ゲッペルスの亡霊 -安倍首相の後ろにはゲッペルスがいる- | 野良猫の目

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~本当は寝ていたい~

 

第二次安倍政権で「安倍首相の後ろにはゲッペルスがいる。」何の根拠もないが直感的に感じた。

 

安倍首相の言動を見ていると、いろんな局面でタイミングが良すぎるのだ。報道機関に対する過度とも言える自己演出的な出しゃ張り方。国会答弁における歯切れのよい話し方は、内容がすれ違っていようが、論理が破綻していようが、「音」として耳に心地よい。漫画を利用した安保関連法案の宣伝。「三本の矢」、「一億総活性化」だ何だかんだという簡潔な言葉。こういった一つひとつが、一つのベクトルをもって演出されている。 

 

他方で、イメージを落とす可能性のある行動は、一切避けて通ろうとする様子が見て取れる。これらの動きは、政治家と言うより芸能人的な臭いがする。 

 

こういった演出のあり方が、昔読んだゲッペルスについて書いた本を思い出させるのだ。ゲッペルスは、ナチス政権下で国民啓蒙宣伝大臣として「総統ヒットラー」を演出した。そこでは映画が大きな役割を果たしたが、今は、リアルタイムでテレビが安倍首相の“勇姿”を放送してくれる。今は正に美味しい時代なのだ。 

 

芸能人ならば、そのイメージを「買う、買わない」の選択は我々にある。イメージ倒れの期待外れでも、支払った代金以上の損失はない。しかし政治はそうはいかない。イメージに流されれば庶民には手痛いしっぺ返しが来る。命まで取られかねないのだ。 

 

わたしの頭の中で、“胡散臭い信号”が鳴り響いている。