これまた懐かしいモノが。
私が高校2年生の頃の生徒手帳です。
国立愛知教育大学附属高校出身でございまして。
3年間、遠く刈谷の地へ通っておりました。
国立であると言うことで、そこそこレベルが高いだろうという思い込みと、
私が、遠くへ行きたかった思いから、通ってしまったのですが、通ってビックリ玉手箱。
内申点27(オール3)なくても合格できてしまうほどのレベルでございました(;^ω^)
そんな中、私は38(オール4+α)だったので、レベルが違いすぎるんですね。
※1997年当時
となりますと、ぶっちゃけ勉強しなくてもそこそこの成績は取れてしまうんです。
で、何をやったか
実は高校2年生の夏。
夏休みに入る前に保護者呼び出しを喰らいまして。
成績は全く問題なかったのですが、
欠席(欠課)が多いと言うことで、お小言をいただきました。
当時は、まだ持病の喘息が全治してませんでしたので、
それが元で休むことも多かったんですね。
ただ、実際は学校へ行くのがかったるくて休むこともありましたが(;^ω^)
実は、その時に、どうなったら留年になるか教えていただいたんですね。
テストの赤点が云々ってのは、私にとっては全く問題ないので、
要は、どんだけ休んだら、留年になるのか?なんですよ。
それをメモったのが、上の写真です。
そして3年生になりまして、できあがったのが
この一覧でございます。
親召喚(召)はいくつ、留年(留)はいくつと全て記録をしておりました。
結果はご覧の通りで、本当に計画的に休んだワケでございますよ。
ただ、ただ、これでも成績は良かったです。
少なくとも当時の愛知教育大学附属高校では、最終成績はオール5に近い成績でした。
このあと、現役での大学受験に失敗するのですが、
正直、腐っていた時期の始まりでしょうか。
目標もなく、ただおもしろおかしく毎日を過ごしているというか。
でも、ヒトは怖くて、家電販売のアルバイトをしてるけど、
どこかヒトを本当に信じられないというか。
でも、それは高校時代も一緒で。
最後に、高校3年生時の私の担任が言った言葉。
「欠席さえなければ、立命館とかに
指定校推薦してあげられてたんだがなぁ。」
これで仮に立命館に行ったら今の私はないわけで。
何か正しかったのか、今でも分かりませんわ。
そもそも、この高校へ行ったことが過ちだったのかもしれないのに。