BNIが日本にやってきて14年(BNIジャパン設立が2006年)。
当初は、東京や名古屋市などの大都市でしかチャプターがありませんでした。
それが、10年前(2010年)に日本で初めて地方都市(安城市)で発足したのが
BNIじゃんだらりんチャプターでした。
担当ディレクターは、名古屋で黎明期に発足したチャプターのメンバーでもありました。
その後、彼は豊田、岡崎、豊橋、浜松、豊川と地方へとどんどんBNIを広めて行きました。
当時のBNIジャパンの間では、これはとても画期的な事だったらしく、
これを切欠として、大都市圏だけではなく、地方へもBNIが広まっていきました。
そんな記念すべきチャプターなのですが、
昨日、解散が決定したそうです。
一時期は、50名近くのメンバーを誇っていたのですが、現在は15名。
『退会があい続いたことによるメンバー減少で、現状の人数では
BNIのリファーラルマーケティングの効果が発揮されにくいと判断し、
本日最後まで所属した15名で決めました。 』
(じゃんだらりんチャプターメンバー神谷浩司さんのfacebookより)
実は、この3年で三河では、どんどんチャプターがなくなっています。
(ロマン@岡崎、青春わくわく@豊田、ほのくに@豊川)
9つあったチャプターが、今は5つです。※浜松をのぞく
個人的に、こんな壊滅的な状況になる前に、
もうちょっとなんとかならなかったのかと思っています。
ただ、じゃんだらりんチャプターの解散については、
やや罪悪感を感じているところもありまして。
これは3年前の記事です。
当時は、三河東リージョンのアンバサダーを拝命しておりました。
まだじゃんだらりんチャプターのメンバーが30名そこそこだった頃、
ビジターズデイ(現:ビジネスオープンデイ)を開催したいと、
DNAチームの助力を求めていました。
私は、じゃんだらりんチャプターの担当アンバサダーというわけでもありませんでしたが、
当時の担当ディレクターから手伝って欲しいと頼まれ、
モメンタムトレーニングを行いました。
そして、この記事のある通り、
その次の週も私がエデュケーションを行わなければなりませんでした。
私は、アンバサダーでした。
ディレクターではありません。
しかも、担当でもありません。
ピンチヒッター的な役割だったら良かったのですが、
どうして担当ディレクター以上に、チャプターに訪問して、
ビジターズデイのエデュケーションをしなければならないのでしょうか?
私はそこがイチバン腑に落ちなかった。
つまり、私もまたディレクターからの助力を求めていたわけです。
なので、この時期というのは、とても心苦しかった。
ぶっちゃけ、後ろ盾があるようでないのだから。
担当でもない、しかもアンバサダーから、やいのやいの言われるのは、
チャプターメンバーとしてどう思っていたでしょう?
私は怖くて怖くて仕方ありませんでした。いつ、大爆発するのか・・・。
でも、じゃんだらりんチャプターのメンバーは一生懸命、ビジターを招待しました。
そこは大人でした。
私が子どもだったのかもしれませんが。
そのビジターズデイの結果はというと・・・
気がついたら、当時のプレジデントがメンバーを辞めてましたね。
個人的にじゃんだらりんチャプターのターニングポイントって
ここだったんじゃないかと思ってます。
もう少し、DNAチームのコミットメントがあれば良かったのではないのかなと。
私も、この年の夏にアンバサダーを辞めましたが。
本当に、本当に今さらなんですが、
申し訳ありませんでした。
私の素直な気持ちです。