13日に起きたパリの事件が「テロ」と呼ばれていることに違和感を感じている。私の感覚では、これは国と国との戦争で行われる戦闘行為の一つでしかない。
想像力を働かせて立場を入れ替えて考えてみよう。
イスラム国を国家と認めないというのが日本や欧米の国の立場だが、自身を国家と考えているイスラム国から見れば、敵国が自分の国を承認しないことなど当たり前のこと。その敵国がイスラム国の戦闘行為を“テロ”と呼ぼうが、イスラム国の軍をテロリストと呼ぼうが、そのことでイスラム国が現実的に存在しているという自己認識を損ねるものは何もない。イスラム国から見れば、これは有志連合の国との戦争なのだから。
そんな中で、フランスはシリア内のイスラム国の支配地域に空爆している。つまりイスラム国とは戦争状態にある。「テロは民間人を対象にすることが卑劣」云々がいわれているが、爆撃機も、巡航ミサイルも、無人攻撃機もたない国が応戦するには、ほかにどのような方法があるというのか。
戦争ではあらゆる行為が嘘と詭弁により正当化される。有志連合の国がイスラム国の軍事攻撃を「テロ」と非難したところで、どれだけ説得力があるのか。反対に、イスラム国からすれば、自分を安全圏に置いて相手だけを殺傷する空爆や無人兵器こそ極悪非道ということになるだろう。イスラム国が行ういわゆる“テロ行為”は、彼等からすればアメリカやフランスなどが行う空爆と同レベルの正当性の下に行われている戦闘行為なのだろう。
いい加減、「イスラム国」を存在しないもののように扱い、その戦争行為を「テロ」と呼ぶのは止めたらどうだろう。はっきりと「イスラム国と戦争している。だから敵国の応戦はあり得る。」と自国民に説明すべきだろう。それは、有志連合に対する支援を宣言した日本国にも言える。戦争=戦闘ではない。イスラム国からすれば金銭的な支援も立派な戦争に加担する行為だ。そんな日本がいつイスラム国から攻撃されても不思議はないだろう。
それにしても日本はいつこの戦争に参戦したことになっているのだろうか。イスラム国との戦争することについてどのような手続きで「国としての意思決定」を行ったのだろうか。知らされないまま外国の戦争に参戦し、いわゆる“テロ”と呼ばれる戦闘行為の対象とされている国民はたまったものではない。日本の政府がなんと言おうと、相手がそう言うなら、「日本は戦争の当事国」なのだろう。