本棚を色々と整理していましたら、懐かしいものが出て来まして・・・。
18年前、日本大学芸術学部放送学科を受験したときの受験票です。
facebookやBNI、そのほかを通じて知り合った方々のなかで、
私の高校時代を知っている人は全くいません。
そして残念ながら、高校生の頃は、これといって目標もありませんでした。
ただ、さして勉強しなくても成績は良かったんですよ。
これは当時、受験の際に用いた調査書です。
使わなかったのを後生大事に取っておいたものです。
先生からは、真面目な生徒だと思われたらしいですね、
3年間の所見にはそれぐらいしか書いてありません(笑)。
成績も良い、先生の受けも良い、でも目標は・・・。
日大ってのは、東京へ行きたいという口実だったんですよ。
なんとなくね。
でも、自分の父親を説得するには、それなりの理由が必要で。
私の父親は、小さい頃から、
『時習館→東大→国家公務員上級職』ばっかり言い続けてまして、
その理由は、『官僚→天下り=お金がっぽがっぽ』。
これまた、なんとも夢のない話じゃないですか。
それがイヤでイヤで。
だからといって、面と向かって反論することも出来ず。
妥協妥協で過ごしていました。
実は3年生のはじめの頃は、さすがに東大・京大は無理と悟ったか、
せめて横浜国立大学・・・なんてことも言ってました。
じゃあ、なぜ横国か?というと、結局は同じですよ。
なので日大の受験も、父親的には本当はイヤだったんでしょうが、
彼も妥協してくれまして、そこに私との思惑が一致して、受験にこぎ着けました。
受験票には、一次試験合格の印が押してあります。
一次試験は、国語と英語だけだったんでね、簡単に(?)合格することが出来ました。
が、二次試験の面接と作文で落ちてしまいましたがね。
んで、結局1年間浪人しました。
そして、その一年後入学したのは、人間環境大学。
それも妥協の産物でございました。
ちなみに、今の目標はというと・・・。
それは、ゆーもあねっとのビジョン・ミッションに掲げてあります。
この受験票をみて、思うところは色々です。