逆 教育勅語 | 世界の真実 地球レベルで地球をよくしていく為のブログ

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「教育勅語」

(きょういくちょくご)と聞いて、「えっ、戦前の軍国主義教育?
コワっ!」と思った人、

怒らないから手を挙げなさい~(^^)。
(##^0^)//" (##^0^)//"



それでは誤解の多い「教育勅語」について少し・・・・。



その昔、「修身」と云われた道徳教育が1年生から6年生まで、小学校の一番大切な教科として扱われていたそうです。


「修身」とは、文字どおり身を修める「道徳」を教わるものですが、大別すると次のような構成になっています。



1. 天皇、国家に対する道徳・・・  国体・忠君・愛国・義勇・国民の義務、などを教える。


2. 両親、家族、友人、他人に対する道徳・・・  孝行・報恩・寛容・礼儀・謙遜、などを教える。


3. 個人としての道徳・・・  自立心・勤勉・努力・忍耐・正直・沈着・勇気、などを教える。



「修身」という言葉は、福沢諭吉の造語と云う噂もありますが、確かではありません。


日本では、江戸時代から「儒教道徳」が教えられ、中でも武士たちは「儒教道徳」に基づく武士道を重んじていました。


明治23年に明治天皇が「教育勅語」を発布され、これがすべての国民の守るべき道しるベとなり、「修身」の教育内容も、この「教育勅語」が1ページ目に記載され、これらの内容に沿った「道徳教育」が実施されていました。



大まかな内容は以下のようなモノで、繰り返し授業で取り上げ、生徒たちは暗唱できたほどでした。


【教育勅語の十二の徳目】

1、 孝行(こうこう)   親に孝養をつくしましょう 

2、 友愛(ゆうあい)   兄弟・姉妹は仲良くしましょう 

3、 夫婦(ふうふ) 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう

 4、 朋友(ほうゆう) 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう 

5、 謙遜(けんそん) 自分の言動をつつしみましょう

6、 博愛(はくあい) 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう

7、 修学(しゅうがく) 習業(しゅうぎょう) 勉学に励み職業を身につけましょう

8、 智能(ちのう) 啓発(けいはつ) 知識を養い才能を伸ばしましょう

9、 徳器(とくき) 成就(じょうじゅ) 人格の向上につとめましょう

10、公益(こうえき) 世務(せいむ) 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう

11、遵法(じゅんぽう) 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう

12、義勇(ぎゆう) 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう 


下記は「教育勅語」の原文を現代語訳にしたものです。

(この原文が教科書に書かれていました)私が思うには、我が皇室の先祖が国を始められたのは、はるかに遠い昔のことで、代々築かれてきた徳は深く厚いものでした。


我が国民は忠義と孝行を尽くし、全国民が心を一つにして、世々にわたって立派な行いをしてきたことは、わが国のすぐれたところであり、教育の根源もまたそこにあります。


あなたたち国民は、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、行動は慎み深く、他人に博愛の手を差し伸べ、学問を修め、仕事を習い、それによって知能をさらに開き起こし、徳と才能を磨き上げ、進んで公共の利益や世間の務めに尽力し、いつも憲法を重んじ、法律に従いなさい。



そしてもし危急の事態が生じたら、正義心から勇気を持って公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい。


これらのことは、単にあなた方が忠義心あつく善良な国民であるということだけではなく、あなた方の祖先が残した良い風習を褒め称えることでもあります。このような道は、実にわが皇室の祖先が残された教訓であり、その子孫と国民が共に守っていかねばならぬことで、昔も今も変わらず、国の内外をも問わず、間違いのない道理です。私はあなた方国民と共にこの教えを胸中に銘記して守り、皆一致して立派な行いをしてゆくことを切に願っています。


明治二十三年十月三十日






しかし、昭和20年(1945)10月22日、GHQが「日本教育制度ニ対スル管理政策」を発令。占領目的に立ち、「日本の教育の民主化・平和主義化のため、あらゆる軍国主義的な極端な国家主義的政策を払拭」することを宣言。



昭和23年(1948)5月、GHQが国会に「教育勅語の無効を明確化する措置」を要求、参議院文教委員会委員長(田中耕太郎)などが「日本は(先の文部省通達で)既に教育勅語を教育の基本とする方針を破棄しており、特に無効であると国会で決議する必要はない」として抵抗したが、GHQに押し切られる。



昭和23年(1948)6月19日、衆議院で「教育勅語等排除に関する決議」、参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」が行われた。現在70代後半以上の世代は、皆教育勅語を暗唱できるはずです。



 そして、この世代から以前に代表される「道徳性の高さで知られる日本民族」さらに「世界に誇る道義国家・日本」の精神的バックボーンとなってきたのが、「教育勅語」であり、それゆえに国会での失効決議以降、60年以上に渡って、守り、伝えようとする方々が絶えなかったのもわかります。



そして、もし、この「教育勅語」を逆の意味に変えると、トンデモないことになります。



1、 親に孝養をつくしてはいけません。


家庭内暴力をどんどんしましょう。


2、 兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません。兄弟姉妹は他人の始まりです。 


3、 夫婦は仲良くしてはいけません。じゃんじゃん浮気しましょう。 


4、 友だちを信じて付き合ってはいけません。人を見たら泥棒と思いましょう。 


5、 自分の言動を慎しんではいけません。嘘でも何でもいった者勝ちです。 


6、 広く全ての人に愛の手をさしのべてはいけません。わが身が第一です。 



7、 職業を身につけてはいけません。いざとなれば生活保護があります。



8、 知識を養い才能を伸ばしてはいけません。大事なのはゆとりです。



9、 人格の向上につとめてはいけません。何をしても「個性」といえば許されます。 


10、社会のためになる仕事に励んではいけません。自分さえ良ければ良いのです。 


11、法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。自由気ままが一番です。 



12、勇気をもって国のため真心を尽くしてはいけません。国家は打倒するものです。



もはやギャグ。学校の崩壊、教育レベルの低下、いじめ問題等が問われて久しいワケですが、その根本原因は、教育現場が、「徳育」という「柱」を失い、実際、教育する側には「徳育」等はなく、「ゆとり」に代表される「結果の平等」など、全体主義、共産主義的な思想教育しかありません。



教育勅語が目指した日本人は、夫婦相和し、親に孝行し、先祖を敬い、友を信じ、秩序を守り、自己を鍛えて、すすんで社会公共のために貢献する人です。



学問をする目的も、世間のお役にたてる立派な人間(=徳の高い人間)になるために身につけるという、明確な目的性があります。



いいかえれば、世間の役に立つ立派な人間に成長するという目的性をもたずに、何のためのモノなのか、と云うコトです。ここでは詳しく現しませんが、教員が国旗慶應時に不起立であったりする事実を見ても、なんとなく解るように。



日教組が教育の現場でしてきたことは、日本人の持つ「徳」を崩壊させること。


夫婦の和、友人との信頼、親子の絆、祖先への感謝、そうしたすべてを、過去60年間にわたり、日教組は否定し続けています。



残念ですが「教育勅語」は「日本の教育の指導理念」としての役割を終えました、しかし「教育勅語」の内容は、誰もが良心的に認めることのできる、いつの時代にあわせても普遍的な真理があることに変わりはありません。



また、国会決議は、GHQの強要により「教育勅語を指導理念とすること」を否認したのであり、「教育勅語の内容自体を否定」したのではありません、


まして、これを「(仏典や聖書のような)一般の道徳訓」あるいは「(聖徳太子の『十七条憲法』、福沢諭吉の『学問ノススメ』のような)歴史的文書」として学校教育で使用することを否定したものでもありません。


転載元
http://blog.goo.ne.jp/google_goo_goo_1958/e/ab5277b433159c93bae65f7333c1b7ea


………………

余談ですが
日月神示では
逆立ちしてるとも言ってます

●天つ巻 第二十九帖(一三六)

この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、

自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。

臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、

国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、

今の国々のみ姿見よ、み手届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。

手は手の思ふ様に、足は足ぞ、これでは病直らんぞ、臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。

足 地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。

三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。

尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、

足よごれてゐると病になるぞ、足からお土の息がはいるのざぞ、臍(へそ)の緒の様なものざぞよ、

一人前になりたら臍の緒切り、社(やしろ)に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、

それほど大切なお土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも裸足(はだし)でお土踏まなならんことになるのぞ、

神の深い仕組ざから あり難い仕組ざから 喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、

足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。


神の申すやう素直に致されよ、この方 病直してやるぞ、この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、

読んで神の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。

戦も病の一つであるぞ、国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。

上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、みなの守護神どの改心して呉れよ。

いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。

病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。

天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一どにゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。
九月十三日、一二 。

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