<転載開始>
しょうなん 育児の会リンクより「ガキ大将クラブ」
(子どもに共同体を感じさせる活動)というページでで述べられていた記述の紹介です。
『立派な子ども”を期待する大人は山ほどいますが、“立派な生き方をしている大人”はそれほどいません』
これは、現代を言い得て妙だと思います。
子どもが同化対象にできるような立派な人格者は、少ない上に、子どもの身近にはなかなかいないのが現実。それを自覚せずに、子ども立派にしようとうわべだけのいいことを言う大人たちの、傲慢さとごまかしを、子どもは見抜いている。
大人自身が変わっていかないと、子どもたちのよき成長(≒人類の進化)ははかられない。そういう大人にとって、子どもの世界を上から見るばかりではなく、同化して、一度、「子どもの世界に飛び込んでみよ」というのは、ひとつの可能性だと感じます。
リンクより抜粋------------------------------------------------------------
子どもたちが事件を起こすと、立派な大人たちが色々と論評を繰り広げます。
でも、私が見た範囲では、“立派なことを言う”親や教育者、そして評論家はいっぱいいますが、本当に立派な親や、立派な教育者は少ないように思います。
実際、“立派な子ども”を期待する大人は山ほどいますが、“立派な生き方をしている大人”はそれほどいません。
あるお母さんが言っていました。母親は私を立派な鷹に育てようと一生懸命でした、でも、ある時気付いてしまったのです。
私は鷹になるためにこんなに苦労しているのにそんなお母さんは鷹にあこがれるだけの“普通のスズメ”だということに、そして、私は鷹ではなく、“普通のスズメの子”だということに。
そして、それ以来、母親の言うことを聞かなくなりました。立派なことばかりを言う親や教育者は目の前の子どもたちの姿を見ようとしません。
理想は語りますが、手本にはなろうとしません。そのような大人の言葉に子どもは耳を傾けません。子どもには真実を見抜く眼があるからです。
子どもは見栄や体裁ではなく本気で子どもと向き合い、つき合ってくれる人を求めています。そして、そのような人を信頼し、そのような人の言葉に耳を傾けてくれます。
ということは、子育てでも教育でもそのような“信頼によってつながった”人間関係の上にしか築くことが出来ないということなのです。
見栄や体裁で固めた鎧を脱ぎ捨てて見ませんか。そして、“ガキ大将”となって、子どもの世界に飛び込んでみませんか。
常識的な大人は笑うかも知れません。でも、子どもは笑いません。立派なことばかり言っている大人にはバカにされるかも知れません。
でも、子どもはバカにしません。すると、手に負えない“クソがき”に見えた子どもたちがどんなにか優しく、素晴らしい心を持ちどんなにか豊かな感性を持ち、素敵な世界を持っているのかということを知るでしょう。
子どもたちはそのことを分かってくれる大人に出会うことでその素晴らしさを失わず素敵な大人になることができるのです。
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<転載終了>