコツと進めていくしか方法はないのではないかと思います。

 

 

日本の首相が代わっても、働く者と生活者が現場から声を上げ、行動しない限りは何も変わらない。

 

……のだろうと思います。