MOKMOKが復活してから、
結構な頻度でモーニングを楽しんでます。
普段はテレビもあまり見ず、
世の中の動きは、Yahoo!ニュースか、5chのまとめサイト、虎ノ門ニュースで伺ってます。
なので、だいたいは把握しているつもりです。
それについて、色々思うこともあるのですが、それを表明してしまうと、
なかなか難しいところが発生しそうなので、普段はおとなしくしています。
ただ、本日については少しお話ししたいことがありますので、
ちょっと取り上げて、私の考えを披露したいと思います。
東京都で、子どもへの体罰禁止条例を制定しようという動きがあるようです。
また、国会でも、法律化しようという動きがあるようで、
民法にある『懲戒権』の改正を視野に入れた勉強会も与党内で発足したようです。
結局、『大人(特に親)から子どもへの虐待を防ぐために、
そもそもの体罰を禁止したらいいんじゃね?』
という、脊髄反射的な、真に以て幼稚な発想。
いくら法律で禁止しても、やるヤツはやるんです。
そもそも、なぜ虐待が発生するのかというメカニズムを解明して、
発生を予防するのが優先ではないかと思うのです。
つまり、国民教育の充実が最優先と私は思います。
とかく、最近の法律は対処療法的に改正・制定されるのが多いと思います。
そもそも、道徳的に今まであり得なかったことが散見されるようになり、
以て厳罰化、法律化という流れになってしまった。ホント、警察も大変ですよ。
でも、犯罪なんて、教育がちゃんとしていれば、
つまり、人間として、社会の一員で生活するには一定のルールがあり、
それは、みんなが幸せになるためのルール(公共の福祉)で、守ることが当たり前と
子どもの頃からしっかり教えられていれば、
そんなひん曲がった人間を生み出すことも少なかろうと思います。
しかし、その教育ってのをおざなりにして、
その行いが『なぜいけないこと(犯罪)』なのか、を理解させなければ、
そりゃ、やっちまうでしょう。
そうやって、大人の教育力がどんどん低下する。
子どももそんな大人をみてますから、反面教師ですよ。
さあ、そこで困った大人はどうするか。
暴力で以て、子どもを従わせようとする。
そう、体罰。
でもね、私はそれはある程度仕方がないと思うんです。
大人も子どもも人間ですから、言って聞かせるなんてなかなか難しいですよ。
時には、鞭打って知らしめることも必要なんじゃないですかね。
そもそも教育の『教』の字をみてみたら分かりますよ。
※漢字/漢和/語源辞典より
この右側の作りは「のぶん」といって、
「手でボクッと打つ、たたく」という意味があります。
つまり、「老人(大人)が子どもを打つ」というカタチから、
“教”という字が成り立っているのです。
つまり、教育において、打つ、たたくというのは古来から用いられてきた方法なんですよね。
結局、皆が皆、孔子のような聖人君子であれば、子どもも無条件で従うかもしれません。
でも、私たちは所詮、一般ピーポーです。
孔子のように教え諭すなんてなかなか難しい。
ならば、その最後の手段として体罰を用いることも吝かではないでしょう。
ただし、いきなり行使するのではなく、最初の過ちは教え諭す。
しかし、過ちを二度繰り返すような場合は、「叩いて聞かせる」。
子どもに、悪いことをしたら、叩かれるという経験を植え付けることによって、
過ちを繰り返させないためです。
※昨年参加した、名古屋市緑区倫理経営講演会より
かくいう私も、小学生のことは良く叩かれました。
しかし、それを一度たりとも先生を恨みに思ったことはありません。